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019

 019




 空を仰ぎ見る。快晴の青空が大きく広がっている。無窮の青を遮るものは何もない。


 ここはサゼノ庭街。

 楽園の天井に当たる街の一つ。


 青々とした田畑と果樹園、牧草地を乗せた多角形のフレームが樹木の枝葉のように少しずつ重なって多層構造を造り上げ、可能な限り均等に自然光を浴びている。他のフレームの陰になる箇所では自然光を模した魔導照明が灯って光を補っている。


 その半自然、半人工の庭の中でも、ここは全面に陽が当たる一等地だ。第一外環の三王国にも出荷される高級小麦が生産されている。


 黄金の棚が美しい。涼やかな風が心地いい。どこか懐かしい匂いがする。郷愁だ。


「ありがとう。グイン。シャネ。」


「どうしたの藪から棒に。」

「唐突。」


 俺はそう告げる。背後から歩いてきていた若者の二人へと振り向き、挨拶代わりの感謝の言葉をかけた。


「もし二人から連絡がなかったら。二人と協力できていかったら、事件の解決はもっと遅れていただろう。俺とデイルだけではカンクナットの魔物を倒せず、シャネの命も間に合わなかったかもしれない。」


「そんなことはないよ。あの魔物は、きっと君達だけでも倒せていた。そうだろう?

 寧ろ僕たちは時間を浪費させてしまっただけなんじゃないかな。あの病院はもう手遅れで、空振りだったわけだし…。」


「それこそ、そんなことはない。廃墟に行かなければ、被害者が本当の心臓を抜き取られていると気付くことはできなかった。それに、今日こうして足を並べることもできなかった。俺にとって、二人は幸運の鳥だ。希望でもある。」


「…一つだけ、訂正を。もし僕たちがこの事件に関わっていなかったとしても、呼ばれたら絶対に駆け付けていた。たとえ君に連絡をしなかった馬鹿な僕でも、ここに来るのはきっと間に合っていたよ。」


「ああ、そうだな。本当に、その通りだ。」






 天空の小麦畑を歩いて通り過ぎていく。蛇行する連絡通路をなぞり、上昇と下降を繰り返して目的地を目指す。


 農場の宿舎は、サゼノ庭街のフレーム群の中でも構造上最も奥まった日陰の広い敷地に建てられている。


 人気はない。


 俺がこの庭街に足を踏み入れた瞬間に人の出入りは禁止されている。そして今、帝国が抱える特殊部隊によって宿舎のフレームごと空間が外部と遮断された。とても重い、時空を震わせる振動音が一度だけ鳴り響いた。


 陰と静寂だけがこの空間を支配しているように見える。


 しかし、その願望はすぐに裏切られた。


 ガシャンと、窓ガラスが割れる音が響き渡る。


 その残響と散らばったガラス片を踏み潰し、正面の宿舎の玄関から人間大よりも二回り肥大した心臓体が複数体出現した。

 カンクナットと同様の魔物達。


 それらは鞭のような血管を地面に打ち据え、群れを成してこちらへと向かってきていた。


 八体、九体…、十二体。


 まるで現実ではないような光景だった。

 牧歌的な現実を侵食する悪夢のような眺めだ。


 彼らは、もう手遅れだった。

 そして、追い詰められたフェンブレンは外道と化した。そう結論する。


 周囲の空間が完全に封鎖され、逃げられなくなったことに気付いたのだろう。

 もしかしたら、数年か数十年も前からこの農場一体は黒幕の支配下にあったのかもしれない。もしくは、タトタットが集めていた風聞の通りならば、この宿舎に寝泊まりしていた者達が一夜の内に心臓を入れ替えられたということもありえるかもしれない。


 どちらにせよ、フェンブレンを名乗る稀代の大量殺人犯は宿舎の住民を生きたまま一斉に魔物に変えたか、一斉に皆殺しにした。そして俺達を攻撃するように仕向けた。そうでなければ、あのグロテスクな地獄は実現しない。


 もしかしたら、敵は万一の時の為の保険を用意しただけで、俺達が来なければ彼らはそのまま普段通りの生活を送れていたかもしれない。


 …そうなのだろう。恐らく。

 俺が引き金を引いた。彼らを助けることはできなかった。邪悪な魔法使いに気付かれないように逃がすことは不可能だった。


 ――フェンブレン、黒幕、大量殺人犯、敵、そして邪悪な魔法使い。殺し合うには十分だ。


「…デイル。」


「うん。」


 デイルが俺の言葉に頷き、衣擦れの音をさせて灰白色のコートを脱いでいく。迫り来る魔物たちを恐れる様子は微塵もない。


 二人の若者が息を呑む音がした。


 その姿は可憐かつ森厳だ。厳かであり、神々しいと言っても過言ではない。


 彼女の身を包む、淡い朱色の刺繍が入った柔らかな純白のドレス。左手薬指の白金のリング。腰には白銀の細剣。

 遺された名を、『永久の白夜』。

 『結ばれた永遠』。

 そして『永劫』。


 目が眩むような(なが)い冒険の旅路で手に入れた、神代の遺産。多くの宝の内の、最高位の三つ。帝国にすら秘匿し、デイルの異空間に保管していた三種の神器。


 特に、この世のものではないような美しさの天衣のドレスがデイルを包み込み、彼女自身の美しさを極限まで引き立てている。誰もがこの姿に目を奪われるだろう。


 事実、グインもシャネも呼吸を忘れていた。驚くことに、心臓体の魔物すら呆けたように動きを止めていた。


「この姿の時のお前は別格だな。世界すら魅了する。」


 嬉しそうにデイルが微笑む。…目を奪われてはいない。断じて。


「ありがと。愛してる。」


 花嫁のようだとは、言わなかった。今までも言ったことはない。いつか言った方がいいだろうか。


「…そして、ごめんなさい。」


 その言葉は魔物達へと向けられていた。表情は慈悲と憐憫に彩られていた。


 ――【形象・砂棘・渦・捩・凝・剛・剛・剛・剛・靭・晶】

  ――象る・眠る真砂(まさ)の美姫の(とげ)よ・渦巻き・()じり・(こご)れ・(つよ)く・剛く・剛く・剛く・(しな)やかに・(あき)らかに


 九乖位の魔法が瞬間的に展開し、発現される。それは通常であれば考えられないような現象だった。どれほど魔法に精通していても、知られている限りの高位の魔導器を駆使しても、乖離を九度重ねるには秒針の刻みが必要になる。それは常識的な魔法の限界の一つだった。


 これが『永遠』の指輪の力。そして、()()()()()()()の一つ目に過ぎない。


「ご主人様。いつでもいいよ。」


「分かっている。…グイン、シャネ。デイルと合わせて魔物の動きを抑えてくれ。止めは俺が刺す。」


「…わかった。後で色々質問攻めにするから。」

「了解。覚悟。」


 十二体の心臓体が再び動き出す。しかしどこか緩慢な前進だった。赤く醜い侵攻を迎え撃つように、渦巻く無数の砂のイバラが全方位から殺到する。

 血管の刃が乱舞する。いや、乱れてはおらず、全ての固体の動きが連動し、統率されていた。決して出鱈目な抵抗ではない。


「三級敵性体相当が十体、二級敵性体相当が二体。個体差を確認。…統制。脅威。」


 高位の魔法を構築しながら、シャネが冷静に分析する。

 この集団行動は自動的なものか、それとも操作的なものか。

 フェンブレンはこの戦いを見ているのか。


 破砕音。イバラの数本が敵の刃の数に押されて砕け散った。しかし同時に、デイルが敵の隊列の僅かな乱れをつき、巧妙に一体を絡めとることにも成功していた。


 そして一番槍のグインが疾駆する。何の恐れも迷いもない見事な突撃だった。


 続いてシャネの紫剣が舞い、デイルの砂のイバラが再び渦を巻く。


「ご主人様の予想通り。この子たちも、もう死んでる。…死者よ。」

「そうか。」


 俺も足を踏み出す。イバラを足場にして一思いに跳躍する。利き腕のように使い慣れた左手に、浄化の剣を携え。




 ――【定言・浄化・永・霊・宿・薙・貫・却・滅・灼・灼・灼・灼・昊】

  ――断じる・死の頂の浄き祈りよ・永く・()く・宿り・薙ぎ・貫き・(しりぞ)け・滅ぼせ・(あらたか)に・灼に・灼に・灼に・灼に・(そら)へと


 ――【十二乖・(はなむけ)ノ剣】




 これもまた、神器の一つ。今の時代の人間には製造できない、永続型の魔導器と定義される最高位の武器だった。


 自爆しようと縮み始めていた、デイルのイバラに捕らえられた一体の心臓体へと刃を当てる。

 振り抜くのに力はいらなかった。その魔物は既に死者であるが故に、死者を浄化する剣によって一瞬で全身が蒸発した。


 死者は敵ではない。敵は、赤い心臓を掲げる邪悪な魔法使いにして、俺達と同じ魔界横断者、ただ一人だ。


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