城塞都市ミュールズ。3/4
「ああ、姫さ……ま」
そこに居たのは思わずイミトが素の人格に戻りそうになる程のマリルティアンジュ姫であった。しかし草原で最後に見たドレスよりも豪華で美しい身だしなみに、思わず別人かとも見紛ってしまったがそれでも見惚れる事もなく素が出ぬように堪えて耐える。
ここで一つ、先んじて描写をするとマリルティアンジュ姫は未だイミトの外面を知らない。
「マリルティアンジュ姫、険しい旅より健在の方を受け……このアディ・クライド、真に嬉しく思います」
「アディ……ありがとう。しかし貴方や他の騎士や従者の家族の気持ちを考えれば、健在とは言い難いと存じます。いっそ、不甲斐ない私を責める言葉の一つでも掛けてください」
伏し目がちにイミトの傍らを通り抜け、並び立つマリルティアンジュに傅く聖騎士アディ・クライド。そんなアディに対し、マリルティアンジュは姫らしい振る舞いで跪いて彼の手を取り、哀しみを共にする表情で贖罪を乞うた。
「何をおっしゃいますか、姫の心の痛みに比べますれば——何より、姫を身命賭して守る事こそ騎士の務め。忠義を果たしたカトレアも他の者たちも、姫の命あればこそ心穏やかに憂いなく神の下へと向かえるというものです」
「……イミト様、既にお聞きになっているかもしれませんが、こちらのアディは私の騎士カトレア・バーニディッシュとは、とても親しい幼馴染なのです」
そして彼女らは挨拶を交わした後に立ち上がり、改めて置き去りにしていたイミトへと振り返る。マリルティアンジュは未だ伏し目がち、聖騎士アディとの関係を紹介しながら彼女はようやくイミトを顔を見るに至る。
そして——、
「そうか……なるほど。カトレア殿の死は、守り切れなかった私の責任でもある。恨むならば、姫ではなくこの私を恨んでくれ、アディ殿」
「——⁉」
彼女は気品よく伏し目がちだった目を大きく見開く。やはり紳士的に胸に片手を当てて、敬服し祈祷するイミトの大人びた様が、あまりに衝撃的な変貌であったのである。
「……これは——カトレア殿が身に着けていた遺品だ。良ければ、彼女のご家族か貴方が持って居るべきだろう」
そんな今にも頬に戸惑いの冷や汗を浮かべそうなマリルティアンジュを尻目に、イミトはアディの気を引くように腰のベルトに付いてた小物入れに手を伸ばし、こんな時の為にカトレアから強奪まがいに回収していた遺品(嘘)を取り出し、話を進めた。
「リオネル聖教の……ペンダントか。間違いなくカトレアの物だ……感謝する、イミト・デュランダル殿」
「……」
それをイミトから受け取ったアディは、ひと時ほど掌の上のペンダントをジッと見つめ、込み上がってくる度し難い感情を懸命に抑えた困り顔でイミトに感謝を告げて。その表情を傍らで魅せつけられたマリルティアンジュも、心に隠している様々な罪悪感を露に悲しみを思い出したような表情。
しかし、虚言に塗れているイミトに然したる罪悪感などある訳も無く、
「それより姫様。長旅で疲れているでしょう。この城の客人である私が言うのも憚られるが、まだお休みになられていてはどうか? 見た所、顔色も優れないようだが」
彼はアディが喪失に気を取られた隙を突き、暗にマリルティアンジュに自身の偽りの外面に取り乱す事の無いように釘を刺す。作られた愛想笑いだろうとは到底思えない優しげな微笑みは、矛先に毒を塗られた槍のよう。
「え、あ、いえ……イミト様が騎士団長や私の兄様に事情の報告をすると聞き、私も同席せねばと思いまして。体の方は問題ありませんので、どうかお気になさらず」
その危険性にハッと我に返るマリルティアンジュ。声に引かれるままイミトへ視線が動きそうになった目を咄嗟に逸らし、悪寒に蠢きそうになる心臓あたりに手を当てて戒めつつ王族仕込みの愛想笑いで場を凌ぐ。
「(……セティスといい姫様といい、念話が使えりゃあな)」
しかしそれでも、イミトからすれば余計な誤解を招きかねない拙さが見て取れる。内心、辟易と人間の不便さに息を吐きそうになっていて。
けれど、そんな折——
「足止めをして申し訳なかった、きっとバディオス王子も王国騎士団長も待っておいでだ。遅れた理由の報告も含め、私も同席させていただきます」
図らずもイミトに会うべく待ち受けていたアディの用件が終わり、話は再び既定の路線へと進み始める。先ほどイミトが用いた虎の威も功を奏したのだろう。
そして——、
「——で、では参りましょう、私が案内を致します‼」
彼らは歩み始める。有名人に相対した緊張を露にした騎士サムウェルが先導する先——王国騎士団長を始めとした御偉方が待ち受ける——イミトにとっては最初の戦場の香り漂うその部屋へと、彼らは歩み始めた。
***
しかし、王国騎士団長グラウディオとの邂逅は割と肩透かしという評価を与えるに否めなかった。
「(さて……ここからは、どうしたもんかな)」
「(大部分の説明を姫に任せて、たぶん問題は無かったけど……)」
というのも、悪辣で態度の悪い印象を持って居たイミトに何一つと任せるつもりが無かった様子のマリルティアンジュが、事前に用意していたかの如く奮起し、次々とイミトも異を唱えない程の作り話も交えた事情と経緯の概ねを語り尽くしてしまったからである。
「——という理由から、私たちは嘆きの峡谷を抜ける道を選択したという次第です」
椅子に真面目に座り、テーブルの上で両手を組んでいなければ拍手喝采と打ち鳴らしそうになる程に見事に話を結ぶマリルティアンジュ。そのおかげか、イミトに他の人物を観察できる心の余裕も生まれていて。
——故にイミトは思考する。
「危険な判断、とは言い難いな……まさか人に化ける魔物が居るなどとは——」
その場に居るマリルティアンジュの兄である——バディオス王子が精悍な瞳を悩ましげに閉じてゆくのを横目で見届けつつ、背後の気配までも探る。
「(……聖騎士が近くに居る手前、証拠もないのにレザリクスの名前を出すわけにも行かないし……姫様ばっか詳しく話してても怪しまれそうだ)」
背後に控える聖騎士アディ、そして草原で出会ったミュールズ護衛騎士団長リオネス。バディオス王子の横に立つ——見るからに威厳に満ち満ち、相応の戦気を内に滾らせているように見える王国騎士団長グラウディオ。
錚々《そうそう》たる顔ぶれに囲まれながら、いよいよとイミトは悟られないように息を飲み——そして袋小路に陥っているような雰囲気の場に置かれていた水も飲む。




