雑学百話 『お茶を濁す』とは安いお茶を抹茶に見せかけること
その場を誤魔化し繕う事を指す慣用句「お茶を濁す」
これはかつての庶民が安価な緑茶を高級な抹茶に見せようとかき混ぜてわざと濁していた事から来ている。
私の特技は誤魔化し取り繕うことだ。
誤魔化しに関してであれば、社内の誰にも負ける気がしない。
OLとして4年。思えば誤魔化しと取り繕いばかりの日々だった。
上司に任された仕事を忘れていた時は体調不良を偽り帰った。本当は禁止されてるけどUSBで仕事のファイルを持ち帰っておき急いで自宅で仕上げた後、翌日に何食わぬ顔して上司にそのファイルを提出したことがある。
社長お気に入りの玉露のお茶を補充しておくのを忘れた日は、普通の茶葉を多めに淹れた後、かき混ぜ茶を濁らせた。色濃く緑の靄が掛かったそのお茶を社長はありがたそうに飲んでいた。すげぇ馬鹿だなと思った。
同期の男の子に参加したくもない飲み会に誘われた時は「……ごめん。今アレで……」と意味ありげに下腹部を抑えると男の子は「あぁ! いやっ……あのっ……ごめん!」と1人で勝手に謝ってどこかに消えた。ちなみにさっきの私のジェスチャーの意味は単純に『おなか減った』という意味だったのに。
そもそもこの会社に入社したのだって誤魔化しから始まっている。面接に持って行くはずだった履歴書を家に忘れてきたことに気付いた私は、履歴書を買い直し急いで新しく作り直したところまでは良かったが、証明写真撮影機がどうにも近くに見当たらず仕方ないのでスマホで自撮りしコンビニのプリンターで印刷し間に合わせた。
誤魔化しと取り繕いばかりの日々。
ずっと心の中に溜まっていく漠然とした不安に気付いていない振りを続けてきた。
だけどそれももう限界だった。
ある日仕事をサボって実家に帰った。
自分の気持ちをも誤魔化し続けるのは流石の私もうんざりだったのだ。
実家で出迎えてくれたのはお婆ちゃんだった。
「沙耶? どうしたの? おかえり」
庭先の花に水をやりながら、おばあちゃんは目をまん丸にし私を見る。
「うーん、ちょっとね」
私は苦笑いで応えた。
「……お母さんは今パートのお仕事に行っているから夕方まで帰ってこないよ?」
「じゃあ今家にいるのはお婆ちゃんだけ?」
「沙耶の事を独り占めできるなんて贅沢だねぇ。さぁ、お上がり。久し振りにお茶でもしようか」
お婆ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
奥の茶室に通された。
私の茶道の師匠でもあるお婆ちゃんは週に一度この部屋を使い今も現役で茶道教室を開いているのだ。
私はお婆ちゃんと向かい合う形で正座した。
お婆ちゃんはわざわざ和装に着替え、私にお茶を点ててくれていた。
い草の香りと茶筅の振れる音だけが私達を包む。私はそれらにむず痒さと懐かしさ。そしてほんの少しの居心地の悪さも感じた。
そもそも私は両親からの反対を押し切り上京した身分だ。
ひとり娘として何不自由なく育てられながら、それでも東京への憧れを捨てきれず半ば喧嘩同然に飛び出した私は本来ここにいるべきではないのだ。
もし仕事を早く切り上げてきたお母さんに出くわしてしまったら、何て言って誤魔化そう? いっそ会社が倒産したことにしてしまおうか……
「どうぞ」
お婆ちゃんが点てたお茶を勧めてくれた。
「おっ、お点前頂戴いたします」
久し振りの茶道に少し戸惑いながら私は応える。
「今日はそこまで改まらなくていいわよ」
お婆ちゃんはそう言ってにこやかに微笑んだ。
師匠がそう言うのであれば――
私は素直にお茶だけを楽しむことにした。
お茶碗を持ち上げゆっくりと一口目を飲む。芳醇な薫りを追いかけてくるようにほのかな甘味が口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
思わず口を衝いて出た。
お婆ちゃんのお茶はいつもそうだ。他の誰にも出せない深みがあるのだ。
いつだったかお婆ちゃんは教えてくれた『お茶にはその人の人生が表れる』と。
私はこれまで会社で淹れてきた何百杯ものお茶を思い出す。インスタントのものとはいえあれも立派なお茶だ。
ただ社長好みの温さだけが強みで、誰も何も気にも留めない薄味の私のお茶。確かにお茶には私の人生の全てが表れていた。
「次は沙耶の番よ」
お婆ちゃんはそう言い、私を茶道具の前に座らせてきた。
「お婆ちゃん、私無理だよ。最後に点てたのなんて中学生の時だもん。もう忘れちゃってるから」
私がいくら断ろうとお婆ちゃんは「まぁまぁ、やってごらん」と譲らない。
結局お婆ちゃんには私の隣に座ってもらい、私は横から教えて貰いながらお茶を点てさせられることになった。
茶杓二杯分の抹茶を篩にかけお茶碗に入れる。
ゆっくりお湯を注いだ後、茶筅の先を茶碗の底にあて先ずは撫でるように優しくゆっくり点てた。
「充分よ。よく出来てる」
お婆ちゃんはそう言って褒めてくれた。ただそのあと「だけどね、沙耶」と言いながらお婆ちゃんは私の背中をそっと撫でてきた。
「背筋を伸ばしなさい。それが美味しいお茶を点てるコツよ」
お婆ちゃんの手に誘われるように私の背筋が伸びていく。
「胸張るほどじゃなくていい。ただ背筋を伸ばすだけでいいの。沙耶、それだけであなたのお茶は嘘みたいに美味しくなるわ」
何かを見透かしているようなお婆ちゃんの言葉。
私はただ一心にお茶を点てる。手首を前後に動かしただこのお茶を飲んでくれる人への想いを込めながら茶筅を振り続けた。
「もう、大丈夫そうね」
お婆ちゃんはそう言うと立ち上がり、私と向かい合わせの席に戻っていった。
「どうぞ」
私はお茶を差し出す。
「ありがとうございます」
お婆ちゃんはそう言って一礼した後、茶碗を二回半回し、ゆっくりと口をつけ一口目を飲んだ。三口で全て飲み干した後お婆ちゃんは安心したように笑ってこう言ってくれた。
「結構なお点前でした」
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