ハイリ・クプ・ラピニカ。4/4
ゆるりと立ち上がり、眼の全てを染め上げる赤い凶光、憎悪を滾らせる表情の彼女は頭部に長い兎耳を生やしながらイミトらから距離を取るべく後方に凄まじい勢いで跳んだ。
「「……」」
「兎ふふふふ、ソッチから復活の手伝いをしてくれるとはねって」
口から垂れた唾液を腕で拭うカトレアの声は、彼女の物であって彼女の物に非ず。
恐らくは彼女の魔力で形作られているのであろう長い耳、そして全身を覆い始める白い体毛も、カトレアの胸に埋め込まれた魔獣の姿そのもの。全身前のめりの前傾姿勢も威嚇のように、イミトらに向けて刺々《とげとげ》しい魔力を解き放っている。
だが——、クレアらは実に平然としていた。
「先に行っておくが、氷は作れんぞ。この部屋の魔法陣は氷の軸となる水の魔素を吸収する仕組みになっておる」
「ああ、そういう事か。それは確かに都合の良い場所だな」
燭台の灯に照らされ、鈍い鉄の煌きを魅せる魔法陣を背に躱される会話は妖しく灯り、
「逃げようとしても斬る。貴様に選択肢など無い事は理解しておけ」
床に投げ捨てられたカトレアの剣の頭上では、黒い魔力で創り上げられるクレアの剣が絶望の光を炙り出す。
だが、だがそれでも憎悪に駆られた兎の魔物はタカを括った。
「……デュラハンと人間。私なんかを警戒してるのかピョン? ウケるピョン」
彼女には優位性があったのだ。己の宿る体が目の前の憎き奴らにとって仲間であるという事実を誤認して優位性があると思っていたのである。
「それとも——この人間がそんなに大事ピョンか? 兎ふふふふ、ひゃははは‼」
「「……」」
「「いや、全く以ってどうでもいい」」
「え?」
故に、彼らの返答が音を広く収集しようとする長い耳に馴染まない。
「おおむね、貴様の想定通りの小賢しさだな、イミトよ」
「まさか兎のキャラ付けにピョンを付けてくるとは思わなかったけどな」
「では事前の打ち合わせ通り、サッサと片付けるか」
驚くほど冷淡に、兎の魔物の脅しを叩き返し、食前の運動とばかりに兎の魔物を全く意にも介さずに会話を進める二人のデュラハン。
「……もしかして私が、この体の持ち主ごと自殺出来ないとでも思ってるピョン?」
「それなら——」
見くびっていたのだ。カトレアの胸の内に潜み、機会を窺がっていた凶暴な獣は五本の指先を鋭く硬めながら。まだ出会って一日すら経ていないカトレアですら知っている凶刃をいとも容易く突き刺せるデュラハンの事を。
「やかましいわ」
——自身が知るニンゲンだとタカを括って
「うっ——え……嘘」
そうして気付いた時には胸の少し下、鳩尾から腹に掛けて縦に深く突き刺さるクレアの漆黒の大剣。それは深々とカトレアの体を貫き、軽々と彼女の肢体を持ち上げて。
「貴様は我らの質問に答えればよい。立場を弁えよ」
イミトの抱えるクレアの兜の隙間から垣間見える眼光は赤く煌き、
「安心していいぞ。死ぬことは無いらしい、そいつの体はアンデットだからな」
通常のデュラハンの体には存在しない首から上の顔は、実に気怠そうに視線を逸らして言葉を其々《それぞれ》言い放つ。
「あ、ああ……——痛いイタイぁ痛いぃぃぃ‼」
状況が理解出来ずに居た兎は、やがてようやくと気付くのだ。
——目の前にいる二人のデュラハンが、己などと比べようも無い程に狂気を抱えた怪物である事を。
「ああ、痛覚はあるのな。悪い、考えてなかったわ」
ジタバタと剣に釘付けにされて宙に浮く体を捩り、苦悶の叫び声をあげる兎にイミトは料理に調味料を入れ忘れていたような感覚で言い放ち、クレアも調味料を加えるように言葉を続ける。
「——これで我らが仲良くお喋りに来たのでは無いという事が分かったか」
「ワカッタ‼ 分かったから抜いて‼ 抜いてビョン‼」
「半濁点が濁点になったな。元気いっぱいだ」
「ふん。我は雷魔法も使えるが、ついでに味わってみるか?」
「やだ、やめて‼ やめてピョン‼ 分かったって言ったビョン‼」
ハイリ・クプ・ラピニカは絶望していた。そして呪っていた。
己がこれまで辿っていた波乱万丈な人生を、込み上げてくる苦痛と悶絶の繰り返しの現状で、あたかも走馬灯を魅せつけられているように。
こうしてボタボタと噴き出すように堕ちる赤い液体を床伝いに吸い寄せる赤い魔法陣の部屋にて、ここで以前行われていた悲劇惨劇を引き継ぐように彼女の悲鳴は仄暗い地下の奧で木霊していった。
——。




