嘆きの峡谷。1/4
——とはいえ、嘆きの峡谷で語らねば出来事はまだまだ続いていた。
「あー鬱陶しい‼ 数だけの連中が、こうも続くとな」
魔力で創りし黒い槍で、峡谷の谷底に蔓延る狼型の魔物の群れを凌ぎ抜き、時に振り払い、時に突き刺し、河原のような巨石や砂利の道では無い道を跳び回りながらイミトは先を往く馬車を探して駆けていた。
「それで片付けたと思ったら——……」
そして、ひと段落と狼の魔物の最後の一匹の頭を鎧を身に着けている左腕で抑えつけながら地面の岩ごと垂直に貫き、次に彼は背後に迫る獣の慟哭に目を配る。
「「フシュゥールル……」」
そこに居たのは二体の筋骨隆々な猿に似た魔物。鼻息を荒く、真っ赤に染まる眼光でイミトの動きを注視していて。
「今度はパワータイプの誕生で時間が掛かって、数だけの連中が増えていく訳だよ」
二足歩行生物とは言えど、その前傾姿勢と長く太い前足、憎悪に満ち満ちた赤い瞳の滾りを見れば、恐らく戦いは避けられないであろうという事は明白。
如何にも剣呑とした雰囲気に辟易としながら、黒い煙に変わる狼の魔物の心臓たる魔石を回収し、イミトは巨猿の魔物と向き合いつつ肩に槍を乗せる。
そして——、
「クレアは魔力感知の圏内……つーか、わざとギリギリの速度で中に居るって感じだな」
イミトが威嚇のように身の内に滾る魔力を放出し、自らが進むべき方向を魚群探知機のソナーの如く感覚で探れば、
「バオォォォン‼」
その威嚇を受けた巨猿が意趣返しの如く雄叫びを上げて、ドシリドシリと重そうな腰を徐々に速度を上げて分厚い太腿を回し、やがて猛烈な勢いで突進してくるのだろう。
故に、イミトは妙案を張り巡らせたのだ。
「よっと……心配性なのか意地が悪いのか……【秒位利息・ウィズ・貧民圧殺】」
心ここに非ずな面持ちで、何も持って居ない鎧の左腕に灯した黒い小さな渦。
それは、これまでの物体創生とは違う動き。黒い渦のまま巨猿の内の一体に軽く放り投げられると小さな渦は同じ程に小さな棘付きの球体へと変わり——
「ブホっ⁉」
そして巨猿の眼前にて振り払われようとした矢先、爆発的に膨れ上がって巨大な鉄球の本性を表す。勇ましく咆哮を上げていた巨猿も、その状況の変化に思考が追い付かず球体の凄まじい膨張に押され、後方に押し退けられる形で態勢を崩したのである。
——それが、まず一つの段階。
「【秒位利息・連動過料】」
更に二段階、膨れ上がり巨猿の一体を圧し倒した鉄球を前に槍を突き出したイミトがその場で足区部を軸に自転を始めれば、黒い槍の先から鎖がジャラジャラと飛び出して鉄球と繋がり、イミトの体の回転と共に円を描くように鉄球は引き摺られて動き出す。
「——バルブシッ⁉」
それは——あまりにも強烈な一撃だったのだろう。鎖に繋がれた回転によって遠心力を付与された鉄球は、回転円の軌道上に踏み入っていた巨猿の残り一体を明確に捉え、生肉が叩きつけられ水が鈍く弾けたような鈍響を打ち鳴らし、体勢を崩して転がっていたもう一体の猿と共に吹き飛ばす。
「良いな。これで薙ぎ払いながら追いかけるか……いや」
満悦に余りある結果。一瞬にして場を制圧したイミトは、余った時を思考に当てがい、次なる策を思いつく。と共に回転を続け、まさにハンマー投げの様相で槍に付いた鎖鉄球を振り回し続け——
「これで————どうだ‼」
やがて進むべき方向に鉄球を解き放ち、同時に大腿筋がハチ切れんばかりに全力で岩ばかりの河原を駆け出して飛びゆく鉄球に追い付き、棘を足場にしがみ付く様相で乗り上がったのである。
「うしっ、これで馬車を見つければ——居た‼ やっぱり空を走ってやがったか」
空を猛烈な勢いで飛行する鉄球。その頭上にて屈む体勢から見据えた先で——同じく空を歩く馬車を見つけたイミトは、歓喜の声を漏らしながら悪態をも噴出させた。
しかし、だが、或いはやはり、
「ん——……なんだ、アイツ?」
『そう易々と勝ち馬には乗らせんよ』
——彼女が、そこに居るのである。
彼女もまた馬車の位置を感覚で把握するイミトと同じく、イミトが猛烈な勢いで近づいた事に気付いたらしく、脳裏に届くクレア・デュラニウスの声。
「クレア‼ アイツまた——‼」
クレアの不敵な声色に他の事に気を取られ、反応が遅れたイミトの視線の先には、馬車の天井にて佇む漆黒の存在があった。
その存在を始めに認知した瞬間——想起したのは嘆きの峡谷に至るまでに倒したクレアの魔力が生み出して兵士ではあったが、何処か違う。
見るからに武骨で強者の風格を漂わせる漆黒の全身鎧の騎士姿。
威風堂々と巨大な黒い大剣の剣先を馬車の天井に置き、剣の柄の尻に両手を置いている佇まい。そんな存在が、首を上げて骸骨の顔を覗かせて憎悪に満ちた赤い眼を滾らせる。
刹那——イミトは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
「‼ 速っ——ぶねぇっ⁉」
馬車の上で直立不動だった漆黒の存在は、イミトの姿を視認するや否や、黒い鉄球めがけて馬車の天井から跳び上がり、瞬く間にイミトの眼前にて剣を振り抜く。
さしものイミトも突然の危機に際し思考する暇もなく鉄球から背後へと離脱するが、逃げ切れなかった鉄球は物の見事、真っ二つに斬り捨てられて。
そこでようやく、クレアが得意げに漆黒の存在について語り始めるのだ。
『我が直々に操る特別製のデスナイトだ……先ほどの玩具のようには行かぬぞ‼』
「ちっ‼ お人形遊びはパパやママとやって欲しいんもんだな」
描写こそしなかったが、イミトは割かし魔物と比べれば嘆きの峡谷に至る前にクレアの作り出した死霊騎士たちには苦戦を強いられていた。あらかじめ決められていたのだろう反応や行動パターンを詳細に把握し、三体の死霊騎士の連携を崩して計画的に倒すことで何とか凌いでいたのである。
しかし現在、目の前に存在するデスナイトは、クレアの言葉を聞くに彼女自身が操る——言ってみればルールなき生き物。更に加えて操縦者のクレアは、百数十年は確実に戦場を渡り歩き、戦場の処刑騎士と恐れられる程の猛者と来れば、先ほどの死霊騎士三体などはクレアの言葉通り玩具でしかない事は明白。
「良いぜ、ラスボス……こちとら、負けたくないから戦わねぇ程の負けず嫌いだ。たまには正々堂々とやってやんよ」
よって頬に一筋の冷や汗を滲ませつつ、槍の長い柄を握り締めるイミト。彼も不穏な気配に強がり不敵な笑みを浮かべデスナイトへと対峙する。
「ふん。よかろう……ソヤツを倒せれば、此度は貴様の勝ちとしてやる」
どのみち越えなければならない敵とはいえ、槍を構えたイミトの意気に、止まったままの馬車に居るのであろうクレアは敬意を示す一言。ここで足止めをせず、決着を付ける心づもりになったのは恐らくはその敬意の為なのであろう。
——だが、イミトは言った。
「あっ……いや、勝利条件を変えるのはナシで」
そんな配慮は要らないと。
『「……」』
沈黙するデュラハンの二人。錯綜する思惑、呆れたような入れ違い、勘違いで意図せず進む思考、展開。クレアもまた、イミトが考えていたであろう屁理屈めいた計略に気付き、言葉にせずに自身が放ったイミトへの敬意を考え直す。
そして——、結論。
『殺せ‼ デスナイト‼』
クレアは完膚なきまでにイミトを叩きのめすことにした。




