017
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「ギード。お前は潜伏している間、いつナウン・テスに被害が及ぶのか、いつ胸の鼓動が止まるのか、戦々恐々としていたはずだ。それでも、黒幕が彼女や自分にどんな判断を下すのか、何を聞き、何を見ているのかを考え、見極めようとしていたはずだ。それがお前の戦いだった。なによりも、彼女を助けるために。それは、お前が優しい――」
「もういい。もう、それ以上好き勝手にしゃべるな。」
指を重ね、少し困ったようにデイルと見詰め合っていた美しい少女。その視線を切ると、何かを誤魔化すように睨みを利かせてきた。
だが、確信していた。デイルが向けるあの清浄な視線。子ども返りした幼稚さの裏に隠れた労り。ギードからのあの透徹な視線。大人びた軽薄さの裏に隠れた憐み。ギードは間違いなくデイルの同胞であり、同類だと。
「そこまで分かっているなら、この期に及んでも俺がこうして勿体ぶっている理由も察してるんだろう?」
黒髪黒眼の麗人の少女は口汚く喋る。堰を切ったように、とめどなく言葉を発し続けた。
「ああそうさ。俺は黒幕の正体を知っている。直接顔を見た。話もしたぜ。そしてビビってる。秘密をバラそうとした瞬間に、この鼓動が止まるんじゃねえかってな。
あいつはこう脅してきやがった。もし裏切ったらすぐに心臓を止めて殺すと。ハッタリだとしても、それを確かめる方法はない。確かめようとするだけで止まる可能性だってある。じゃあ、どうやって確かめたらいいんだ?
今だって、俺の中にある偽物の心臓を通してこの会話を盗聴してるかもな。俺はずっとその可能性の正否を考えてきた。聞いているのか、いないのか。即死させることができるのか、できないのか。逃げ隠れて、何かが起こるのを待ち続けて、情けなくビビりながら奴の目と耳と狂った頭の中のことを考え続けた。だが、ああきっと、奴は聞いてないだろうよ。お前の話を聞いていて確信したぜ。奴は何も聞いていない。聞こうともしていない。これっぽっちもビビっていねえ。狂ってやがる。テメエ以外の何もかもが有象無象の収穫物なんだろうよ。獲物ですらねえ。そんな狂人が、盗聴なんて、ましてやせせこましい暗殺なんて情けねえことするわけねえよなあ!?
いいだろう、言ってやる。殺すなら殺せ。俺の本物の心臓を抜き取り、偽物の心臓を埋め込んだ奴は――」
「ギード、待て!!」
「フェンブレンだ。正確には、フェンブレンに成り変わった最上級の製造者にして、十乖を超えた魔法使い。赤い心臓の首飾りを下げた、第七奇跡の追求者。執刀医にして、黒幕。すべて同一人物だ。秘密工場の倉庫をもう一度よく調べろ。魔法で厳重に隠されている地下通路が、あの病院廃墟の地下深くにあるアジトと繋がっている。大急ぎで撤収したのなら何か残っているかもしれねえ。歴史上の特級製造者と一級製造者、それに準じる人間のリストを調べろ。フェンブレンの近辺もだ。奴とわずかでも関りがあり、突然消息を絶った人間がいるのなら、そいつが黒幕だ。あるいは、フェンブレンの前に黒幕が成り変わっていた姿だ。これだけ手掛かりがあれば、お前たちなら突き止められるな?」
沈黙。短くも長い静寂。
「はい。帝国の威信にかけて。」
はじめに沈黙を破ったのはアテター・ラエルだった。そしてすぐに遍話機を取り出し、どこかへと連絡を取り始める。一級公務の管理官を据えた特別捜査本部の設立、という発言が聞こえる。仕事が早い。
「…よし。賭けは、俺の勝ちだ。ははっ、ざまあみやがれ。」
ギードが椅子を蹴って立ち上がり、勝ち誇ったように胸に手を当てる。
どうだ、と言わんばかりの表情をデイルに向ける。
「…助かった。だが、筆談でも良かっただろう。何かのキーワードを口にしたらスイッチが入る可能性もあった。…いや、今もあるな。おい、もう何もしゃべるな。あとは俺たちが何とかする。」
「いいや。キーワードで死ぬなら、多分筆記でも死ぬだろうな。その程度の識別は定言魔法の応用で可能だ。奴にはその知識も腕もある。あー、一気に喋っちまったから補足したいことがあるんだがな。俺がこれを埋め込まれた経緯とか、第七の――」
「黙っていろ。寝ていろ。終わったら起こしてやる。」
「安心して眠っててね。」
「ぐ…。早めに頼むぜ。一月くらいなら、待ってやる。」
ギードが歯噛みして再び睨みつけてくる。正直全く怖くない、というのは言ってやらない方がいいだろう。
それにしても、ここに来て第七奇跡か。未確認、未確定の奇跡の追求、それは…、いや、黒幕の動機は後回しでいい。目に見えている犯罪を追跡し、罪を贖わせることが第一だ。
「はー、まさかこの俺が眠り姫の立場になっちまうなんてな。焼きが回ったもんだぜ。手紙で伝えた通り、俺のことが欲しかったら、テスも俺もちゃんと助けろよ? 熱い口づけを待ってるぜ。」
ギードが勝ち誇る。
「せいぜい使い走りの召使いとしてこき使ってやる。楽しみにしていろ。」
「性奴隷でもばっち来いだぜー?」
「寝言は寝て言え。」
「ま、その辺は正妻のデイル嬢ちゃんと相談だな。」
「だから――」
ピピピ。
遍話機の着信音が白い室内に響く。
「――ああ、魔物の市場からだ。競りの入金の件だろう。」
「おい。やっぱり日銭稼ぎに行ってたんじゃねえか。」
ギードを無視して懐に仕舞っていた遍話機を手に取り、耳に当てる。着信音が入った瞬間に全身を駆け巡った、最大級の悪寒。一向に止む気配はない。
『――大変申し訳ありません。緊急事態発生の為、本日の競売が中止になったことをご報告いたしますを。サイトウ・ファット様への入金は明日以降に延期となります。入札される物品は保全されていますので、本契約内容に大きな変更はありません。』
「…発生した緊急事態について、詳しく聞いていいか。」
機脳族の音声。帝国の公務者は第三外界の魔物市場でも公正さを存分に発揮している。
『申し訳ありません。機密情報扱いのため――』
「二級公務の特務捜査官、アテター・ラエルです。ファット様の権限については私が保証します。詳しい説明をお願いします。」
いつの間にか通話を終えていたアテターが横から割り込んでくる。耳をそばだてていたのだろう。
それは非常に珍しいことだった。異常事態と言ってもいい。そして目に見えて焦っている。何故だ?
決まっている。
ちらりと横を見るとデイルもギードもこちらを注視していた。二人にも聞こえている。悪寒が止まらない。
『…畏まりました。それではご報告いたします。本日十七時三十六分、第三外環ジリ地区、ジリ市場近辺の狩猟区にて死亡した五級狩猟者タインリー・カフンが、死亡後まもなく魔物化する事件が発生しました。
タインリーは巨大な心臓に酷似した姿に変貌した後、周囲の狩猟者を無差別に殺害しながらジリ市場に接近。狩猟者と公務者の臨時部隊が交戦。敵戦力は三級敵性体に匹敵。十数分に及んだ戦闘で最終的に致命傷を与えることに成功しましたが、その直後に自爆。事件発生地点と市場の距離が短かったこともあり、対応に遅れが生じ多数の死傷者と物的損害が発生しました。
現在、可及的速やかに復旧作業を実行中です。警察局ジリ支局には通報済み。現在、現場は封鎖されています。市場の再開は早くとも二日後を予定しています。』
「…魔物化したということは、原因は不適応の魔導器が最も疑われる。現場周辺で何か見つかっていないのか?」
『現時点では見つかっていません。魔物化の原因も不明のままです。』
沈黙を破ったのは、またしてもアテターの事務的な肉声だった。
「実は先程、私の方にも二件の報告が上がっていました。発生時刻は十五時十分と十六時四十分。場所はティークル底街とカラナ庭街。死因は、事故死と病死。五級製造者と、五級生産者。そして共通して、死後数分以内に巨大な心臓の魔物へと変質しています。無力化した直後に自爆し、多くの被害を出したことも同じ。
ジリ地区の事件も、もう間もなく私の方に上がってくるでしょう。」
「…自爆後に、疑似心臓の魔導器は見つかったか? 欠片一つでも。」
「残念ながら。」
「カンクナットの方は。」
「底街底部通路を隈なく捜索していますが、そちらでも魔導器の残骸は未だに見つかっていません。また、密造酒の倉庫でも、被害者の救助の後に徹底した捜索が行われましたが、残された遺体内から魔導器を発見することはできなかったと。」
「…それはどういうことだ? 確かにグインが…。なら…。」
「もし魔導心臓の素材の大半が生体であるなら、遺体の血肉と見分けがつかなくまで完全に分解され、溶解したということもあり得る、というのが鑑識班の推測です。血液も含め全て分析にかければ、新しく判明する事実もあるかもしれません。」
「分解…か。魔物化する前に破壊された場合も、魔物化した後に自爆した場合も。だとすると、テイデルも病院廃墟で発見された被害者も、殺されてから調べられるまでの間に魔導心臓が分解されたのかもしれない。」
「はい。そうであれば、黒幕…フェンブレンが人間の方にはあまり注意を払っていないことに、ある程度の説明がつきます。」
「随分と傲慢な奴だ。多少の裏切りや情報漏洩では捕えられないと確信しているのか。」
「そして、決して侮れない相手です。このような性格の知能犯は、決定的な物証の証拠隠滅のみを徹底し、決定的ではない証拠をあえて多く放置し、長期化した捜査が打ち切られるまで完全に身を隠し続ける傾向にあります。フェンブレンの近辺も、高位の製造者のリストも、楽観的なまま成果を得られないかもしれません。」
それはアテターにしては比較的長く、そして悲観的な発言だった。
俺は意図的に話題を変える。
しかし、そちらでも悲観的にならざるを得なかった。
「…スイッチは既に押されていたとしか考えられない。カンクナットが魔物化したタイミングで。でなければ、楽園はもっと早く心臓の魔物で溢れ返っていた。」
「恐らくは。」
「勘違いをしていた。黒幕が用意していたのは、少なくとも、魔導器を移植した人間を死後に魔物化させる機能だ。」
「同時多発のテロリズムではなく。」
「いつどこで爆発するか分からない、断続的な時限爆弾だ。ある意味、こちらの方が性質が悪い。その上で、いつでも心臓を止められるスイッチも持っているかもしれない。最悪だ。」
「全くです。」
「魔導心臓によって新しい力を得た者が、新天地を求めて楽園中に散らばることも計算の内か…。狩猟区で死んだタインリーもきっとそうだったのだろう。希望を見出し、それで…。…ギード。」
「おう。何でも答えてやるぜ。もしこれで死んだらテスを貰ってやってくれ。死ななかったら、俺を大事にしろ。命と交換だ。」
「分かった。」
「ヒュウ、おっとこまえ~。」
「茶化すな。」
事件の黒幕、フェンブレンを名乗る者は生者を半ば放置し、魔導心臓という証拠の隠滅と死後の魔物化に労力を割いている。ここまで奔放に証言したギードが今更殺される恐れはほぼないと見ていい。それでも、命は一つ。故に、質問は一つだ。
「移植された被害者は、何人いると思う?」
「断言はできないが、少なくとも千人。多ければ十万人以上だ。ひひっ、これで俺はお前のものだ。後悔するなよ。」
頬杖をついてギードが明言した。断言はできないと言いつつ、それは紛れもない断言だった。
十万。一つ一つ製造し、一人一人移植手術をしてきたのなら、想像を絶する数だ。背後のアテターが僅かに息を止めた気配がした。
「私からも一つだけいい?」
「デイル。」
「おー、いいぜ、嬢ちゃん。出血大サービスだ。対価は…、そうだな、何でも一つ、俺の言うことを聞く、だ。」
「いいわ。」
「…デイル。ギード、お前もだ。あとで覚えていろ。」
「おお、こわいこわい。…ごめんなさい、調子に乗りました。」
「ごめんなさい、ご主人様。でも、一つだけ確かめたいことがあるの。…ギード。そいつは、赤い心臓の首飾りをしていたって言ったよね。それは、まるで本物の人間の心臓のような彫刻だった? 大きさも、色も、陰影も。」
「…ああ。その通りだ。真っ赤で、気味が悪いくらいよくできていた。なんだ、知ってたのか。心臓はあいつの…、…ゴシュジンサマ、機嫌直して? な? おーい…」
「…どういうことだ。まさか、知って――」
「やっと、思い出した。駄目ね。いつか殺すと決めていても、楽しくて幸せな時間があまりにも長く続いたから、すっかり忘れてたわ。」
――【定言・指針・求・示・正・赤・赤・赤・赤・赤・過】
――【断じる・因果を指し示す裁断の短針よ・求め・示せ・正しく・赤く・赤く・赤く・赤く・赤く・過へと】
「こういうことって、あるのね。もう手遅れで、あなたを迎える準備をしないといけなかったから、念のため魔法の指標を付けただけで見逃した、邪悪な魔法使い。龍の心臓から削り取られ、象られた、人間の心臓の首飾りを下げていたわ。」
「まさか…。」
デイルの手元に泡のような光球が灯る。その球の内部には一本の真っ赤に細く光る針があり、中心から真っ直ぐに一つの方向を指し示していた。斜め上の白い天井の角。つまりは地上の一点を。
「あの時の私は、まだこの私じゃなかったから、気付かれないようにとびきり強力な楔を打ち込むことができた。今まで残っていてよかった。」
理解した。確信した。その証拠がこの光の指針だ。ついにその時が来たのだと。訪れていたのだと。
「…ああ。俺も、心からそう思う。時を忘れる程の冒険に耽ることはあっても、一時、偉大な光景に心を奪われることがあっても、いつか必ず復讐すると決めていた。お前への復讐は終わった。だから、あと一人だ。」
「この針が指し示す方向に。そして、針の長さが距離を示す。とても近いわ。上の庭街。全然動いていないから、そこに隠れているのかも。」
「そうか。それは好都合だ。」
遠い記憶。最近見た夢。いまだに見る悪夢。
巡り巡る因果。悪魔の試練の舞台となった、あの集落を滅ぼした者がこの楽園にいるという。俺達と同じように、楽園に辿り着いていたという。何という偶然か。いや、必然だったのだろう。
報いは受けなければならない。
これが旅の終わりの報酬だというのなら、かなり気の利いた冗句だ。