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 並行する二面の断崖と直角に交わる水平の地面が左右に真っ直ぐ続いている。断崖の平らな壁面に点々と並ぶ、長方形の窓から漏れる照明によって平面の地底は半月の夜程度の薄い暗闇を纏っていた。


 俺達は一方の断崖のすぐ傍に降りていた。だから、頭上で縦方向に細く引き伸ばされた星の列と、もう一方の断崖で灯る小さな四角の星の列を見上げながら、遍話機を耳に当てて上空にいる戦友と連絡を取ることになった。


『無事でよかった。こっちは任せて。あれから何の問題もないよ。』


「頼む。こっちも任せてくれ。あとは証拠を詰めて、黒幕を突き止めるだけだ。書かれていた住所に向かった後の道筋は見えている。」


 グインたちのいる真上では、ようやく警察の捜査班や救急隊が現場に到着したという。現在は秘密工場奥の倉庫に囚われていた生存者を救助するため、崩れた岩盤を取り除く作業が進められているとのことだった。

 岩盤はともかく、違法の工場を収めていたコンクリートは楽園のフレームと同等の、第二奇跡の派生造形であり、いわゆる破壊不能の永久物体だ。彼らの命も、数々の証拠品も無事だろう。


 ただ、さすがに周辺被害が大きく、二人は一連の出来事についての証言と現場検証の同行を求められ、これからしばらく身動きが取れなくなる。


「とっとと終わらせる。土産話を楽しみにしていてくれ。」


『へえ、驚いた。』


「なんだ?」


『とっとと終わらせる、だなんて。僕が知る限り、君がそんなに強い意気込みを見せたことはなかったから。驚いたよ。何か心境の変化があった?』


「…ああ、少しな。」


『君がそういう言うってことは、全然少しじゃないってことだね。そっちの話も楽しみにしてるよ。』


 そう言い、グインは機嫌よく通話を切った。


 ――金龍王国の没落貴族の遺児にして、簒奪者によって一族郎党を皆殺しにされた孤児。生存と復讐の力を得るため、自ら男性器を切り捨てた若者。本人によると、今はもう、自分は男でも女でもないという。俺はその苛烈すぎる意志と行動を尊重している。

 初めて会った時は、グインの唯一人の友人であり、幼馴染であるシャネと、二人で死人のような顔と声をしていたが――


「色々とお見通しされてるみたいだね。」


 聞こえていたのだろう。デイルが微笑んでフォローしてきた。


「自分のことながら、現金だな。こうなると、優秀な新人の世話を焼けるくらいの余裕も欲しくなってくる。」


「いいんじゃないかな。いい傾向だと思うよ。」


「そうか。」


「うん。面倒見のいいベテランはいつだって有難がられるものだよ。とっても貴重。」


「ベテラン…、ベテランか。」


 悪くない言葉の響きだった。






 楽園の地底の壁には、選ばれた者しか通ることのできない帝国への入り口だけでなく、自由に行き来できる各底街の非常口が等間隔に設置されている。それは、今の住居に引っ越してきた頃、二千ページ以上にも渡る第二外環地図を購入し、デイルに半ば呆れられながら丸一日かけて全ページに目を通した時に確認済みだった。


 白月の明かりの魔法を灯し背後の壁面を見渡すと、暗黒に呑まれる寸前の視界内の端に重厚な扉が視界に入っていた。ちょっとした幸運だと思っておこう。

 金属製の扉の上には、『イルンカ底街』と丁寧に刻まれたプレートも掲げられており、几帳面な帝国の役人の仕事だろうと確信する。


 非常口にロックはかかっていない。重い金属音を響かせて扉を開け放ち、底街へと足を踏み入れる。


 黄色の非常灯と、二人が肩を並べて通れる程度の細い通路、そして上階へと向かう急勾配の階段が進むべき道として現れた。入ってきた扉の通路側には『底街底部通路』という表示と、緊急時の非常口であることを示すマークが刻印されている。


 まだ人気はない。デイルを背後にして慎重に進む。


 暗い四角の螺旋階段を数周し、時間をかけて昇り切る。


 そしてもう一度現れた重厚な扉を開けると、大勢の人々の行き交う大きな通路へと突き当たった。


 服飾の少ない、簡素な作業服を着た通行人の何人かにその瞬間を目撃されていた。彼らは少し驚き、しかし、足を止めることなくそのまま過ぎ去っていった。

 その後に続く通行人もこちらを気にしながら足早に去っていく。


 一直線の地下通路の両脇には飲食店や衣料品店、雑貨屋等が所狭しと並んでいる。暗闇に慣れた目に眩しい、オレンジやピンク、赤や青等のネオンカラーが文字となり、看板となり、テナントと通路を彩っていた。

 

 低い天井には『イルンカ下駅』の方向を指し示す電光掲示板。表示によると、この近くに更に階段があり、昇った先に底街の下部を貫く魔導列車の駅があるようだった。


「底街の、駅地下の商店街か。」

「結構賑わってるね。」


 ――底街の大工場群は二十四時間常に稼働し続けているが、班単位で列車のダイヤグラムのような最大効率のシフトが組まれ、ここで働いている製造者は長時間拘束されているわけではないという。

 寧ろ、段街に点在する商店や会社よりも従業員の福利厚生が重視され、残業時間も月ごとに厳格に制限されている。それで逆に、空いた時間を持て余してしまうことも多いと聞く。


 労働環境は帝国によって継続的に監査されている。公務者に賄賂や接待は効きにくい。全く効かないという訳ではないが、腐敗や汚職の類は社会的問題とはなっていない――


「とりあえず、駅に行こう。追跡者がここまで来るのはあまりないんだろう。実際、俺達も初めてだ。」

「うん。かなり目立っちゃってるね。でも、職務質問されたらどうするの?」


「やましいことは何もしていない。正直に答えるだけだ。」

「…うん。そうだね。ご主人様の言う通りだよ。」


 言いたいことがあれば言っていい、という視線を送る。


 にこり、と笑顔を返された。






「お待ちしていました。警察局本部所属、二級公務者の特務捜査官、アテター・ラエルと言います。」


 雑踏に交ざって駅に向かう途中、明らかに場違いな出で立ちの人間がこちらを向いて立っていた。そして目が合った瞬間にそう話しかけてきた。


 長身の、機脳族の男。オーダーメイドであろう高品質のスーツとブーツ。俺よりもさらに頭一つ分背が高い。


 ――機脳族全体の九割以上が地下帝国の人間であり、地下帝国の人間の九割以上が機脳族である。


 そのような人口分布を持つ機脳族は、地下で暮らすことを好んでいる、ということ以外にも際立った特徴を有している。

 それは、胎児の頃から微小の珪素と金属を摂取し、頭蓋の中で少しずつ機械頭脳を成長させていくという遺伝的特性だ。

 その機脳は、青年期には脳全体の三割、壮年期には半分以上を占めるという。


 彼らは機械的な言葉と理性により、機械的に帝国を運営している。

 そしてそれは公明正大に、という意味でもある。

 彼らは私利私欲が非常に薄く、社会全体の利益の為に動くことができる。その点に限って言えば、機脳族、ひいては地下帝国は楽園の市民から絶大な信頼を勝ち得ていた。


 段街の役所や警察等の公的機関で働いている五級から三級の公務者も過半が機脳族であり、冷静かつ公平に日々の仕事をこなしている――


 目の前に現れたアテターという機脳族も、まるで機械的なルールに基づき、機械的な自然さで登場したように見えた。


「二級…、帝国の貴族が、こんな往来で何の用だ?」


 ――連続した自然数であっても、二級と三級の職能階級には大きな隔たりがある。魔法における九乖位と十乖位のように、隔絶していると言ってもいい。狩猟者であれ追跡者であれ、製造者であれ公務者であれ、楽園の人間は二級以上と三級以下の二つの階層に大別される。


 そして、国家の運営を行う公務者の上位者は、そのまま楽園の支配者を意味する。

 最上位の特級公務者が各社会勢力の頂点である国王や皇帝、法王。一級が王族や皇族。そして二級の貴族。個々人が社会を動かす力をもつ上層階級。彼ら全員が公務に特化した才能の血統と英才教育の結晶であるため、市民上がりの少数の天才が完成された貴族官僚社会を覆すことはできない。


 そして、楽園が公正な実力主義社会であり、誰もが王や富豪や英雄になれる可能性を持っているとはいえ。その可能性が零ではないとしても。結局は、零ではないというだけだ。


 なぜなら、昇級するためには厳正な実力試験に合格しなければならない。そして、全ての職能の四級以上は定員が決まっている。大抵の五級ですら。定まっていないのは、五級の製造者と生産者のみ――


「どうか警戒を解いてください。サイトウ・ファット様。サイトウ・デイル様。私の任務はただ一つです。

 それは、事件解決まであなた方お二人に同行し必要な支援を行うこと。決して、邪魔は致しません。」


 こちらが無礼としか言えないような態度を取ると、男は貴族であることを否定せず、慇懃無礼とも言える態度で応じた。生まれ持っての貴族。純粋培養された機脳族の成人。その実物が目の前にいる。


「人目がある通路でお待ちしていたのも、お二人に過度な警戒感を与えないようにするためです。もし私が外の通路で待っていたら、警戒せざるを得なかったでしょう。」


「…もし同行を断ったら?」


「その時は、残念ながら公然猥褻罪で検挙することになります。底部通路は滅多に人通りはないですが、公道として規定されていますから。」


「……。」

「……。」


 ほら、というデイルの視線。

 なにがほらだ。元はと言えばそっちの方から仕掛けてきただろう。

 本気になったのはそっちが先、と言わんばかりの微笑みを返される。


「そろそろ行きましょう。注目が多くなってきました。」

「俺たちのことをどこまで知っている、とは聞かない。ただ、邪魔する気がないのなら、不必要な発言は控えてくれ。」

「仰る通りに。」


 白豚族、麗人族、機脳族。ネオンの輝く雑踏で、この三人組の組み合わせと風貌は異彩を放ち過ぎていた。俺は人目を気にしない方だが、傍から見れば一体どれほど異様に見えるだろうと他人事のように思ってしまった。






 それからしばらくは無言が続いた。


 駅構内に入り、地図を確認し、切符を購入して垂直列車に乗車する。


 水平方向に運行する路線とは別の、鉛直方向に昇降の往復をする、巨大なエレベーター。この垂直列車は底街を突き抜け、バーデイ段街の駅とも繋がっている。


 乗車率は低くない。一両につき十人以上は乗っている。

 彼ら、下級の労働者達の顔は押し並べて暗い。


 絶望が支配している、という程ではない。疲弊している、という訳ではない。


 であれば、諦めか。

 鬼角族も、灰眼族も、白豚族もいる。多くが静かに窓を見ているか、居眠りをしている。読書をしている者も。小説は車中の数少ない娯楽だ。

 家ではラジオやレコードも慰めとなる。それとも、恋人や家族が待っているだろうか。


 その片道に、魔法使いの白豚族と麗人族が闖入している。支配者の機脳族もいる。

 彼らはこちらを見ようとしない。

 俺達も、彼らを視界の端に入れているだけで、焦点を合わせることはしない。


 これは現実だろうか。現実だ。


 緩慢に揺れる人間の呼吸音と緩慢に上昇する列車の振動音が重なり合い、静寂を招いている。


 やはり、絶望だろうか。それとも、ささやかな幸せがあるだろうか。






 乗車してから二つ上の『イルンカ上駅』で降りる。底街の底とは逆の、段街側の上層まで戻ってきた。

 駅の改札口を潜ると、地下とは思えないような開けた空間に出た。


 閉塞感が和らぐようにこの区域全体が一つの巨大なコンパートメントとして構築され、その空間内に灰褐色の高層集合住宅が幾つも並べられている。各社の社員寮や団地が密集している集合住宅地区だ。

 段街の住宅地より、工場のある底街で暮らした方が通勤時間や交通費を節約できるため、ここでの生活を選ぶ者も少なくない。


 しかし、多くもない。大抵の者が地下生活を始めて数年で心身に不調をきたし、地上に戻っていく。


 その理由は、ここでは空が見えないから、という結論に尽きる。


 コンパートメントの天井から吊り下げられた自然光に近い輝きを放つ巨大な魔導照明も、敷地中央に設けられた緑と噴水の公園も、心の内に蓄積されていく閉塞感を癒すことはできない。


 ――奇跡も魔法も存在するこの世界で。楽園で。

 大量生産品を生み出し続ける魔導機械や純粋機械、複合機械の傍で働き続けている。

 魔導列車と魔導バスの公共交通網に身を投じ、毎日同じ通勤路を往復する。

 動力を蓄えた魔導石の製造、もしくは充填。地下廃棄層の採掘、そして分解と合成。ありとあらゆる製品の生産。入出力と搬出入。機械工業も手工業も。

 それらの全てが製造者の仕事の範疇だ。ほぼ機械化されている分野もあれば、ほとんど人の手で作られている物品もある。


 彼らは楽園に必要とされている。低コストで動く一群の製造ラインと見なされている。

 そうして生きている。そうして生きていくしかない。そうして生きていくしかないようにされている。


 果てしなさは人間に必要な奇跡だ。たとえそれが渦巻く段街の細い空であっても、空の色と天気を気にして見上げない日はない。


 第二奇跡、世界の誕生。その派生事象、無窮の空。


 世界とは奇跡そのものである。

 奇跡とは人知を超えた現実の枠組み。フレーム。奇跡である、と人間が規定した存在。在るもの、として示されたもの。

 生命も、人間も、魔法も。そして――


「ご主人様?」


「…後遺症がまだ残っている。多少、思考が落ち着かないが問題はない。」


 機脳族について。底辺の製造者について。底街、段街、楽園、世界、奇跡について。


 それらは背景だ。

 解決すべきナウン・テスとギードの事件の前提であり、しかし、前提に過ぎない。


 俺は一度首を振り、静かに深呼吸をする。移動中、どうやら扁桃体や記憶野が活発化し、無意識の内に考えに耽ってしまっていたようだ。これからは目の前の事に集中しなければならない。


「まずはナウン・テスの姉の住居に向かう。分かっていると思うが…」


 意識して精神を落ち着かせて背後へと振り返り、社会的な権利を振りかざして同行するアテターへと言葉を投げた。


「はい。繰り返しになりますが、邪魔は致しません。お二人に同行し必要な支援を行うことが私の任務です。

 訪問先はツシイン・テットと、夫のツシイン・タウロの住居ですね。タウロはタナー製鉄で係長の役職にある四級製造者、テットは五級家政者の専業主婦で、この時間はテット夫人が在宅中です。

 私は捜査権限も持っているので、ある程度のトラブルには対処できます。」


「…あんたの姿そのものが、捜査権の権化のようなものだ。」


「存分に活用ください。」


 俺は今、苦虫を噛み潰したような表情をしているに違いない。


「ご主人様。顔。」


 気付いたデイルが手を伸ばして頬のマッサージをしてくる。上級の公務者に向かってあからさまな態度を取るのは、百害あって一利なしだ。


「…嫌っているわけじゃない。気分を害したなら謝る。」


「いいえ。お気遣いいただき、ありがとうございます。」


「む、ぐ…。」


 抑揚のない声。感情の死んだ顔。どうしても、家族を失ってから無感情の社畜となり、仕事に命を捧げていた昔の自分を思い出す。一種のトラウマだ。扁桃体と記憶野の興奮が中々収まらない。

 喉まで出かかっていた溜息を我慢した自分を誉めてもいいだろう。


 決して、デイルが両手を重ねて思い切り口を塞いでくる必要はなかった。



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