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 砂のイバラが際限なく渦を巻き、紫剣と銀槍が舞い散り、鬼の剛力が血飛沫を上げる。

 敵の勢いが一時的に増した時には、白月と氷壁の色彩を差し込んで阻害する。


 その合間に、動きを固く封じられた心臓体に剣を振る。あの時のことを思い出す。戦いの舞台に弾けるエネルギーは桁違いだが、本質的には同じことだ。


 一つ、また一つと死者が塵以下の粒子となり、(そら)へと還ってゆく。

 それが条理にかなうことであるように。


 皮肉にも、定言の魔法、乖離した概念によって死者を死者とする理を成していく。


 一人。また一人。


 出発前に目を通した資料によると、ここには大勢の虹髪族、鬼角族、灰眼族、小鱗族、白豚族の五級生産者達がいた。比較的少数の種族である竜尾族や獣耳族、光翼族も数名いた。機脳族すらも。いなかったのは、麗人族だけだ。


 農奴、と揶揄される労働者達。しかし、彼らが(さげす)まれ、(ないがし)ろにされていい理由はどこにもない。


「…二十五。」


 群れの第二波を殲滅し、小康状態となる。シャネの告げた数が日陰の空中に浮いた。


「アテターによると、この宿舎には昨夜までおよそ九十人が寝泊まりしていたらしい。切りがないわけじゃない。まだ行けるか?」


「愚問だよ。」

「続行。」


 息を整えつつ、グインとシャネが気勢を上げる。八乖位の魔法を連発している。精神的な負担は決して少なくない。俺もそうであるように、魔法を行使するための奇跡的要素は体内から確実に減少している。

 未だに観測されない魔力。確かに存在しているはずのもの。観測できていないだけで、存在しているのならばいい。しかし、魔力あるいは魔素と呼べるものが本当に存在していないのならば、魔法とは――


 ――宿舎正面の、ほとんど倒壊した玄関口の奥から新しい赤い蠢きが這い出てくる。乱暴な前進によって玄関がますます破壊されていく。

 砂のイバラの波濤が呼応するように一群に殺到し、奪い取るように端の一体を捕え、流れ作業のように俺の元に運んでくる。

 浄化の剣を振り上げ、一瞬で蒸発させる。


 紫剣と銀槍が的確に群れを分断し、孤立した一体をもぎ取るようにイバラが捕え、流れ作業のように俺の元に運ぶ。

 薙刀の会心の一撃が閃き、空中に放り上げられた一体を掬い取るようにイバラが捕え、流れ作業のように俺の元に運ぶ。

 浄化の剣を二度振り上げ、一瞬で蒸発させる。


 明確な意思と力によって一連の行為を繰り返す。

 これもまた戦いであり、命がけの綱渡りだ。


 そして敵にとっては詰みの盤面でもある。


 しかし、まだだ。

 頭の中では、随分前から警鐘が鳴り響いている。決着を焦るな。たった一手で、天秤の傾きは簡単に覆ってしまうのだから。






 そうして消滅させた敵の数が四十に達した時、大きな爆発音が轟いた。


「上!」


 シャネの声が鋭く響く。宿舎正面、玄関の真上の三階部分が内側から弾け飛び、木くずと瓦礫が空中に散っていく。


 赤い靄を纏った人影が、出来たばかりの大穴から跳躍し、宿舎の屋根に降り立った。


 俺が指示を出すまでもなく、デイルが躊躇なく神器の剣を振るう。『永劫』と呼ばれる細剣が白い光を解き放たれ、剣先から音速よりも遥かに速く一条の光輝が伸びる。

 光の剣。無限大のエネルギーがあれば無限遠まで伸びる光刃。

 空を両断するように、一筋の煌きを残した。


 しかし、光の切っ先だけは人影の体に届かなかった。デイルの目には、白い光の刃が赤い靄に触れた瞬間に、その部分の光刃だけが掻き消えたように見えた。


「手応えは?」

「ううん。全然。霧散型の色彩障壁だと思う。」


 横手から接近してきた群れに白月の衝撃波を放ってから尋ねると、片手の指揮で器用にイバラを操りながらデイルが答えた。


「切り札を切るのはまだ早い。接近するか、質量を持つ形象魔法でないと破るのは厳しいな。」

「微妙な距離だね。先にこっちを片付けた方がいいかな。」


 赤い靄に守られた人間は、どこにでもいるような、決して裕福ではない、一般的な男の容貌と服装をしていた。特徴と言えるのは両眼の灰色の瞳のみ。やはり、個性らしい個性は見当たらなかった。


 男は、フェンブレンは何も言わずに俺達を見下ろしていた。


 デイルの言うように、一足飛びとはいかない微妙に遠い距離の高所に位置取られている。


 …フェンブレンは動かない。何も言わずに、ただただ、俺達を見下ろしていた。


 そしてその間も、心臓体の猛攻は続いている。強引な突破は命取りになるだろう。フェンブレンに注意を向けつつ、敵を一体ずつ捌いていくしかない。


「…うっ…。」

「ぐぅっ…!」


 唐突に、二人分の嘔吐の音が地面に落ちた。そちらの方に目を向けると、グインとシャネが膝を付いて蹲っていた。

 周囲に、死臭と腐敗臭が混ざり合った血臭が周囲に充満している。


 一瞬の思考で該当する現象を想起する。

 ――神経を侵す浸食型の魔法。もしくは、それに類する魔法外の奇跡。


 やられたか…!


 冷静な表情を取り繕い、背中を見せる二人に向かって踊り来ていた心臓体の正面に滑り込み、負傷覚悟で血の刃に浄化の剣を直接当てる。反対方向の敵には氷壁の魔法を直接ぶつけ時間を稼ぐ。


 数か所に浅い傷を追う。問題はない。

 しかし、この血臭を晴らすことは非常に困難だ。この空間が完全に封鎖されていることを逆手に取られた。


 デイルは『永久』のドレスによって、俺は死を却ける浄化の剣によってこの類の侵食から常に守られている。一方で、二人にはまともな抵抗手段がない。


 思考を高速で回転させている間も戦況は一秒刻みで動き続ける。

 氷壁とイバラの壁の間をこじ開け、数体の心臓体に強引に突破される。

 肉体を盾にして強引に刃を当て、敵数体を蒸発させる。

 イバラが再び渦巻き伸び上がり、滝のように敵の群れに降り注ぐ。


 だが、対処が間に合わず、遂に一体の心臓体が近辺で自爆した。


 巨体を活かしてグインとシャネに覆い被さった瞬間、爆風と衝撃波が身体を強く打ち据えた。


 爆風に乗って、わざと後方へと大きく撥ね飛ぶ。デイルは軽やかに空を舞って追随する。


 爆風を追い風にして、もう一体が体当たりをするように真正面から突っ込んでくる。その後方に更に三体。他はデイルがイバラで強引に押さえ込んでいる。余裕がなく、数秒でまた自爆されるか突破されるだろうが、今回は力任せでいい。


「一(まと)まりに!」


 デイルにはそれだけで伝わる。


 ――【色彩・火球・翔・狙・爆・煌・燿・朱・紅・赤・赫・晃】

  ――彩る・赫々たる火の天球よ・翔け・狙い・爆ぜ・(きらめ)き・(かがや)け・朱く・紅く・赤く・赫く・(あき)らかに


 ――【十乖・落火赤光】


 決戦前、切り札の一つとして精霊骸の右腕に装填していた火球を即時展開し、正面の心臓体向けて投射した。


 大気を震わせる轟音と共に、鮮血とは異なる落日の赤が大気を(たわ)ませ、直進していた心臓体を巻き込みながら、群れの残りを抑え込んでいたイバラの大渦の中心に着弾する。


 全てを纏めて焼却する、大輪の夕焼けが咲いた。






 爆発の余波を受けた宿舎が業火に包まれて燃え盛っている。


「二人はここで待機してくれ。」


 封鎖結界の境界面を背にし、大火の煌きを見遣りながら俺はそう告げた。一旦、血臭は炎によって大部分が散らされていた。


 正二十面体の形状をした巨大結界は、宿舎や隣接する小麦畑の敷地を載せるこの区域全体を完全に包んで封鎖している。

 向こう側からの光は微弱ながらも境界を通過することができる。何の被害も及んでいない、長閑な田園の風景が薄暗く境界面に張り付き、こちらへと届いていた。

 一方で、こちらで発したものは、光ですら境界を超えることはできない。外からこちら側を見ると、天にも届くような漆黒の巨大な多面体が一つのフレームを丸ごと包み込んでいるように見えるだろう。


 封印が解かれるか破られるまで、俺達は決して逃げることはできない。


 昨夜の内に、得難い戦友であり後輩でもある二人の若者にはそのことを正確に伝えていた。それでも二人はここに来ることを選んだ。何よりも強い意志で協力を申し出てくれた。

 だから俺も確固とした意志で応えなければならない。


「っ…!」

「もう、ここから逃げることはできない。だから、見ていてくれ。」

「お願い。二人とも。」

「…了解。グイン。」


 一足先に立ち上がったシャネが蒼い顔をしたパートナーに手を伸ばす。その手を見て、グインは一度だけ逡巡し、しっかりと握り返した。泣き言を言わない、強い若者たちだ。


「分かった。これ以上は足手まといになるから、ここで見ている。頑張って。幸運を。」

「武運を。」


「任せろ。」


 しっかり頷きを返した。問題は微塵もないというように。

 何しろ、俺は若者の手本となるべきベテランなのだから。






 散らされた血臭が再び濃度を増していく。物理的に空気が粘りついていくようだ。


「あれはもう死んでいると思うか?」

「分からない。死んでいるようにも、生きているようにも見えるから。」


 フェンブレンは尚も動かない。何事もなかったかのように、血の靄を纏ったまま、屋根のあった空中に浮遊していた。


 その代わりと言わんばかりに、火花と砂埃を散らしながら、焼け落ちる宿舎の中から続々と新しい心臓体が這い出てくる。


「…五十一!」


 遠く離れた後方からシャネが声を張り上げ、律義に敵の数を伝えてくれる。

 それだけの数の心臓体が群れを成し、重低音を響かせて一斉に迫ってきている。血臭を放つ装置と化したフェンブレンはこちらを見下ろしたままの姿勢で、見ただけでは死んでいるように思えた。しかし、デイルは生きているようにも見えるという。この剣は効かない可能性が高い。いや、半分効くのなら上出来とするべきか。


 ピピピ。


 懐の遍話機が場にそぐわない着信音を奏でる。アテターからだ。


『内部からの未確認の現象が結界を侵食しています。分析班によると、粗悪な異端奇跡か、極めて正統に近い異端奇跡のパターンを確認。このままでは半日足らずで崩壊する恐れがあります。』


 激しいノイズの混じった音声。向こうからの情報は辛うじて届くが、こちらからは何も返せない。無言で続きを聞く。


『申し訳ありません。私の権限では遺失奇跡に対する有効防壁は用意できませんでした。特級敵性体を確認した現時刻をもって、私の権限において帝王塔に皇帝陛下の御出陣を具申致します。しかし、直ちに本作戦が中断されるわけではありません。結界の解除はできません。作戦の続行をお願いします。』


『どうか、勝利を。』


「…分かった。全力を尽くす。」


「ご主人様? 戦ってる最中に笑うなんて、珍しいね。」

「…そうかもな。もしかしたら初めてかもしれない。…嬉しいものだ。戦いぶりを見られて、期待されるというのは。」

「ふふっ、そうだね。ずっと二人きりで、自分勝手に戦ってばかりだったから。」


 眼前では、不吉な足音を立てながら、五十一体の心臓体全てが自身の体を次第に小さく縮め続けていた。あの予兆が意味するものは一つだった。


 新しい行動パターン。攻撃として用いる積極的自爆。

 特攻は古典的だが、飽和的であれば非常に有効だ。


 対抗手段はいくつか思いつく。しかし、どれも確実性がなく、全ての魔法を駆使しても捌ききれない恐れがあった。


「ファット!」


 この場から動こうとしない俺達に向かって、グインが大声で叫ぶ。それに応えるように、俺は力を抜いて片手を上げる。


 自爆を無視して空中へと逃げる手段もある。


 しかし、既にフェンブレンが振り撒く血臭によって結界が大きく浸食されている為、それはなしだ。飛んで逃げた場合、あの大群がそのまま結界の境界まで突き進んで爆発する恐れがある。なにより、グインとシャネが後ろにいる。後ろで見ている。


 よって、爆発をここで受け止め、無力化するしかない。


 決して許されない非人道的な戦い方だが、敵が一枚上手だった。それは認めなければならない。


「デイル。」

「うん。ご主人様。」


 追い詰められたのは俺達の方だ。しかし。


「この位のピンチは、今まで何度もあった。伊達に、魔界を越えていない。」

「だね。」





 ――かつて六つの奇跡が順々に誕生し、最後に第七の奇跡が誕生した。


 理法の化身と邂逅(かいこう)したという楽園の創造者の言葉が正しいのならば、世界をも含め、森羅万象が一つずつ生まれ、少しずつ形作られていった。

 最後の預言者は、七番目の奇跡が生まれた、とのみ遺言を残して息を引き取った。


 未知の第七を除き、この宇内(うだい)において、六つの奇跡の一つ一つは主従二種の奇跡を人に認識可能な現象として内包していた。従って、それらは六大奇跡とも、具現十二奇跡とも呼ばれていた。


 すなわち――


 第一奇跡、理法の誕生。法則は創造に先立つ。

 第二奇跡、世界の誕生。時空は物質に先立つ。

 第三奇跡、精霊の誕生。霊魂は全能に先立つ。

 第四奇跡、生命の誕生。生体は運命に先立つ。

 第五奇跡、人間の誕生。知恵は自我に先立つ。

 第六奇跡、魔法の誕生。定式は乖離に先立つ。

 第七奇跡 ――の誕生。―――――――


 今から数万年前の神代、人間が誕生したばかりの第五奇跡時代に、人間は六つ全ての奇跡を自在に操っていたという。


 しかし今や、六大の力のほとんどは遺失した。

 完全な状態で残されている奇跡は第六のみ。自然発生したのか、あるいは誰かに造られたのかすら分からない、定式体系と乖離現象を内包する魔法だけが、人間に遺された一つきりの宝だった。


 理法は人知の彼方。存在の法則は深淵の底で虚無を待ち続けている。虚無を払う創造の手は完全に失われた。

 世界はただここに。人は時空を掻き分けて生きるのみ。人は物質の変転に徒労を重ねる。

 精霊は去った。無限の霊魂は人の支配から逃れた。限りなき全能は夢と消えた。

 生命は果てしなき興亡を繰り返す。生体の神秘は箱の中に。生きとし生けるものが生み出す運命が大地を覆う。

 そして、人間は人間自身を裏切った。理を紐解く知恵は瞬く間に道理を失い。人を人たらしめる自我はいずことも知れず。


 逆に言えば、それら全てが、かつて人の手の内に収まってしまった。全てが可能となった瞬間があった。

 理法も、世界も、精霊も、生命も、そして人間自身すらも。


 故にこの魔界は生まれ、砕かれ、引き裂かれ、人は絶滅の危機に瀕している。正統なる奇跡はほとんど全てが遺失し、害悪ばかりを生み出す異端の奇跡が世界中にばら撒かれてしまった。




 正邪の奇跡が、広大無辺の地平のどこかに遺されている。


 最後の奇跡が、無量無辺の宇内のどこかに隠されている。


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