その特別な一日の始まりに。3/6
その頃、彼女らの話に出てきた男、イミト・デュラニウスはと言えば——
「流石は王族用の厨房って所だな……石造りながら手入れが行き届いてやがる。ピザ窯にオーブンもあるが、火の元は魔法やら魔術やらで扱う仕様みたいだな。滾るな、これは」
彼もまた一日の素晴らしい始まりに、胸を躍らせている。
彼の趣味は料理——、クレアらの予見通り彼は今、城塞都市ミュールズの中央議会城の内部にある料理場に誘われるままに足を運び、嬉々として目を燦爛と輝かせ、レンガ仕立ての厨房や作業台を指で撫でつつ愛でていたのである。
「ふふ……化けの皮が剥がれておいでですよ、イミト様」
そんな彼の、ある意味では無様を、美しいドレスが似合う少女が微笑ましく口元に手を当てて言葉を贈った。
「おっと……これは失礼しましたマリルティアンジュ姫。つい興奮してしまいまして」
マリルティアンジュ・ブリタエール・ツアレスト。現在地でもある城塞都市ミュールズを傘下に収める広大な国——ツアレスト王国の王位継承権第四位の王女の言葉に、イミトはハッと我に返り、背後に控える二人の女性メイドの目も相まって咳払いを漏らししつつ、直ぐ様に御上品な態度へと己を改める。
「イミト様のお料理好きは私も知る所……料理長にも話は通してありますので、この一角は御自由になさって頂いて構いませんよ」
けれどそんな身分違いの彼の態度を、僅かでも気にも留めてない風体で穏やかに首を傾けて気品ある優しい表情を贈り続けるマリルティアンジュは、
調理場でコチラの様子を伺っている料理長に再度の視線を送って頷かせ、言葉の信憑性を証明してみせて。
けれど、イミトには別の人物について不安に思う所があったのだ。
「それは有り難いが、わざわざ姫にお付き合い頂かなくても……また、あらぬ誤解を周囲に与えかねませんし」
昨晩、宴の席にて様々な貴族や国の要人たちに向けて公表された隣国の王子との婚約。その宴にてイミトは、マリルティアンジュ姫の婚約者となったアルバランの王子クジャリアースと一悶着あって、またあの騒動が再来しないかと気掛かりではあった。
しかし、だ。
「いいえ。問題ありません、アルバラン国のクジャリアース王子とはキチンとお話をしておりますし、昨晩の侘びも兼ねて今朝の朝食もイミト様と共にしようと約束をしてくださいましたので」
それも踏まえて、互いに普通の会話。ごく自然に憂いを解き解くマリルティアンジュから言質を頂き、それからイミトは姫の背後に控えるメイド達の微動だにしない姿をも確認する。
そして——、
「出来れば、《《セティス》》様も御一緒できれば良かったのですが……」
次はマリルティアンジュの手番と、話は自然に移り変わる。
「セティスは早朝より旅の物資の補給に向かいましたので。今日の和平調印が済み次第、次の旅に出る身として用意は早いに越したことはありませんので」
その問いは、申し訳なさそうな苦笑をイミトから引き出し、彼に厨房に備えられていた包丁の具合を確かめさせるに至る。美しく研がれ、見事に手入れされている鈍い銀色の刃は、どうやらイミトの機嫌を損ねはしなかったようで。
「そうなのですか……もう少し、ゆっくりなさっても宜しいのでは?」
刃に映る姫の憂いの直ぐ後ろ、メイドの視線にイミトは嗤う。
「申し訳ない。待つ者も居る旅路……そういう訳にも参らず」
そっと静かに包丁を置いて——またも愛想のような苦笑い。仕える従者が背後に控える高貴なる姫君、イミトにとってこれ程までに身分差を感じる事も無いのだろうか。
「そうですね……少し寂しくもあります。お引止めしてしまって申し訳ありません」
しかし当の姫は、気にも留めずに普段通りを装えて。まるで定型文とは思えぬ定型文で如何にも残念がって居そうな演技を魅せしめる。
その王族らしい社交的な立ち振る舞いに、イミトは密かに舌を巻いた。
そして——
「それで——、今朝は何を作って頂けるのでしょうか?」
話は更に移り変わり、彼——彼女らもまたその特別な一日の始まりである朝食についての話を始めるのである。
イミトが作る朝食——何を作るのかと尋ねた姫君に、イミトは答える。
「ジャガイモのガレット。ガレットは、とある地域の言葉で『円く焼いた料理』という意味を持ちます。ガレットの種類は朝食や酒の肴、菓子に至るまで多様ではありますが今回はジャガイモや葉物野菜を主に使った焼き料理を作ろうかと」
片手で上に軽く放り投げたジャガイモは、何の因果か偶然か、或いは作為的にクレア達が今まさに作っている料理の食材と同じ物。
「今回、使う材料はオリーブオイル、ほうれん草、チーズ、そしてジャガイモですね」
パシリと故意に音を立てて宙に放っていたジャガイモを掌で掴み、軽々しく首を傾けて持ち上げた口角は悪戯心に溢れているようであった。掌の上で踊らされているが如く照明に照らされるジャガイモの表面。
「ベーコンやハムなどを入れても構いませんが、今回はシンプルにジャガイモの味を楽しんで頂きたいと思います」
愛おしく玩具のコレクションでも眺めるように、ジャガイモの質を確かめるイミトの双眸は、あたかも獲物を見つけた狩人かと見紛う程に鋭い光を放ち、そしてその穏やかな微笑みは異彩を放っているようである。
そして質を確かめ終わるや、それをまな板の上に置き——
「あまり趣向を凝らして時間を掛けるのは、クジャリアース王子をお待たせしてしまいますから手早く」
傍らの包丁を手にしたイミトは——
「まずはジャガイモの皮剥きから。そちらのメイドの御二方も手伝って頂けますか?」
「「……はい。かしこまりました」」
刃先を摘まみ持って、そんなに心配なら己らが柄を握れと言わんばかりに彼女らを嗤う。
——。




