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 〇


 楽園で言う、魔界奥地の『見捨てられた大地』でエドゥ・セキゼスは生まれた。

 そこは狭い盆地の中の人口二百名程度の小さな集落で、魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する魔界で奇跡的にも数千年以上に渡って安寧(あんねい)享受(きょうじゅ)していた。セキゼスとは、清らかな地、という意味の古い言葉だった。


 :

 六


 セキゼスは凡庸(ぼんよう)な少年であり、特に秀でているところも劣っているところもなく、凡庸な両親に育てられて凡庸に育った。この世界の成り立ちの神話や、奇跡や精霊の伝承を学ぶ時にだけ、少年は想像の空間の中で自由に羽ばたくことができた。


 :

 十二


 この世がなぜ魔界と呼ばれているのかを初めて教えられた時、酷く暗澹(あんたん)とした気分になり、セキゼスは一晩中眠れなかった。

 数多の精霊は人間に崇められて神々となり、人間に愛されて人間となり、人間に騙されて奴隷となり、人間に殺されて悪魔となった。そうして数多の悪魔が生まれた。

 故にこの世は魔界なのだと。人間を憎み、人間に死よりも恐ろしい苦痛を与え続ける悪魔の世界になったのだ、と。


 :

 十四

 山裾の禁じられた遺跡に迷い込んだセキゼスは数千万分の一の確率で運よく生き延び、最も奥の祭壇で一冊の書物を見つけた。

 表紙を捲らなければ良かった。そこで引き返せば、天文学的な幸運で生還した少年の詰まらない物語で終わった。

 表紙を捲ったセキゼスは、数千万分の一どころか、数百億分の一の悪運を手にしてしまった。

 きっと、世の中の英雄譚や悲劇の多くは、このような選択によって始まるのだろう。


 :

 十五


 禁忌の書物の封印が解かれ、遺跡の加護を失った集落は魔獣の襲撃によって滅んだ。

 ――が―――――。――は――に――――され、血が――――、――――――。――、―――――。―――――。

 セキゼスだけが生き延びた。


 :

 十八


 凡庸な幸せを永遠に失ったセキゼスはあてどなく魔界を彷徨(さまよ)っていた。文字の読み方が分からない禁忌の書物を携え、行く当てもなく、太陽の沈む場所を目指して歩き続けた。

 人間を食うことしか考えていないような狂暴な魔物に何度も襲われた。雷雨の嵐が十日間続いた。弱者を獲物にするならず者達に追われた。そしてまた、獰猛な魔物に何度も襲われた。

 それでもセキゼスは死ななかった。

 はじめは、単なる幸運のせいだと思っていた。故郷で自分だけが生き残ったように。


 :

 二十


 自分が死なないのは、死ねないのは、捨てられない書物のせいだとやっと理解した。これは、生きている。これは奇跡によって造られている。これは自分を生かそうとしている。自分に死なれては困るからだ。

 気付いた時には書物を読み終わっていた。文字に書かれている文字は最後まで読めなかったが、書かれている内容は全て理解できた。そして書物は朽ち、塵になって消え去った。代わりにセキゼスの頭の中に一冊の本が形作られた。それは奇跡だった。

 知性と自我という、人間の奇跡。セキゼスはその所有者となり、たった二十歳で悟りを得て、賢者となった。彼がこれまで生き延びてきたのは、無意識の内に書物から吸い取っていた人間の叡智の賜物だった。これからは、自分の意志で叡智を働かせて生き延びていくことになる。

 誰よりも慈悲深く。誰よりも邪悪に。


 :

 五十五


 ほとんど全ての人間は愚かだった。自分が単なる動物ではなく、知性と自我を秘める人間であるということを正しく理解できている者は滅多にいなかった。大勢が本能的に生きていた。そこに自我らしい自我はみられなかった。少し道具を扱うだけで、少し勿体ぶって喋るだけで、これが知能だと言い張る様は滑稽だった。即物的で、感情的で、人間である必要がなかった。

 しかし、セキゼスにとっても驚くことに、極稀に見つける人間らしい人間は好ましく思えた。よく見て、よく考える人間。彼はそのような人間達を所有した。彼にとって愚かな人間たちは家畜で、賢い人間たちは奴隷だった。

 家畜は労働力。奴隷は嗜好品だった。――を――し、―――く―――した。―――は―――で、―――だった。―――が――――、―――――。――――、――――――。――――――――――。


 :

 二百五十六


 セキゼスは君臨した。五千人が住まう、セキゼスという名の大集落の頂点に。家畜が四千九百五十人、奴隷が五十人。そして王が一人。しかし、誰よりも賢いからこそ、それが自らの限界だと分かっていた。それ以上の支配と繁栄を望めば容易く破滅してしまうことを理解していた。

 セキゼスは、結局、剣と魔法の才能だけは凡庸だった。あくまでも知性と自我の力で慈善と巨悪を為し、小さな世界の王となった。


 :

 二百七十七


 三百年近くを生き、死期を悟ったセキゼスは満足していた。誰も彼を支配することはできなかった。誰も彼を罰せず、誰もが恐れ、敬った。

 大いなるセキゼス。それが彼の生きた証だった。


 :

 二百八十五


 自らを埋葬する為の大墳墓の建造を始めた年に、強大な龍が魔界の彼方より飛来した。セキゼスは知略を尽くし、所有する財宝と人材の全てを駆使して龍と戦い、打ち勝った。生き残りは四人の家畜と一人の奴隷。彼の王国は滅びた。

 結局は、たとえどれほどの賢者であっても、最も人間らしい人間であっても、圧倒的な暴力の前には無力だった。

 ――いいや、そうではない。私は勝った。龍は惨たらしく死に、知が暴虐を上回ったのだ。

 セキゼスは崩れ落ちた王宮の前で膝を付いて勝ち誇り、笑い続けた。死期が迫っていた。


 :

 二百九十九


 十余年をかけ、知識と叡智の全てを尽くし、四人の家畜と遺された龍の死骸を使い、生き延びるための方法を模索し続けた。決してこのまま死ぬことはできないという妄念がセキゼスを動かし続けていた。

 この年に完成した作品は、龍の心筋から削り取って造った疑似的な人間の心臓だった。そしてその心臓の中には龍の骨髄が埋め込まれていた。

 太古から生きる龍は一つの奇跡を所有している。それこそが生命の奇跡に属する不死である。徹底的な破壊を免れた龍の一部は未だに生き続けていた。

 セキゼスが意識を失い、次に目覚めた時、彼の知性と自我は疑似心臓の中に乗り移っていた。彼は理解した。これが真の奇跡なのだと。彼は人の姿を捨ててやっと、恐るべき力の使い方を会得した。最後の奴隷の名が、彼の次の名となった。


 :

 三百二十一


 新たな生の形を手に入れ、常人の限界である三百の年月を越えたセキゼスはしかし、決して冗長することはなかった。同じ轍を踏むこともなかった。

 ――新しい王国を造り、いつかまた誰かに踏み潰されるのか?

 ――誰かに奪われるために、自ら養豚場を造るのか?

 知性のある者として、決して同じ失敗を繰り返してはならなかった。セキゼスは新たな手法を必要としていた。何よりも、自我の存続が脅かされることのない、絶対の自由を手に入れなければならなかった。

 きっと、最大限に考えを働かさなければならないというその強迫観念こそが、セキゼスという個体の限界だったのだろう。


 :

 四百五十


 今や本体となった鮮血色の首飾り、つまり龍の心臓を素体として活用する方法を研究し、一定の成果を上げる事に成功した。心臓を構成する龍の心筋と血を魔法の応用で分裂させ、それらを魔導器の素材となる特殊な鉱石を粉末にしたものと混ぜ合せる。その液状の混合物から、人間の心臓として働く魔導器を()ねて製造する。そしてその疑似的な心臓をなるべく新鮮な死者の胸に埋め込み、我が意志で操り、絶対の奴隷とする。私の不死の本体とは違い、使い捨ての消費型だが、人間の寿命と同じ三百年ももてば十分過ぎるだろう。

 その死者たちは、個別的にはともかく、組織的には過去のセキゼスの民よりもはるかに優れていた。死者の体は龍の奇跡の恩恵によって丈夫になり、腐りにくくなった。特に、愚かな家畜がいないというのが良かった。理論上、時間をかければ数万の軍団を造ることも可能だった。その武力をもってすれば、古代龍ですら蹂躙できる。セキゼスは首飾りの中で輝かしい未来を思い描いた。


 :

 五百二十一


 死者王国の建国計画は破棄されることとなった。セキゼスにあるまじき失敗。運よく長らえられているというだけの小さな集落でいよいよ実地試験を始めようとした時、運悪く死と魂を司る偉大な存在に見つかり、怒りを買ってしまったのだ。彼は大きく裂けた天空が見えなくなるまで無様に逃げ続けた。少なくない歳月を経て、ここが人間の世界ではなく、人間を見限った悪魔の世界であることを失念してしまっていた。

 ――ああ、またしても運命の流れに翻弄されるのか。しかし、私は愚者ではない。運命を見通す奇跡を求めはしない。知性を持つ者として、ひたすらに人間の道を探るのみだ。


 :

 六百七十三


 比較的賢い人間の奴隷を乗り換えながら荒野を彷徨(さまよ)っていたセキゼスは、人類生存圏の要所として数えられる疑似楽園に行きついた。かつての天空都市の残骸で造られたという遺物とスラムの集合体は、彼にとって中々都合のいい場所だった。

 独り、地下の隠れ家で魔導心臓の研究を続けた。それが彼の一番の武器であることは明白だった。肉体に龍の恩恵をもたらす疑似心臓を弱者に移植することにより、多少の恩と脅しで少しずつ家畜と奴隷を増やしていった。研究の維持と拡大の為、現地の富裕層や新興宗教を利用したりもした。


 :

 七百九十八


 単に楽園、とのみ呼ばれる人類最大最後の都市国家で、第七の奇跡が誕生したと預言者が告げたらしい。その噂を抜きにしても、セキゼスは楽園には並々ならぬ興味を持っていた。神話時代の遺産が散りばめられ、人の可能性の全てが集うと言われる業と狂気の坩堝。あのセキゼスにも、楽園で執筆された貴重な書物がいくつか入ってきていた。

 ――英知を司る者として、私には楽園と奇跡を見定める義務がある。

 一体いつの間に、彼の目的がそのように変質してしまったのだろうか。人の形を失い、移ろいやすいものに成ってしまったのだろうか。

 セキゼスは決意し、旅立った。首飾りの中で意気揚々と。寄生先の男を操り、疑似楽園の人口の半数を占める家畜や奴隷を全員引き連れて。


 :

 八百四十四


 セキゼスは五十年足らずで楽園に辿り着いた。見るべきものは多かったが、まるで何かに急かされるように一直線に邁進し、広大な魔界の大地をほぼ最速で横断した。

 危険度と雄大さ、神秘性の全てで最も名高い、虚空峡谷と球大陸の時空圧縮帯を超えるのには流石に手間取ったが、それ以外は特に問題のない旅路だった。使い潰した奴隷の数は、途中で補充した分を合わせて五千人を超えたか超えないかという程度。図らずも、かつてのセキゼスで支配していた人間の数とほとんど同じだった。

 生き残った家畜や奴隷は流入民として楽園の各地に潜り込ませた。彼自身は再び地下に潜り、しばらくの間は楽園の調査と奴隷の補充に労力を割くことにした。

 ――まずは、預言者の伝承と遺言を秘匿しているという第一外環の神殿王国を目指す。数十年か、数百年は必要か。

 旅の中ではもう一つ発見があった。それは、限定的に死体を有効利用する程度ならば悪魔に目を付けられることはない、という至極当たり前のことだった。それは歴史的にも大なり小なり誰もが行っていることだ。恐らく、禁忌は死者を地上に縛り続けること。善悪に関係なく、その一点のみだ。


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 八百八十八


 第二外環に入り込んでから数十年後、セキゼスは楽園における独自の管理体制の構築に成功した。直属の奴隷は経営者や公務者等数十名に留め、残りの雑多な家畜の運用と管理は奴隷達に任せることにした。結局はかつてのセキゼスと同じ方法に落ち着いた。大いなるセキゼス。ああ、大いなる。かつての――

 ――家畜は生まれついての家畜であり、主人に逆らうことは自死よりも難しい。そして豚は自死をしない。それでも懸念が残るなら、魔導心臓を与える際に裏切りには直ちに死を与えると一度だけ言えば十分だろう。

 仮に恩知らずの愚者以下の愚者がいたとしても、楽園の公権力がセキゼスまでたどり着くことは不可能だ。彼にはその絶対の自信があった。


 :

 千七十六


 ――異常が起きている。この本体、この龍の心臓が震えている。まるで動悸のように。心臓の鼓動が高まるように、私の自我を巻き込んで細胞ごと亢進している。寄生する人間を替えても症状は治まらない。なぜだ。分からない。

 奴隷たちに埋め込む魔導心臓は大本の龍の細胞を素材としているため、その年から始まったセキゼスの異常は全ての製造結果に影響を及ぼした。極僅かなパルスの乱れが、極僅かに心臓の出力を過剰にし、決定的に奴隷の自我を変調させた。その結果、製造番号〇〇一一〇六七五以降を移植した家畜と奴隷が暴走を始めた。最新の寄生先であるフェンブレン・ダヤタの家族も些細な言い合いから殺し合ってしまった。しかも、高知能かつ精神薄弱という、寄生できる条件を満たす人間のストックが丁度尽きてしまった。複数の要因が重なり、よくない状況となった。

 ――分からない、というのは嘘だ。認めたくないだけだ。この私が。愚かにも。

 四月に入り、セキゼスの本体の興奮は最高潮に高まっていた。混乱と恐怖。それでも彼は止まらなかった。止まれなかった。

 七月。潜伏地と回収品の管理を任せていた奴隷のカンクナット・ライが死亡した。同時に回収品が生きたままの状態で帝国に確保された。魔導心臓の原液で描いたシンボル型魔導器を通じ、その事実を感知した。最早、一刻の猶予もないだろう。地下帝国は侮れない。やや数が足りなかったが、セキゼスは計画を発動することを決意した。

 一つの引き金を引く。これより先、家畜と奴隷達は死亡後に心臓の魔物へと変貌する。楽園中に混乱が起きている間、セキゼスはひたすら身を隠し、頃合いを見計らってもう一つの引き金を引くことになる。彼にしてみれば大いに不本意なことに、第一外環への侵入を果たせるかどうかは五分五分の賭けになってしまった。彼ほどの人間が二百年をかけて、やっと。それ程までに、あの障壁はあまりに硬く、高い。楽園はセキゼスにとっても偉大な建造物であり、特に第一外環より内側は不可触の領域だった。その現実は認めなければならなかった。

 ――見られている。見定められている。この私が。不自由にも。たったそれだけで、全てが狂ってしまった。何という――

 ――ありえない。ここには悪魔はいない。悪魔ですら侵入できない。残された可能性は何だ? 一体――

 ――ありえない。

 ――人間に裏切られた精霊が。囚われ、犯され、殺された精霊が。再び人間になるなど。

 ――しかも、精霊が自ら? 絶対にありえない。それは理解の埒外だ。狂っているとしか言えない。誰も認めない。恐ろしくて、認められることではない。

 ――しかし、もし。もし、それが本当なら――

 ――なぜ、あの少女は、あんな目で――


 ――ああ、殺すことが恐ろしい。殺して、もし悪魔が現れたら――


 ――ああ、なぜ、精霊は。私は――









 ――けれど、それとは無関係に。全く別の問題として。


 数百年も前から、私は暴走する知性と肥大した自我の混ざった肉塊に成り果てていた。

 千年前から、私は、小汚い人間そのものだった。


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