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013

 013




 ――【形象・風翼・浮・翔・軽】

  ――【象る・大空に舞う風天使の翼よ・浮かび・()べ・軽やかに】


 幻のような夢から覚める。


 ああ、とても懐かしい夢だった。遠い過去の思い出と呼ぶのはいささか幼稚だろうか。手を伸ばそうとして諦める、未だ鮮やかな、記憶の残滓。


 俺は、俺達は途方もなく長い旅路を歩んできた。二人で、果てしないほどに長く、遠く。


「ご主人様?」


「夢を見ていたんだ。」


「私がご主人様と契約した日のこと?」


「よく分かったな。そうだ。お前が俺を騙して殺そうとした時のことだ。」


「もう、意地悪。」


 クス、とデイルが小さく笑う。


 次第に意識が鮮明になっていく。

 そうだ、ここは、楽園の一つ目の地の底を見下ろす断崖の空中。地下帝国を封じ込める大いなる天蓋の上空だ。


 俺はこの俺であり、そして、美しいデイル。俺の頭を胸に抱いて風の翼を纏い、滑らかに暗黒の大空を舞っている。


 遠くの黒い帳には、明々とした四角い光の行列が張り付いている。

 底街の断崖に向かって作られた、無数の工場の窓だろう。地下に住み込みで働く者達のための集合住宅かもしれない。


 視点を現在の場景から過去に映すと、はっきりと思い出すことができた。

 カンクナットから変じた魔物――疑似心臓体を赤光の魔法で焼き殺した直後、俺はデイルの所有する空間に隔離されたのだ。


 それは、定まった体積を持つ異空間を召喚し、定まった体積を持つ物体の保存を可能にするという定言魔法。清水や治癒の魔法と並び、あの冒険の日々でなくてはならない魔法の一つだった。


 かつて、異空間の内部は元素の周期表を網羅する程の資源と、失われた第五時代の人類繁栄期の遺産と財宝によって埋め尽くされていた。

 つい先日にやっとの思いで帝国にほぼ一括で売り払った後は、非常食や替えの衣類等、不測の事態で使う物品だけを備蓄し、体積の一厘も使われていない。


 デイルはその中に俺と自分自身を放り込み、内部で爆発と時間をやり過ごしてから元の空中に躍り出たのだろう。魔法行使者であるデイルは異空間の外から目的の物を掴み出すことも、周りの空気ごと自身が空間の中に入ることもできる。

 一方で、行使者以外の生物は保存対象と見なされ、内部にいる間は完全に意識を失う。無論、空気がなければ窒息死だ。


 定言魔法とはそのようなものだ。納得できる理屈ではなく、断言される概念によって一定の現象を引き起こす。ある意味では最も魔法らしい魔法であり、極まれば生体組織を癒すことも、果ては新しい生命を生み出すこともできるという。


 そして伝説に曰く、滅びそのものをも。


 定言魔法こそが真なる魔法であり、奇跡の果てである終末の魔法だと言われる由縁だ。

 そして、そのような魔法を使いこなすデイルはあまりにも可憐で――


「顔をしかめてどうしたの? どこか痛い?」


「大魔法を使った反動だ。脳神経が昂って、思考が奔放になっている。」


 美しく、従順で、生意気で、掛け替えのない少女。俺の為に、部屋の中の彩りが絶えないよう、近所の花屋に行って少ない小遣いで一輪の花を買っていることを知っている。俺の為に――


「久しぶりに使ったからか、制御が効かないな。次々と益体もないことを…、いや、益体がないことはないが…。」


「そういう時は目を閉じた方がいいよ。もうすぐで底に着くから、それまで休んでて。」


 人間が十乖位以上の魔法を使った時は、後遺症として、このように精神が発揚する場合も、逆に抑うつ状態になる場合も、身体に変調をきたす場合もある。デイルの場合は――


「ああ、そうする。」


 目を閉じると、不意にキスをされた。


「なんだ。」


「空を飛びながらキスをするのってロマンチックだね。」


「否定はしないが…。」


 くすくすと笑いながら、またキスをしてくる。

 もう一度。

 軽く、何度も。






 広大な空間。冷たく硬い床。両脇の底街の窓の明かりがはるか上まで点々と続いている。

 明るい星空の底のような場所で、二人して横たわっていた。


 周囲にあの魔物の残骸は見当たらない。

 全て灰になり、底街の谷に吹く気流に乗って散ってしまったのだろう。


 まだ、起き上がることはできない。

 弱音でも言い訳ではなく、万全を期すために、魔法行使で消費された奇跡の要素の回復を待たなければならない。


 魔力と呼ばれる仮称のエネルギー、あるいは魔素と呼ばれる仮説の素粒子は楽園の最先端の研究でも今なお観測されていないという。

 不思議なことに、魔法の源となっているはずの奇跡の力は未だに実在が証明されていない。


 であれば、魔法とは――


「あれからお前は、しおらしくなったな。」


 赤ん坊のように自由奔放に跳ね回る思考を抑え、腕の中の少女に語りかける。

 魔法の影響で高揚するのは、もしかすると極めて微小な魔素が脳神経に作用しているせいかもしれない――


「照れずに、可愛らしくなったって言ってくれていいのに。」


「可愛らしくなった。」


「ありがと。」


 デイルが嬉しそうに笑う。


「ご主人様は強くなって、頼もしくなったね。とっても。もう、最初の頃とは別人みたい。」


「お前もな。初めて会った頃とは別人のようだ。」


「そうかな?」


「ああ。というか、逆に精神年齢が下がったから、マスコット的な可愛さだ。」


「もう。意地悪。」


 クスクスと笑う。まるで、他愛ない冗談を言われるのが心から嬉しいと言わんばかりに。


「…本当は、たどり着けないと思っていた。楽園を目指し続けて、その果てしなく長い旅の中で死ぬだろうと。」


「知ってたよ。ずっと。あなたは本当に、それでもよかったの?」


「そうなってもよかった。もう、全てがあったんだ。望んでいた全てが。奇跡も、魔法も、未知も、冒険も…。」


「可愛い恋人も?」


「お前が極上の女であることは認める。…だから、もし運よく辿り着いてしまったら、たとえどれほど素晴らしい場所でも、あとは…。」


 詰まらなくなっていくだろう、と。


「ふふ、私もそう思ってた。きっと、楽園に着く前に二人とも死んでしまうって。うん。それでもよかった。十分楽しかったし、満ち足りていたから。」


「ああ。楽しかった。どんな困難も未知に溢れ、俺を満たしてくれた。」


 悪徳の残骸疑似楽園。

 変容する千尋の螺旋渓谷。

 第二奇跡の狂奔派生を封印する四次元迷宮。

 銀河の流れる虚空峡谷レッセオ、その中空に浮かぶ球大陸リグーゼン。

 彷徨う星、ザッハーバ。


 象られた奇跡。彩られた魔法。開かれてゆく光。落ち、昇り、横切り、回転し、瞬き、解き放たれたもの。


「何度も死にそうになったね。とても怖くて、でも、楽しかった。いつ死んでも、悔いはなかった?」


「なかった。それで、俺の魂がお前のものになるのなら、何の不満もない。」


 そう言うと、今度は深いキスをされた。呼吸器が一体になりそうなくらい、深く。


「私も。…でも、ちょっとだけ、あなたと違う考えもあったの。」


「それは?」


「もし二人で楽園に辿り着けたら、子どもを作りたいなって。」


「…そうか。」


「旅の途中で赤ちゃんができたらって、そういう、生臭い大人の事情を持ち込まれるのは嫌だったでしょう?」


「まるで俺が子どもだったみたいな言い方だな。…分かっている。俺は子どもだった。不都合な物の道理から目を逸らして、魔法を振り回し、奇跡を追い求め、年甲斐もなく冒険を楽しんでいた幼稚な子どもだ。」


「セックスもね。」


「その通りだとも。思春期最中の盛った餓鬼と同じだ。…何を笑ってる。半分以上は、お前のせいでもあるんだ。」


「くす、ごめんなさい。…それで、どう、ご主人様。まだ避妊してるんだけど、子作りと子育て、興味ある?」


「…対等な関係は駄目なのか? 俺は、そのつもりで家族の名をあげたんだ。」


「うん。ごめんなさい。私の愛は、主従の関係でしかありえないから。」


「それは、お前が悪魔だからか?」


「そう。私が悪魔だから。…人間同士でも、本質はそうだと思うけれど。天秤は常に傾いてる。でも、それは別の話だね。」


「人間は表面を取り繕わないと生きていけないんだ。…お前は極端すぎだ。どうして…」


「私は、あなたがいたから本当の人間の子どものようになることができた。子どもになって、やり直すことができた。一日だって、あの神秘の大陸であなたから受けた愛情を忘れたことはないわ。

 私たちだけの、宝石みたいな思い出。」


「二人きりの長い旅だ。あれだけ一緒にいたら、どんなことが起きても不思議じゃない。どんなことが起きても、お前はお前で、俺は俺だ。

 …ああ、本当に宝石のような毎日だったな。旅を止めてここで暮らしてもいいと思えるくらいには。」


「だから。大好き。好き。愛してる。昔の私を笑いたければいくらでも笑っていい。生まれ変わって、でも私は私で、今の私が、ここにいるもの。」


「笑わない。それだけの時間を過ごしてきたんだ。でも、どうして今なんだ。こんな時に…。」


「今だから。今が、いいわ。本当は、楽園に着いてすぐに言うつもりだった。でも、ほら、色々とあったでしょう?」


「ああ、色々あったな。意外と慌ただしくて、気が休まる時があまりなかった。それはそれで楽しかったが。」


「それに、そういう話題から逃げてたし。」


「…悪かった。認める。薄々分かっていたのに、逃げていたんだ。」


「だから、今。簡単に言ったら、我慢できなくなったから、かな。」


「ははっ。そうか。」


 デイルが微笑んで胸に顔をうずめてくる。


「…俺の旅はここで終わる。いや、もう、終わっていた。それを認めることができなくて、宙に浮いていた。それで年長者面をしていたなんて、とんだ笑い話だ。」


「そして新しく始まるの。そうでしょう?」


「そうだ。そうだとも。…そうか。それにしても、子ども、か。」


「どうしたの? 不安?」


「いや…。」


「教えて欲しい。ダメ?」


「…これを言うとお前は怒るか、詰るかするだろうが…、俺にとっては…、ずっと、娘のようでもあったんだ。知っているだろう? 俺は向こうで妻と一人娘を…、丁度お前と同じくらいの――」


「――フフッ。」


「…っ、ぐっ…、待て。デイ…」


「待たない。好き、好き、好き。」


「っ…、見られてるぞ。帝国の奴らだ。監視が…」


「見られててもいい。大好き。愛してる。」


「むぐ…っ、だから…」


「それに、そんな言い訳とっくに手遅れよ。だって、私を貰ったんだもの。」


「それは…、む…」


「それとも、こういうのが好き? ね、固くなってるよ、パパ…。」


「…怒るぞ。」


「怒って。私を好きにして。どんなことをしてもいいから。私を支配して。私に全部吐き出して。ご主人様。」


「馬鹿な、悪魔だ。」


「馬鹿でいいわ。私がどんなふうに言っても、ご主人様は優しく抱きしめてくれるから。あなたが――」


「――デイル。娘のようでもあった、としか言っていない。お前は、お前だ。」


「ご主人様。ご主人様、ご主人様…。」


「愛している。」



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