006
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客入りも照明も少ない喫茶店で、物々しい雰囲気の人間達が四人掛けのテーブルに着いて向かい合っている。
正確には、物々しいのは四人の内の三人だった。重い空気の中、陰鬱に遍話機に話しかけているファットの隣で、デイルだけはグインとシャネにケーキを差し出したり自分の飲み物を一口飲ませたりする等して一人で華やいでいる。
店内にはピアノ独奏のクラシックが流れ、彼らの会話を気にしている者は一人もいない。
もし耳をそばだてている者がいたとしても、追跡者ならば誰もが所持している防音の魔法のせいで一言も聞き取ることはできない。
傍から見るだけでは、暗い顔をした大人たちに対して、少女が気を利かせて場を明るく盛り上げようとしているとしか思えないような光景だった。
「…ああ、そうだ。被害者が更に増える可能性がある。なるべく早く頼む。…分かっている、明日中に支払う。…とりあえずそれでいい。」
ファットは橙色の暗い照明の下で疲れを自覚する。
あの後、病院の廃墟に到着した警察局の刑事たちとマニュアル通りに遣り取りを交わし、速やかに撤収した。それ自体は何の問題もなかった。
デイルが喫茶店で休憩しようと提案し、こうして顔を突き合わせるまで精神的な疲労を自覚できていなかったことが問題だった。
警察局。
それは、楽園の内、第二外環と第三外環の統治を代行する地下帝国の行政機関の一つ。刑事を含め、その職員は全て公務者という職能階級に分類されている。
公務者とは文字通り、楽園を運営する国家の公務に携わる者を指している。
警察も、軍隊も、役場の窓口職員ですら。
彼らの表情は能面のようで、動作は機械のようで、個人的に最も――
心ここにあらずといった様子のまま、手中の薄い魔導器の板に長々と続けていた会話を終え、ファットは深々と一息をつく。見咎められるような溜め息にならないように。
そして、デイルからミルクと砂糖入りのホットコーヒーを受け取って一口含み、通話が終わるのを辛抱強く待っていたグインとシャネの二人に向き合った。
「…タトタットへの追加依頼が完了した。過去の類似の事件と、人間の心臓が関係する迷信や宗教的儀式について、二、三日中に洗い出してもらう。」
「うん、分かった。それじゃあ、その料金は折半ということで。」
グインは濃いオレンジのジュースで口を潤し、目元を緩めて提案する。
「…助かる。」
生活費が尽きかけているファットにとっては、見栄を張って断るという選択肢はなかった。
「その新型の遍話機。経済的余裕は?」
澄んだレモンティーを傾けていたシャネは、ほとんど無感情で指摘した。
「…必要経費だ。これ一台あれば、十年は買い替えずに済む。」
「君がお店で、子どもみたいに目を輝かせていたってことを、僕はデイルちゃんから聞いたけれど? それは本当のことかい?」
「…まあ、うん。とりあえず、情報屋からの報告も含めて、互いにここまでで分かっていることをまとめよう。」
「君は返答に困ると途端に話題を逸らす癖があるよね。」
「単純。」
「はい、ご主人様。あーん。」
ケーキのひとかけらを口の前まで運ばれ、ファットが否応なしに餌付けをされてから本題に入る。
その時の同業者二人からの視線は生温かいというよりも寧ろ、珍獣を眺めるそれだった。
「犯行日時は六月五十日十八時過ぎ。場所はバーデイ段街、繁華街傍にある住宅区の路地裏――」
――殺害された被害者はテイデル・タジュー。バーデイ段街に住む五級製造者。
二百三十二歳の小鱗族、男性。出身は第三外環、ジリ地区。三十六歳で第二外環バーデイ段街に移住。独身で工場勤務を続けていた。親族、子どもはなし。
――殺人の容疑者はシージード・ギード。三級狩猟者、及び五級追跡者。また、九乖位魔法所持者。
八十八歳の麗人族。出身は楽園外の魔界領域。三十年前に単身で楽園に入境し、直後に狩猟者資格試験に合格。主に魔物の狩猟を生業とし、第二外環と第三外環を行き来する住所不定の生活を送っていた。駐車違反や器物損壊等、軽犯罪の前歴が五件あり。
結婚歴なし、親族なし。
――事件から十日後の本日七月二日早朝に逮捕され、魔法殺人の容疑で収監。一ヵ月以内に地下法廷で裁定予定。
複数名の交際相手が存在し、逮捕直前は第三外環マイトロント地区のヒマルリという女性宅に潜伏していた。
また、事件以前の数年前から、度々バーデイ段街でも姿が目撃されている。
――事件当時、バラバラの死体となった被害者の目前に、返り血を浴びた容疑者が立っている姿が目撃されている。
その目撃者が、ナウン・テス。バーデイ段街で生まれ育った五級製造者。二十四歳の女性で虹髪族。両親との三人暮らし。バーデイ段街の真下にあるイルンカ底街に姉とその夫、第一外環金龍王国に曾祖母が在住。
自身が働いている工場の所有者でもあり雇用主でもある、カンクナット・ライという四級経営者と交際中。
――なお、本日七月二日深夜、退勤から帰宅までの間に行方不明となる。現在は職務放棄の罪状で逃亡者として指名手配中。同時に、両親から捜索願が出されている。
――ナウンは事件現場を目撃後すぐに携帯遍話器で警察局に連絡した。その後の目撃証言によると、ナウンが大声で通報しているのに気付いたギードが、彼女に何もしないまますぐにその場から逃げ去ったという。
当日中に当局はギードを特定。犯行が直接目撃されたわけではなかったが、高度な魔法でなければあり得ない遺体の状態と、現場から立ち去った当時の状況から、一級殺人の容疑者として手配された。
「――タトタットからの追加の情報として、事件発生まで、加害者、被害者、目撃者の三者の間に関係性があるという証言と証拠は得られていない。以上だ。」
「ナウンが行方をくらませたのは、今日の何時くらい?」
グラス片手に、報告を黙って聞いていたグインが尋ねる。
「職場の上司からの通報によると、工場を出たのが深夜の一時。その日は本人のミスがあり、後処理で日付が変わるまで職場にいたらしい。そして、翌朝に出勤してこなかった為、自宅の両親に連絡。それでようやく行方が分からなくなったことが発覚した。」
予め答えを用意していたかのように、淡々とファットが答えた。
「ほぼ黒。」
「目撃証言がわざとらしいね。行方不明になったタイミングも。」
すると、目を細めてシャネが端的に推測を述べ、デイルが賛意を示した。
「その場合の、交際相手のカンクナットの関与は? 自分の雇用者が恋人なら、命令されたら従うしかないような不平等な関係かもしれない。…完全な偏見だけどね。」
グインがその推測に慎重に補足を加える。
「また、ギードの関与については…、人知れず関係を持つことは不可能ではないと言える。
言えてしまう、と言った方がいいか。はじめから人目をはばかって接触を隠蔽していたのなら、それも可能だろう。あいつは、そういうことは矢鱈と上手い。」
「秘密の愛人。規模不明。」
「そういえば、一番大事って言い募ってた恋人に四股がバレて、殺されかけたことがあるって言ってたことがあったよ。」
「…うん、僕も聞いたことがある。客観的に見れば酷い人だよ、ギードは。」
一方で、現時点での最大の容疑者については、腐れ縁のかつての仲間達は全く擁護しなかった。
「ただ、いずれにしても動機が見えてこない。彼女が巻き込まれた一般人である可能性がある以上、断定もできない。
…とりあえず、この事件はここまで。次はお前たちの番だ。」
「うん、分かった。」
それぞれが一通り発言し、ファットがグインに次の報告を促す。
「とはいっても、僕たちが現時点で掴んでいるのは、十人以上の大量誘拐殺人の犯人とされている逃亡者の、名前と容貌くらいなんだ。
氏名はフェンブレン・ダヤタ。五級製造者、七十四歳。灰眼族。そして、誘拐された被害者全員もまた、五級製造者か、五級生産者。
およそ半年前の一月中旬に職務放棄をして失踪。数か月前から、バーデイ段街に潜伏している可能性が高い。」
そこまで一息で言い切り、グインは一切れの写真を取り出した。
「はい、これが人相。七日前に依頼を受けた時に、警察から提供された情報は、以上だよ。」
「冗談ではなく?」
「冗談じゃなく。」
「真剣。」
「この事件は特に隠蔽性が高いんだ。被害者の正確な数も容疑者が特定された経緯も非公表のままで、ただ僕たちが果たすべき仕事は、この逃亡者を追跡して捕まえることだけだ。…まあ、大体いつも通りなんだけど。」
「更に稀。規模不明。厄。」
「確かに、事件の規模すらまるで分からないようなケースは稀だね。まあ、分かってて受けたから。成功報酬に目が眩んだことは否定しないよ。」
「タトタットに特別料金で依頼。病院廃墟の情報。一月以上前から不審者。バーデイ段街とイルンカ底街の境に。」
「ああ。あいつはいい腕をしてる。特別料金が本当に、特別に高いのに目を瞑りさえすれば。」
「加えて、誘拐された人たちがバラバラに切断されて捨てられていたっていう、被害者家族からの信憑性の高い証言も得られた。これ以上被害者を出さないために、万全を期して突入する必要がった。」
「そうだな。もし俺がこの容疑者を追跡していても、入念に準備してからあの廃墟を捜索しただろう。」
「もし組織的な誘拐事件だったら、調べに来た僕達を待ち構えていてた人間と戦闘になる可能性も考えていたよ。でも…、まさかあんなふうに、何人もバラバラにして放置したまま逃げていたなんて、全く予想もしていなかった。狂っているとしか言いようがない。」
「想像力の欠如。私達の落ち度。」
「…二つの事件の共通点は少なくとも三つ、か。」
「うん。まず、ギードの事件が起きた丁度その頃、連続誘拐殺人犯のフェンブレンが同じ街の廃墟に潜伏していた。」
「二つ、殺害された被害者がバラバラに切断されていたこと。三つ、関係者全員が最下級の労働者。ギードを除いて。」
「三つ重なれば無関係とは思えないな。…四つ目のしては、ナウン・テスの行方が分からなくなった時間帯と、廃墟で大量殺人が行われた時間帯の一致か。どちらも、可能性としては今日の未明以前…。そして、俺がギードを捕まえたのも未明のことだ。考えすぎかもしれないが、単なる偶然で片付けたくはない。」
ファットは口を湿らせて続ける。
「ギードの追跡依頼を受けた時に確認したナウン・テスの目撃情報には、被害者が幾つに切断されていたかまでは記載されていなかったが…。テイデル・タジューも、数回どころではなく、執拗に何十回も切断され、心臓も抜き取られていたのなら確定だろう。」
「そうなるね。」
問題は、それをどうやって確認し、そしてどうやって真犯人を追い詰めるかだ。
ファットはテーブルの上に置かれたフェンブレンの写真をもう一度確認する。
「三年前に年前に取られた履歴書の写真だって。」
グインが補足する。
その男は、どこにでもいるような、決して裕福ではない一般的な男の容貌と服装をしていた。特徴は、灰眼族の血族特有の灰色の瞳のみ。彼自身の個性は、少なくとも写真だけでは見当たらなかった。
「フェンブレンの事件に関する報道は俺も聞いたことがある。ただしそれは、半年以上前から第二外環の各地で多くの下級労働者が行方不明になっているという記事だけだ。普通の失踪事件では、たとえ殺されたり人身売買をされていたとしても、いつかは追跡者と警察によって突き止められる。
しかし、これだけ時間が過ぎてもその痕跡すら見つからない大量蒸発事件。世間では、容疑者の名前すら隠蔽されている…。」
「うん。今更、帝国に忠誠を捧げているあの警官たちに聞いても、決して個人的には教えてくれないだろうということは、とっくの昔から理解してるよ。」
「帝国謹製。何万通りのマニュアル。齟齬のない統治。」
「前に別の事件で新規情報の提供を局に請求した時は、何十日も待たされたかな。」
「迷宮入りしている事件ならともかく…、この事件では、そうしている間に取り返しがつかなくなりそうだな。」
ファットは内心で唸る。
基本的に、追跡者が得られる情報は、最初の契約時に警察から提供される必要最低限のものと、自発的に情報屋に依頼して集めるものだけだ。
無論、自分の足で稼ぐこともできる。
シャネが言ったように、警察内で新しく判明した情報を開示請求することもできる。
しかしそのどちらも、甚だしく時間を浪費する。
逃亡者を早急に確保することを求められる追跡者にとって、その遅れは致命的だった。当局や地元住民の信頼を失うだけでなく、他の追跡者が先んじられることも、稀に本腰を入れた警察当局が直に解決することもある。
「被害者を詰めて運んだと思われる、あの木箱…。警察だって馬鹿じゃない。出所が判明するのは時間の問題だろう。」
「正直、僕たちの方はこのままだと手詰まりだ。情報料と釣り合わないなら、追跡の破棄も考えていたよ。」
「ああ。あの現場から有力な手掛かりが見つかれば、警察は地下の官僚を動かして自分たちで犯人を捕まえようとするだろう。そのくらいの事件だ。そうなれば、俺達の労力は泡と消える。」
地下帝国直轄の警察局には、三級以上の公務者で構成された、凶悪な逃亡者の逮捕に特化した特務捜査部隊が存在する。官僚組織の弊害で初動こそ遅いが、いざ動き出せば怒涛の波だ。既に追跡者が犯人を追っていたとしても、所詮は民間人だ。俺達のことは障害としか見做さないだろう。
既に人が消えすぎていて、死にすぎている。楽観視できる状況は通り過ぎて、手掛かりが揃っていなくとも、腰が重い上役が動き出す頃合いだった。
このような事件の場合は、動員される人員は千人を超えるだろうか。もしかしたら、第二外環を預かる帝国の威信をかけて、二級の公務者である貴族か、もしかすると一級の皇族が上がってくるかもしれない。
「じゃあ、後は警察に任せて、指をくわえながら殺人犯が捕まることを祈っておくか?」
「まさか。」
「愚問。」
「…うーん、事件の共通点のことだけど。ギード以外全員が五級の製造者か生産者の人たちなんだね。被害者も容疑者も、目撃者も。」
怒気と矜持が混じり合う三者三様の笑顔を傍目に、こういう追跡会議の場では発言の少ないデイルがあえて空気を読まずに話を戻した。テーブルの上に投げ出されたままの、生気のないフェンブレンの写真を覗き込む。
白熱しすぎていたから、いいクールダウンだ。ファットは内心で感謝する。…ちゃんと言葉にした方がいいだろうか。
「…そう。そしてその中で、ギードが明らかに浮いている。つまり、もし本当にギードが無関係なら、楽園の最底辺で生きる市民の間で、最悪の事件が発生し続けている可能性がある。」
「…苦しい生活。常態的に困窮している。」
その話題になると、グインは適切な言葉を選ぶのが難しいようだった。その代わりとでも言うように、シャネが饒舌に言葉を連ねた。
「出費が多く、収入が安定しない追跡者や狩猟者とは違う貧しさ。月給は法令で定められている最低賃金丁度か、悪質ならその下。昇給は望めず、税金にも圧迫されて、貯蓄は困難。慢性的な貧しさに苦しめられて、その状況から脱却しようとすることすらほぼ不可能。」
「……。」
「……。」
「……。」
「貧しさに、種族の違いはないな。」
「…そういえば、そうだね。経済面で、人間が分け隔てなく人間として一括りにされるているのは、ある意味平等で、凄く皮肉だ。」
「俺たちも、全員バラバラだな。そして、かなり貧しい方だ。」
「麗人族、白豚族、灰眼族、鬼角族。隔たりなく、関係は良好。」
「いい意味で、明確な違いもあるよ。僕の生まれの鬼角族は膂力と武術に優れていて、シャネの灰眼の一族は眼を使った魔法に優れているというふうに。このパーティーは、戦闘面ではとてもバランスがいいと思う。」
堅苦しい会議を終わらせるため、ファットが軽い皮肉を口にし、清貧の追跡者のカップルが追従した。
「相思相愛で、以心伝心だね。こっちも、そっちも。」
稚さの残る美貌を湛えるデイル。多くの人間種族の中でも、ただ優れ、麗しいと称される麗人族の少女が、ミルクと砂糖入りのアイスコーヒーの氷をカランと鳴らした。
「尊重。肯定。」
黒も白も清濁も等しく飲み込むような二つの灰色の瞳を持つ、灰眼族のシャネが少量のレモンティーで舌を湿らせる。
「ごちそうさま。そして、うん、そうありたいと思ってるよ。」
それから、額の髪の生え際から小ぶりな赤い角が生えている、鬼角族のグインがジュースを飲み干した。
そして、四人の中で最も頑強な体躯を持ち、生白い肌と大きな鼻が特徴的な白豚族のファットは沈黙した。
温くなった、ミルクと砂糖入りのコーヒーはまだ半分以上残っていた。
「明日は、朝の内に狩りに行ってくる。生憎と、手持ちがない。」
「そうなんだ。えっと…、」
「いや。貸し借りは止めておこう。大丈夫だ。食料はまだ二食分残っている。明日正午に、バーデイ駅で合流しよう。」
「ギードの事件。真犯人の追跡、無賃、無償?」
「うん、ギードの無実を晴らすために、自発的にタダ働き。折角苦労して捕まえたのに、その報酬も受け取ってないの。ご主人様らしいよね。」
「そう。骨折り損。同情。」
男同士で気まずい目線のやり取りをしている横で、女同士で世間話のようなやり取りがされた。
貧困の度合いについて、あくまで生真面目な表情をして致命的ではないと弁明するファットの横で、ご主人様がいつも素敵だというふうにデイルが惚気る。
そして、再び沈黙。
割れ鍋に綴じ蓋。
それ以上相応しい言葉が見つからない、体格差の大きい主従の二人に対面する、貧しいながらもそれなりに安定した同棲生活を送っているカップルが、処方箋が見つからないと言わんばかりに沈思黙考した。