因縁の顔色。1/3
——とはいえだ。
己が胸に滾らせる復讐心を薄紫のドレスを纏う魔女セティスが優先せずにイミトの指示に従ったのは、彼に対する信頼と恩義があったからに他ならない。
「サムウェル……様」
突如として現れたアーティー・ブランドに誘われるままイミトがパーティー会場を去って直ぐ、後を追うようなタイミングで動き出したサムウェルを見つけたセティスは申し訳なさげに声を掛ける。
「‼ はい、えっと……私に何か御用でしょうか? その……お嬢様」
ミュールズ護衛騎士団員の騎士サムウェルは、さぞかし驚いた事だろう。ここでハッキリと明示するが、尾行の標的として指示されたばかりの相手を追おうとした矢先、早速と声を掛けられ足止めを喰らってしまったのだから。
そして何より——
「セティス。覆面の魔女の。夕方にイミト……姫を護衛してきた冒険者と一緒だった」
「ぁ……これは失礼いたしました。覆面でお顔を拝見する機会が無かったものですから」
足止めをしてきた相手が標的の仲間であったなら尚更——若き騎士サムウェルは、その若さゆえに目を泳がし、去っていった尾行相手に残心しながら仕方なくセティスへの応対に移行する。
その僅かな感情の機微、魔力の揺らぎをセティスが見逃すこともなく、彼女は無表情ながら困りごとを抱え、相談をしようか遠慮がちに躊躇っている様子を装いつつ、脳裏に積み上げている思考作業を加速し始めて。
「(……あの化け物は一体、どこまで状況を読んでるのか分からない。どうして騎士団長たちがサムウェルを尾行役に選ぶと分かったのか謎過ぎる)」
騎士サムウェルの戸惑いからイミトから与えられていた予測を確信の物と変え、心内で冷や汗を一筋。まさに化け物、或いは怪物。
何を何処まで如何に考えて行動しているかすら及びもつかないイミトの思考論理に、この時のセティスは畏怖すらも覚えていた。
しかし今は、そんな彼から託された使命を果たさねばならない。
「それで如何いたしました? 私に何か?」
些か白昼夢に陥ったように茫然としてしまった顔色を伺ってくるサムウェルに、ハッと我に返ったセティスはイミトに負けじとと本腰を入れて思案を始めるのだ。
——時間稼ぎ、足止め。それらに類する全てについて思案する。
「イミトの姿が見えなくなった。お忙しい所、申し訳あり……ませんけど、頼れる知り合いをサムウェル様しか知ら……なくて……出来れば一緒に探して頂きたく」
その結果導き出したのは、或いは逆転の発想だったのかもしれない。
敢えて差し出す渡りに船。
尾行を命じられている相手を探すという事、そしてイミトの動向を彼自身の仲間が全く知らず安易に彼らを疑っている騎士に探させるという行為。
「(さて……どうするのかな)」
飛びつかない訳がない。
「——そういう事でしたら協力させて頂きます。イミト殿ですね、では私と共に参りましょう」
恐らく一考の後、返事をしたサムウェルはそれが罠であり強烈な足枷、泥船であるという事実にまで考えは至らなかったのだろう。すぐさま彼は何かしらの理由を付けて断るべきだったのだ。
それを彼は身をもって知る事になる。
「(……悪手。これで、もっと時間が稼げる)」
「どうぞこちらへ。セティス様」
後に功を奏す、疑心のオブラート。これまでの経緯、会話から——居なくなったイミトを探すというセティスの行為に不自然さは無く、彼女が尾行の邪魔をしているという邪悪を指摘する証言証拠はなくなった。
手に入れたるは大義名分。
「……なぜ外? この広い会場に、まだ居るかもしれない」
加えて体裁の為、彼らは姫の命を救った恩人であるイミトを監視して尾行する腹づもり、無礼を働いていると勘づかれたくはない立場。彼女はそれも利用した。
何も知らぬ素知らぬ顔で騎士サムウェルの服の袖を弱々しく引っ張り、会場の外へと向かう合理的な説明を求めるのである。
「ぁ……っと、先ほど、外に向かわれるのを見た気がいたしまして」
「(……イミトと話している時より気楽で良いかも)」
まさかサムウェルが彼の仲間の目の前で、イミトを監視し尾行している途中だったと言えるはずも無し——彼は既に蜘蛛の巣に捕らえられた虫の如く、セティスの掌中で動きと行動を支配されていると言って等しい状況に陥ってしまっていた。
「でもイミトは、お腹が空いてると言っていた。知り合いも居ないから、食事の無い外に出ていくとは考えにくい。それにさっきまで外の空気を吸いに誰も居ないテラスに出ていたばかりだし」
自身も監視されていたであろう行動と整合性を取りながら、つらつらとサムウェルの行動の出鼻を挫いていくセティス。
徐々に徐々にと、サムウェルの表情が刻々刻々と時間を追うごとに曇っていって。
「えっと、お手洗いにでも行かれたのかもしれないですよ。それで迷って会場の外に」
「さっき会場内にある手洗いから帰ってきたばかりだから、それも無い」
「——……」
だが、イミトを探しているというセティスの言動に悪意を感じる要素は無い。
本来ならば、イミトの尾行役が己であるなど彼女らには分かりようも無い事。
知る由もないことのはず——彼が騎士団長から尾行を命じられたのは、たった今しがたの事なのだから。
そして、ただでさえ街に到着したばかりな上、貴族が溢れるこの会場に知り合いも少ないだろうセティスが知り合いの己を頼ろうとした事実に何の違和感もない。
——これらは全て、狂気に近しい未来予測が行われていないという前提があっての話ではあるのだが。
そうして、セティスに返す言葉を失い、圧倒的な窮地に陥るサムウェル。無駄に費やされる時間、果たさねばならぬ任務、責任感が心の余裕を奪っていく。
それを見かねてか、新たな動きが派生した。
「サムウェル、どうした? 何か問題か?」
声を詰まらせるサムウェルに見るからに同僚と思われる年上の騎士が話を仕掛けてきたのである。
警備上——何か揉め事が起きたのではないかと気に掛けたような素振り。
普通の観点から見れば、違和感こそ見当たらないのだろうが、それでも懐疑的なセティスの瞳には何処か作られたお芝居のような響きも見て取れていて。
「ああ、こちらのセティス殿が例の姫を救った冒険者のイミト殿を探していて」
「(……十分に時間は稼げたと思うけど。騎士団長の指示かな、これ以上は無理)」
言葉を交わし始めた騎士二人、その状況を黙して待ちながらチラリと視線を向けたのは王国騎士団長グラウディオの佇まい。素知らぬ顔で他の騎士や貴族と談笑を交わしているが、その背後に控えるミュールズ護衛騎士団長リオネスは周囲を警戒し、さりげなくコチラを意識して談笑には似つかわしくない顔をしている。
それをセティスが認識したと同時刻——
「そうか。そちらは私が協力しよう、お前は警備見回りの時間だ。まず役目を果たせ、ただでさえピリピリしてるんだ、騎士団長にドヤされるぞ」
「ああ……というわけで申し訳ありませんがセティス様。こちらの騎士にイミト様を探してもらってください」
目の前の二人の騎士の会話が終わり、再び物語は展開し始める。
「分かった。忙しいのにゴメンナサイ」
疑われている現状、ここで足止めの為に食い下がれば、今後の立ち回りが難しくなる。イミトの指示を思い返しながら、セティスは微笑むサムウェルに頷き、彼の仲間の騎士に視線を送って。
「では——」
一安心、憂いなくセティスに別れを告げて少し速足で歩き出したサムウェル。
その背を見つめながら、セティスは考えていた。
「(……どうしてもサムウェルに追い掛けさせなきゃならない理由でもあるのかな。後でイミトに聞いてみよう)」
ここまでの王国騎士たちの動向を完全に掌握しているが如く予測していた男の思考論理と、その男が向かった先で何を手に入れてくるのかをセティスは考えていた。
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