春の下、虫二匹。5/5
「「——⁉」」
渇いた扉の木材を、如何に叩けば不快にならぬ程度に音が響くかを熟知したような軽快な音が部屋へと広がり、途絶えた会話に静寂と緊張が走った室内。
セティスとイミトは、暗黙の内に顔を見合わせ頷き合い、部屋の扉の方に意識を送って動き出す。イミトは、机上の駒を片付け始めて。
「……はい。何か御用でしょうか?」
そして扉へと向かい、扉越し——予期せぬ来客者に声を掛けたのはセティスであり、どうやら扉の向こうに居るのは日頃から何者かに仕えている礼節を弁えた女性のようだった。
「——お休みの所、失礼いたします。マリルティアンジュ姫より、お届け物を預かって参りました」
「「……」」
静やかな抑揚、感情は穏やか。声色から滲む奉仕の心。それでもセティスは振り返り、来客者に警戒をしている事を示唆しながら、扉を開けるか否かをイミトに確認する。
机上に広げていた地図や駒の片づけは手早く片付け終わってはいるようで、イミトも警戒しつつセティスの行動に同意を示すべく頷き、扉を開けと合図をした。
「どうぞ。お入りください」
やがて開かれる扉の向こう——先ほどの礼節穏やかな口振りの来客者は、やはりと言うべきかその声に見合う気品ある振る舞いで従者の証たるメイド服を躍らせている。
彼女は、間違いなくマリルティアンジュの使いなのだろう。
二人は、そう思い——、事実そうである。
扉の前、敷居を跨がずに一礼するメイド。慎ましく佇み、そして開かれた扉の向こうのイミトを視認するや、また穏やかに一礼を捧げて。
そして——、彼女は再び近くに居たセティスに目を向けた。
「失礼いたします。こちらが、マリルティアンジュ姫よりのお手紙に御座います。それから今宵の宴にて、あらぬ騒動に巻き込んだ事、心より謝罪したいとの言伝です」
「承りました。こちらは気にしていないと、姫様によろしくお伝えください」
「——……では、失礼いたします」
部屋に訪れた来客メイドに応対するセティス。やがて受け取った手紙と言伝に感謝を述べて、肩透かしのように帰っていくメイドを見送る二人。
一瞬にして張り詰めた緊張は、扉が閉じられると同時に解け、しかし静寂は暫く余韻として残るのだろう。
だが、そうも言っていられない。
「姫様からの手紙か……嫌な予感しかしないな」
ソファーから立ち上がり、マリルティアンジュから贈られた手紙に興味を示すイミトは、便箋に封をしている蝋の刻印を眺めるセティスに近付きながら疲れた脳を嘆くように言葉を漏らして。
すると、セティスが言った。
「そうでもない。罠や細工がされてる気配は無いし……それに——」
「中身は、絵だよ」
蝋で固められている便箋の封を雑に剥がすや、中身の紙切れを一枚を取り出して——それをイミトに手渡しながら彼女が言った。
「——……カトレアさんの仮面のデザイン画かよ。良い感じだな」
それは——もはや懐かしいとすら思えた話題。冒頭の旅の細やかな思い出。
拙くも彼女なりに懸命に考えていたのだろう、鉛筆で書かれた御上手な絵をイミトは笑う。
とても穏やかで微笑ましく、彼らしく無いながら彼らしい微笑みで。
「クレア様の方の作戦といい……こっちの作戦といい……あの純粋な姫様には少し申し訳ない気がする。悪者同士の戦いに彼女を巻き込んでる感じ」
その笑みを見てなのか、或いは絵を見てなのか、それともそれ以前からか。零れたのはセティスの罪の意識が滲む声。イミトが犯し、これから重ねようとしている罪の共犯を彼女は不意に戸惑ってしまって。
しかし、悪魔は鼻で笑って語るのだ。
「はっ、姫様の為に正義の味方のふりをして、正しく清らかに戦えってか? 随分と無理な話をするもんだ」
「正義だ悪だと、くだらねぇ……この世にあるのは罪と罰だけだよ」
先ほどの笑みが一転——、まさに彼らしいと言わんばかりの悪辣な嘲笑は逆に彼女の絵を見たからこその清涼感すら感じさせ、
ソファーに戻る道すがら、手に入れた報酬を見せびらかすように片手を振って、様々な負い目を吹っ切れた様子で彼は彼の根源を《《ゴキゲン》》に語るのだ。
「……罪と罰」
その背は何処か寂しげで、しかし何処か雄弁で、確かな決意と野望を背負う。
「行動して、報いを受けて、行動して、そんなもんを繰り返して、繰り返して自分の魂を叩き直していく。初めから完璧な奴も居ないし、完璧なまま生きていける奴も居ない」
「迷って迷って間違えて、後悔して、反省して、反省させられて。叩き折ったり折られたり、そうやって生きていく」
「あの日——レザリクスが姫を襲ったから、俺達は姫と出会ってここに居る」
「それが今回のアイツらの罪で——受けるべき罰、報いだ」
ドスリとソファーに腰を落とし、彼は背を追ってきたセティスに悪辣な横顔を魅せしめる。
「それで姫を守る為に罪を犯した女騎士に《《与えられた報い》》が、その《《仮面》》なのさ」
そして姫から預かった想いをテーブルに置いたイミト。
そんな折、一羽の蛾もテーブルの隅に降り立った。
きっと扉を開けた時にでも部屋に入ってきたのだろう。
「……なるほど。一理はある、かも」
「じゃあ、私の師匠の分の報いも今回で受けさせる。絶対」
故に彼は——、一羽の蛾を手で包み込むように捕まえて——
「判決は絶望だな。他人を犠牲にして叶えようとしてるアイツらの願いや頑張りを、これ見よがしに粉微塵にしてやるのは愉快だろうし」
「——姫様の夢や希望を守るとかにすれば聞こえがいいのに」
「はは……ガラじゃねぇだろ、そんな物……守りきれた試しも無いんでな。いつだって、壊す方が楽だ」
春の下に、虫二匹。
慮って彼の背を追っていた一人の少女は彼の横に並び立ち、窓を開けた。
吹き抜ける風は春の夜の薫りを運び、蛾は何事もなく夜空へ羽ばたく。
蠢く者も、また——それぞれ。
断頭台のデュラハン~和平調印と駒語り~
続。




