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 どうして誰も教えないのだろう。人類は、もうどん詰まりだと。

(こう言いつつ、狂人以外、そんなことができるのは誰一人いないと分かっている。)


 宇宙進出の未来も、電脳世界の未来もなく、少しずつ先細って。


 終わりだ。


 核融合と人工光合成が実現すれば、あと少しはもつかもしれないが、見通しは厳しい。

(実現したとしても、結局は変わらない可能性の方が高い。)


 結局、科学は万能ではなかった。

(俺は転倒しているテレビをぼんやりと見ながら度数の高い酒を口に含める。それ以外、することがないからだ。)


 長年に渡って人を慰めてきた娯楽は、もう直に擦り切れ、伸び切り、詰まり切っている。現時点で。

 広大なインターネットですら、耐久年数が大幅に目減りし、既に動脈硬化を起こしている。

 再生産が繰り返されすぎた。そのペースが速すぎた。


 どこかで見た展開、どこかで聞いた話。どこかで知った希望と絶望。

 新規のものはどこにもない。

(スマートフォンを手に取る。しかしもう、この機械で時間を潰す意欲すら湧き上がってこない。)


 もう少しの間はもったいぶってもよかっただろうと思う。あと百年くらいは。

 なにしろ、未知こそが、人の原動力なのだから。

(あるいは、発展の余地があるという幻想が。)


 科学の限界と娯楽の限界を見切ってしまった人間に待ち受けるのは、無だ。絶望だ。ニヒリズムだ。

 何もしても無駄で、意味がないと。語り尽くされ、描き尽くされていると。要は飽きた、と。


 その現実から逃れることのできる、ほぼ唯一の方法が家族を持つことだが――

(――照明を反射する写真立て。)


 その小さな楽園は、安全ではない。決して。

 この小さな部屋は、こんなにも安全なのに。

 (そして、小さな動物のぬいぐるみ。)


 つまり、何が言いたいかというと――


 何を言いたいかというと――


 そういうふうに思っている人間は着実に増え続けていて、この世の危機で、そう、一人残された俺は、もう――

 (見ることができない。そこにあることは分かっているのに。見ることは、できない――)






「もう生き飽きて、嫉妬と絶望を抱えたまま生きていくと言うの?

 それでも、自殺だけはせずに。

 あるいは、本当に擦り切れて、自殺するまで。」


 (――――。)


「私は悪魔よ。ねえ、取引をしない?

 とっても魅力的なサラリーマンさん。」


 お前は誰だ、と尋ねようとした俺に、美しい少女は答えた。


 真っ白な空間の中、巨大な扉を背にした、山吹色に近い金色の髪をした、美しい少女は。


「あら、美しいだなんて。ふふ、ありがと。」


「ええそうよ。

 だから、私には嘘も隠し事も通用しない。」


「気を付けて喋りなさい?」


 考えていることが分かるのか、と問う前に口を挟まれる。


 であるならば。

 夢心地のまま、これが夢であると自覚しながら、俺は問う。


 悪魔の取引だというのなら、魂を引き換えにして、望みをなんでも叶えてくれるとでも言うのか?


「あら、せっかちさんね。」


「時間はたくさんあるから、もう少しゆっくり会話を楽しまない?」


「はいはい、もう、分かったわよ。」


 ――――――――。


「じゃあ、単刀直入に言うわね。

 現世に絶望してる独りぼっちのあなたに、私がとびっきりのエンターテイメントを提供してあげる。」


「そう、このまま生きていたら決して手に入れられない極上の娯楽と刺激よ。」


「欲しいでしょう?」


 表情をころころと変え、自称悪魔の少女は告げる。


 そして俺は、今度こそ言葉を失う。

 嘘も隠し事も、できるはずがなかった。


 それこそが、俺が心の底から願う、ただ一つの望みだからだ。


「ああ、とってもいい反応。」


「思わずキスをしてあげたくなるくらい。」


「ふふっ。」


「安心して。いきなり魂を奪うようなことはしないわ。」


「この世界とは異なる、魔法も奇跡も存在する、刺激的な世界であなたは冒険することができる。

 そこで命を落とした時、あなたの魂が私の物になる。」


「契約内容はこうよ。どう?」


 行く。


「ぷっ。」


「フフ、フフフッ。」


 行くとも。


「契約成立ね。」


「はいはい、そんなに急かさないの。もう。

 最初に、これだけは頭に入れておいて。私からのプレゼントよ。」


 ――頭に、言葉が――理解できる、力ある言葉がいくつも流れ込んでくる――


 ――【色彩・火球・狙・爆・朱】

  ――彩る・赫々たる火の天球よ・狙い・爆ぜよ・朱く


 ――【形象・清水・滴・冷】

  ――象る・清らかなる竜水よ・滴れ・冷たく


 ――【定言・治癒・塞・疾】

  ――断じる・遍く慈悲の癒しの手よ・塞げ・疾く


「それが、異世界の魔法。」


「魔法は、理法から乖離し、なお理法の一端として現れる事象。

 存在を彩り、象り、断じる魔法の言葉から成る魔法定式によって生じる乖離現象。

 人間が主体的に理法に干渉し、操作する力。」


「理法とは、世界を構築する法則。理。物と命、魂の枠組み。

 人にとっては、物質や空間、生命、精霊、魔法等として認識されているものの、根幹の奇跡。他の奇跡の、根幹。」


「魔法定式は、魔法を定義し、行使する。

 定式は第一節の干渉体系、第二節の基幹表意、第三節の述語成分によって成立する。干渉体系と基幹表意は不可欠で、大原則として一項ずつしか構成できない。

 そして述語成分は基幹の魔法に細分化した機能や多種多様な属性、強度を与えるものであり、魔法が許す限りにおいて複数の項を構成することができる。」


「一つの乖離定式において、述語成分の項の総数を乖位という。述語が一つなら一乖位、二つなら二乖位。体系と表意のみの場合でも、零乖位と定義される微弱な魔法現象は発生する。」


「乖位は魔法の位階そのもの。魔法は乖位が上がれば理法からの乖離が加速的に進み続ける。

 それは現実の時空において、魔法という現象の実現、その行使と維持の難度、そして魔法そのものが及ぼす影響力が等比級数的に増大することを意味している。

 つまり、述語成分の語義とは無関係に、魔法は乖位の段階が上がれば上がるほど強大になる。」


「魔法の干渉体系は、次の三つ。

 色彩魔法は定積のエネルギーの生成を司る、基礎の魔法。

 形象魔法は定量の物質の合成を司る、発展の魔法。

 定言魔法は定義された概念の具現を司る、終末の魔法。」


「少し長かったかしら? これは、魔法を行使するために必要な最低限の定義の知識よ。頭の片隅にでも知識として置いていたらいいわ。」


 そして遂に、空間を揺るがすような音を立てながら扉がゆっくりと開いていく。


「いってらっしゃい。」


 少女は告げる。


「生きてまた会えたら、今度はゆっくり話しましょう。」


「楽しみにしてるわ。」


 分かった。


 そういえば、お前の名前は?


「デイルよ。」


「悪魔のデイル。」











 空が青く、雲が白い。呼吸ができる。


 自分は自分であり、足が二つ、腕も二つ。右手と左手に指がそれぞれ五本。


 しかし、この目に映るのは、山のように大きな、青空に浮かぶ半球状の大地だった。


 半球の大地の一端から細い滝が流れ落ち、大気に散り、溶け消えていく。


「異世界だ。…異世界だ。異世界だ…。」


 浮遊する大地の下には高低差のない平野が広がっている。見渡す限り一面、背の低い植物に覆われている。


 そして、この自分という自我が存在する肉体は、丁度、平野を真っ直ぐ縦断する道に立っていた。


 地平が遠い。あまりにも。


 目を凝らせば、地平線と道に接する地点に城壁のようなものが見える。


 自身が身に付けているのは、フードのある外套と、一振りの剣。


「…剣。」


 無論、生まれて初めて手にする物体だ。他の生物を殺傷する武器。こうして与えられた以上、使う機会があるということだろう。


 悪魔を自称した少女はここにはいない。というより、周りには誰もいない。


 …魔法、と言っていたな。


 ――「【色彩・火球】」

  ――彩る・赫々たる火の天球よ


 明確に意思と共に、頭脳の中で、あの悪魔から与えられた魔法の成分――、なぜか意味の分かる不可思議な形の表意文字が組み合わさることにより、干渉体系と基幹表意が半自動的に組成され、理から乖離した現象が決定される。


 無意識的に中空に向けていた右手の先に赤橙色の力が生成され、目の前の道に向けて放たれる。その火球は鈍い音を出して弾け、仄かな光熱を撒き散らした。


「おおっ。」


 これが、魔法を使うということか。

 生まれて初めて使う非現実的な力に高揚し、浮ついた気分を抑えきれないまま、俺はこの現象について考察する。


 頭の片隅にでも、と悪魔は言っていたが、命がかかっているんだ。この未知の力を理解しないでおくなんてこと、できるわけがない。


 エネルギー源は? 燃費は? この火球をあと何回使える?


 …与えられた知識によると、これは自分が今持っている唯一の攻撃型の魔法で、最も微弱な零乖位の火球のようだ。熱はほとんどなく、火傷を負わせることも物を燃やすこともできないだろう。


 …エネルギーについては、これだけで体内の何かが僅かに消費された感覚がある。

 あえて言葉にするなら、コップに満たされた水が微かに蒸発して失われたような…。魔力、あるいは精神力と呼ぶべきものだろうか。


 次は、述語成分というものを含めて比較検討する。


 ――「【色彩・火球・狙】」

  ――彩る・赫々たる火の天球よ・狙え


 これが一乖位の火球の魔法。


 火球は数十メートル先の、特徴的な形をした小岩の尖った頂点を狙い、寸分たがわず命中した。

 威力は、最初と同じくらい弱い…、いや、若干増したようにも見える。


 ――「【色彩・火球・爆】」

  ――彩る・赫々たる火の天球よ・爆ぜよ


 最初の一乖位の火球と比べ、これは命中時に火球の光熱が二倍以上広がって爆発した。そしてやはり、威力そのものも上がっているようだ。


 ――「【色彩・火球・朱】」

  ――彩る・赫々たる火の天球よ・朱く


 命中精度と爆発範囲は最初と変わらず。しかし、火球がより赤々と光り輝き、当たって弾けた地面が焦げ付いていた。

 この述語成分は威力の上昇に特化しているということだろう。


 ――「【色彩・火球・爆・朱】」

  ――彩る・赫々たる火の天球よ・爆ぜよ・朱く


 そして、複数の述語成分を組み合わせた二乖位の火球の魔法。

 明らかに、爆発範囲も威力も、それぞれの一乖位の時よりもさらに増大している。恐らくは、あの悪魔が説明したように、乖位が上がったことにより魔法という現象そのものの強度が底上げされたということなのだろう。


 ――これがもし人に当たれば、確実に負傷する。当たりどころが悪ければ命を失うかもしれない。


 ――連続して魔法を使い、体の中の見えない何かが大量に消費され、疲れを覚える。もう、それは半分も残っていない。


「…面白い。検証すべきことは山のようにある。しかし、そろそろ行こう。行動しないと、始まらない。」


 これが現実であることを認識するために意識的に独り言を零し、自分の声を反芻し、遠くまで続く道を見据える。

 一体この先に、何が待ち受けているというのだろう…。




 久しぶりの長距離の徒歩なのに、ほとんど疲れがない。


 この体も、以前の私のものとは違うということか。

 随分とサービスがいいが、正直助かる。過労と不眠で心身が弱っていたからな。飲酒も多くなり、あのままだといずれアルコール依存になっていたかもしれない。身体ごとこちらに来ていたら、すぐに息を切らして情けない姿勢でうずくまっていただろう。


 …身体は違うが、俺は俺だ。では、この俺というのは何だ?

 …いや、やめておこう。今はそんな哲学的な疑問を呑気に考える時ではない。


 ――「【色彩・火球】」

  ――彩る・赫々たる火の天球よ


 ふむ…。先程の魔法で失っていた体内の何かが、歩いている内に何割か元に戻った感覚がある。

 どうやら、魔法のリソースは時間経過によって自然と回復するようだ。

 行動中にも回復するというのは、かなりフレンドリーな仕様と言えるだろう。


 随分と昔、子どもの頃に遊んだテレビゲームを思い出す。確か、ロールプレイングゲームというジャンルのゲームで、HPとMPの配分に気を付けながら、的確なタイミングでスキルや魔法を使って敵を倒していけばよかったように思う。


 …とても懐かしくなると同時に、死にたくなってくる。






 ……。


 ……。


 なんだこれは…。


 たどり着いた城壁の門扉が開いていた。

 だからそのまま壁の内側に入った。

 誰もいなかった。

 壁の上にも、門の前にも誰もおらず、無人だった。



 そして、石造りの建物が瓦解し、瓦礫が散乱していた。

 いくつもの人の死体と共に。


 遠目でもあれが死体だと分かる。その程度には体が変色し、変形していた。

 廃墟と死人が、俺が最初に目にした異世界人の痕跡だった。


「こういう出迎えか。大したエンターテイメントだな、悪魔。」






 ズン、


 という背後の音。


 反射的に振りむいた先に、まるであの有名な恐竜のように発達した後足と、小さく退化した前足を持った凶悪な姿を視認した。


 それは咆哮を上げ、轟音を立てる。こちらを見てすぐ、全速力で迫ってくる。瞬く間に距離が詰まる。


 怪獣だっ! あれは、モンスターだ!!!


 ッ……!!!


 俺という人格の一部は、それにどのようなカテゴリーを当てはめるべきかという問いを自ら設定し、すぐに妥当な答えを出すことに成功した。あれが怪獣であり、モンスターであることに疑いはなかった。そして、俺の一部は俺がどのような行動をとればいいのかも正しく理解していた。


 突然、過ぎてっ、体が、うごかっ


 しかし、大部分の俺は無力で、無様だった。




 暴虐の化身とでもいうような、圧倒的な暴力が近づいてくる。

 しかし俺の主体は何もできなかった。冷静な思考とは逆に、体の運動を司る部分は立ち竦み、不適切な状態に陥った。


 その間に、人一人を簡単に食いちぎることのできる位に大きな口が全開し、鋭利な牙が――


 ガシュッ


 硬く短い音を立てて怪獣の顎が思い切り閉じられ、自身の一部が永遠に何かが失われた。

 それでも、この体は最後の最後で生き残ることを諦めなかった。自分の足が、胴体を喰われる直前に地面を蹴っていた。


 辛うじて即死せずに済んだ。間一髪で命が助かった。普段は冷遇している自分の一部分に助けられた、という奇妙な感覚。


 残った胴体がモンスターの汚れた牙に当たって跳ね飛ばされ、宙を舞い、地面に叩きつけられ、何故か腕の半ばから大量の血をまき散らしながら何度もバウンドして体中に擦り傷を作り――


 ――それでも、俺という意識は失われない。


 腕がっ!?


 腕が!!


 腕がうでがウデガッ!!!!


 ――遅れてやってくる、激痛にならないような激痛――

 流出する血液。命そのもの。このままでは失血して、その前に、迫ってくるモンスターにとどめを刺されてしま


 逃げられなっ


 ――ここで、俺は、死ぬ――?


 死。


 死、死屍シシシしししし――




 『もう生き飽きて、嫉妬と絶望を抱えたまま生きていくと言うの?』


 『それでも、自殺だけはせずに。』


 『あるいは、本当に擦り切れて、自殺するまで。』


 『安心して。いきなり魂を取るようなことはしないわ。』


 『魔法も奇跡も存在する、刺激的な異世界であなたは冒険できる。そこで命を落とした時、あなたの魂が私の物になる。』


 『契約内容はこうよ。どう?』




 悪魔の、甘言…

 全てを根こそぎ奪う罠…


 まさか、自分は期待していたのか?

 自分勝手な、胸躍る冒険を…


 ――迫る、血を滴らせる大きな顎――


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