騎士と兎。3/4
策謀の宴を後にした。と、時を少し進めて物を語る。
紆余曲折、イミトの肉体に起き始めた密やかな異変を隠しつつ王族や騎士団長らと軽い挨拶や取るに足らない会話を交わして自室にセティスと共に戻ったイミトは、ちょうどクレアやカトレアと同じ頃合いに同じ話題について言葉を交わしていた。
「俺の身体の方にも心臓の代わりになってる魔石はあるが……魔力核はクレアの方にある。普段はアイツから魔力の供給を受けて物体創生なんかをやってるが、今はそれが出来ない状況だ」
ぐったりと寝室のソファーに座り込み、見るからに疲労困憊の様相でタオルを顔に掛けて布地越しに天井を見上げているイミト。両手に握られているのは、これまでに彼らが倒した魔物の魔石なのだろう。
掌から体に取り込んでいるように魔石からは黒い瘴気が零れ、それらをイミトの肌が呼吸をするように吸収していく。
「……なるほど。それで残存魔力の補給が必要な飢餓状態に陥っているという事。師匠が持っていた資料で読んだことがある」
無表情ながら傍らでその光景を見守っているセティスは、その口ぶりからも呪いを食べているようだと評するに違いなく、未だ薄紫色のドレス姿の彼女は彼の代わりに口直しの紅茶を淹れる。
「ああ、まぁ小難しい言い方だとそんな感じだな。自分の身体に残ってる魔力じゃ、精々とさっきみたいに剣一本くらい雑に創るのがやっとって所だ」
そうこうとしている内、やがて魔石が消えうせるまで魔素を吸い尽くしたイミトは顔に被せていたタオルを剥がし、ソファーから上半身を起き上がらせた。
最初に目に付いたセティスが淹れた紅茶に角砂糖を一つ。小匙で掻き混ぜて紅茶のカップの取っ手を指で摘まむ。
「あんまりハシャギ過ぎると動けなくなるだろうよ」
「クレア様の方に異常は無いの?」
そして疲労の吐息を突きながら自嘲の笑みで静かに啜られる紅茶。普段通りを装おうとしているものの、装おうとしている辺りが不安要素でしかなく、セティスはチラリと横目を動かして感情を吐露する。
「まぁ、俺みたいに魔力が枯渇するような状態にはなって無いだろう。ただ、俺の体には魔力を増幅したり変質させたりする機能があるらしい」
「クレアはクレアで、色々と力の制限は出てきてるとは思うぞ」
そんなセティスを尻目に、また深々とソファーに倒れ、背もたれの淵に片腕を乗せるイミト。上着を脱いだ礼服の堅苦しい襟元を乱しながら自分なりの予測を口にして。
「二人で一人……和平調印式まで持つの?」
「なんとか持たせるさ。余分に魔石も持ってきてるしな、補給の方に問題は無い」
「いちおう念の為、後で強硬手段用の魔石も半分こっちに渡しといてくれ」
「……分かった」
セティスと今後についての話を端的に応対していき、ふとベランダへと通じる窓側を眺め、重苦しく夜の闇を防いでいるように佇んでいるカーテンに想いを馳せる。
「それにしても……よくそんな状態でアルバランの王子に大見得が切れた。結果として上手く行ったけど、一歩間違えば反逆者」
「男の子ってのは見栄とハッタリで生きているもんさ……」
見えざる外の景色、今は内側、思い出話を始める暗躍者。
「難解……理解不能」
「あ、そういえばサムウェル……さんが尾行に動くのが何で分かったか聞いて無い」
セティスは不意に忘れかけていた疑問点を思い出し、率直に彼に問う。
すると彼は、素朴に戸惑い、聞かれるとは思ってなかった理由について考え始めた様子で。
「ん? ああ……今日会ったばかりとはいえ、サムウェルとは顔見知りだからな。下手に疑ってるとバレないように偶然を装って俺に話しかけられて、自然に情報を手に入れられるだろ?」
「相手の身になって考えると穏便隠密に監視するなら、人当たりの良さそうなサムウェルが適任だってのは、直ぐに思い付くもんだ。体裁を考えるなら最善手だしな」
「……なるほど。納得」
「他に何か聞きたい事があるか?」
揺らぐ紅茶の水面に目を落とし、静かに啜り瞼を閉じる。
気怠くティーカップをテーブルに置いたイミトの後を追い、彼女もまたそれを置く。
そして答え代わりに立ち上がり、薄紫色のドレスの裾が動き出す。
「……沢山ある。けど今は良い、イミトはゆっくり休むべき。私もこの服は窮屈だし、シャワーを浴びに行きたい」
コツコツと履き慣れてきた高いヒールの靴を歩きながら脱ぎ、彼女は首を傾ける。
「そりゃ良いな、待つのが面倒だから一緒に入りたい所だ」
その様を背後にいる男は鼻で笑い、目線でですら彼女を見送らぬようであった。
——だからなのかもしれない。
「——……そうしたいなら拒否はしない。イミトは呪いを解いてくれた恩人……私に出来る事は何でもするつもり。それに背中を流しながら話を聞くのも合理的」
床に僅かな衣擦れの音を立てて薄紫のドレスが堕ちたのは。きっと矜持を嬲られた苛立ちが産んだ、些細な反抗、気の迷い。
ほんの少しだけ、彼の顔色を見ないまでもイミトに振り抜くセティス。
「……は、そんな売春初日みたいな女に迫るつもりはねぇよ。さっさとシャワー浴びて来いっての。風邪ひくぞ」
「……そう。少し残念」
イミトは、ただその日——セティスの若く艶やかな背にも大きな傷跡がある事を知った。
と、今はそれだけ描写する。
「恩はクレアに返せ。それから俺の予測が正しけりゃ、明日お前の師匠の仇のアーティー・ブランドと戦う事になる」
「アレも相当強いんだから、せいぜい死なないように備えてろ。休みが必要なのはお前もだろ?」
そして部屋に備え付けられている浴室に足を進めるセティスを尻目に、脱ぎ捨てられたドレスを拾う。拾ったドレスはソファーの背もたれに整えられて掛けられて。
「——うん。分かってる」
こうしてセティスが最後にイミトに振り返った時、彼の背中は右手を挙げて別れを表すと共に窓際に歩き始め、彼らしく己を嗤っていた。
「明日、お互いに死ななかったら御褒美に遠慮なく可愛がってやるよ」
「見栄とハッタリ。どうせイミトは何もしない」
セティスの口角が少し持ち上がったのは、何故なのだろう。
彼が信頼に足る人物であると思えたのと同時に、何処か呆れて切なげにも瞼を閉じる。受け入れらなかった裸体のまま、浴室の扉の中へと消えていく。
「……どうかな。正直、今は性欲に現を抜かす余裕すらないんでな」
去り際、窓に掛かるカーテンを僅かに捲り——彼は呟いた。
夜の闇は何処までも続き、中央議会城の客室から遥か下の地表に広がる人々の営みの灯りは、蛍火のように儚く世界に広がっている。
「さて……こっちの準備は万端とは言えないが、向こうはどうなってる事やら。そろそろ、カトレアさんがユカリと話を始められてる頃だと思うんだけど」
そして彼は目を瞑り、己の闇に心を浸す。
黒い画板の如き脳裏に浮かぶ論理が、切り取られた写真を張り付けていくように構築されていくのであろう。




