その特別な一日の始まりに。2/6
「……カトレア。貴様、料理と云うものをした事があるか」
「ええ⁉ あ、いえ……あの……で、でも皮を剥くくらいなら‼」
そこまで来れば、傍観していたクレアも痺れを切らし、気付きを放つ。その指摘にカトレア・バーニディッシュは随分と慌てふためいたものだった。背後のデュエラの不安そうな表情も僅かに視界に入ったのも相まって、彼女は急いてジャガイモを黒い作業台のまな板の上に置いて包丁の刃を煌かせる。
それが、答えであったのだろう。
「——皮剥き、なのですが……カトレア様」
さしものデュエラも、まな板に置いたジャガイモに包丁を突き刺すのは皮剥きでは無い事を知っている。顔布で表情こそ見せないが、その落胆の感情は彼女に肩を落とさせて。
「全く……騎士のくせに刃物一つ思い通りに出来んとは……」
「くっ、申し訳ない……」
そのデュエラの視線やクレアの呆れ果てた様子に、不甲斐なさを羞恥するカトレア。真っ向から顔向けできないと包丁をまな板の上に置き俯いて。
すると、包丁が置かれた音を見かねて、クレアが溜息を吐いた。
「仕方のない——……コレを使うが良い」
そして頭部しかない彼女が、その特徴的な美しい白黒の髪を波立たせ、黒い煙のような魔力を燻らせ、とある代物を物体として創り出す。
——物体の創生。デュラハンであるクレアの特技。
「これは?」
「ピーラーとかいう道具よ。デュエラ、その二本の小さい刃の腹を芋の皮に当てて軽く撫でてみよ」
今回、彼女がまず初めに創り出したのは掌で握り締められるサイズの調理道具であった。持ち手の先——、二股に左右対称に別れた場所に平行して日本の薄い黒い刃が光る道具。
「は、はいなのです——……ふわっ⁉ 簡単に皮が剝げたので御座いますよ‼」
それは、初見のデュエラが驚きの声を上げる程に容易くジャガイモの皮を剥くのに適した道具であった。ツルリとしたジャガイモの皮が表面に沿うようにズルリと剥げて、中身の薄黄色の表情が露になる。艶めかしく瑞々《みずみず》しい邂逅に、デュエラは興味深そうにそれを成させた道具を見つめる。
「ふむ。それならば、貴様らでも扱い易かろう」
クレアもその道具は初めて創ったものであったからか、デュエラが次々に剥き始め、まな板の上に落としていく皮の切れ端に納得の様相。
「ピーラー……こういう便利な道具があるのですね……」
カトレアもまた、難儀と思えた皮剥きを軽々とこなしていくデュエラの様を魅せつけられて、感心だけではなく興味をもそそられている様子。
「……イミトの知識を基に作ったものだ。さっさと皮を剥き、手早く料理を作ってしまえ」
「ありがとうなのですよ、クレア様‼ おかげで朝ご飯に苦労せずに済むのです‼」
「確かにこれなら、私にも……」
恐る恐ると手を伸ばし、カトレアが手に取ったのは新たなジャガイモ。デュエラが楽々ワクワクと現在進行形で剥いているジャガイモより大きなものを手にしたのは彼女の矜持か。
こうしてクレアの魔力の基にした物体創生で創り出したピーラーを用い、彼女らは作業は始めったのだった。
「嘆かわしい……戦場で阿鼻叫喚をもたらした我の魔力が芋の皮むきに使われるなど」
最中、作業に加担しないクレアは流れていく平穏な時に退屈を吐露し、首を振るように自身の頭部を支えている魔力で創った台座を左右に回す。
雲行きは温厚、夏青空の分厚い入道雲が揺蕩い、悠然と進む。
その余りある穏やかさに、戦場で生まれた彼女は辟易としていた。
そんな折である——、
「そういえば、昨晩はイミト殿から連絡などは無かったのでしょうか」
「有りはせぬ。おおかた、便りが無いのは元気な証とでも思っておるのだろう」
作業の片手間でクレアを退屈させまいと気を利かし、そのついでに気になる世の中の動向を探ろうとするカトレア。クレアは唾でも吐き捨てるように言った。
「ふふふ、イミト様たちなら問題は無いので御座いますです。きっと今頃、イミト様たちも朝ご飯を作って居る頃なので御座いますよ」
すると次々に剝かれていくジャガイモに満悦気味に笑いながら、ここに居ない男について語るデュエラが会話に参加し、思い出し笑いで顔布がずれぬように抑える仕草。
「いや、ミュールズの城では流石に……使用人が料理は作る物ですし」
状況が状況、そうカトレアはデュエラの推測に異を唱えるが、
「まだ貴様はあの阿呆を解っておらぬ。どんな窮地や事態であろうと、何のかんのと理由を付け、厨房に足を踏み入れて目を輝かせておるのは容易に想像できる事よ」
「……」
直ぐ様にクレアに否定され、話に出てきた男の顔を思い出させられた様子。クレアも否定の言葉を吐く内に、悩ましげに眉間にシワを寄せていき、顔を空から下に俯かせる。
「全く以って平穏よな……如何なる用意をしておるか知らぬが、もたもたせずに早う来れば良いものを……ルーゼンビフォア・アルマーレン」
それでも、頭部のみの彼女は様々な意味で手の届かぬ位置にある事柄の事など考えても仕方なしと、積み上がっていく皮を剥かれたジャガイモに一瞥をくれて、再び空を眺めがら今日のこの特別な一日に訪れるであろう敵の名を口ずさむ。
——。




