進路指導
続きです。
-side 田島亮-
放課後の補習。それは昨年から続いてきた俺の日課のようなものであり、俺の成績向上の原動力となっている時間である。
この『補習』は他のヤツらから見ればかなり抵抗があるらしいが......実を言うと、俺は補習をそれほど悪いものだとは思っていない。まぁ、かといって『補習が好きか?』と言われると、そういうわけでもないのだが。
でも、まあ...別に嫌いというわけでもないんだよな。
俺と先生だけが居る静かな教室。窓から差し込む夕日。校舎の外から聞こえてくる金属バットの音や、下校している生徒達の取るに足らない雑談、などなど......補習の時、俺は『放課後の学校』をそれとなく肌に感じながら勉学に勤しんでいる。
まあ、だからといってそれを面白いと思うわけでもないのだが......そういう空間で授業を受けるのは俺だけの特権だと思うと、補習もそれほど悪いものでもないな、と思えてくるのだ。
「よし、じゃあ今学期1発目の補習を始めるぞ」
今日も今日とて体育教師さながらのジャージ姿の国語教師が教壇に立ち、いつものように授業開始を宣言する。なんか、この光景も随分と見慣れたものになったな。
まあ、とにもかくにも新学期最初の補習の開始である。今日は奈々ちゃん先生相手ではあるが、1発目くらいはおふざけ無しで真面目に受けるとしよう。よし、気合を入れていきまっしょい。
「......と、その前に。おい、田島。進路希望調査票は書いたか? 一応提出期限は明日になっているんだが」
「......あ、書いてないっす」
速攻でさっき溜めていた気合が抜けた。
あー、うん。進路希望調査票ね。進路希望調査票。完全に忘れてたわ。そういや休んでる時に『進路希望調査票が机の中に入ってる』って友恵から伝言もらってたな。今思い出したわ。
「なんというか...まあ、そんなことだろうなとは思ってたよ...」
「あっはっは。さすがは奈々ちゃん先生。俺のことをよく分かってらっしゃる」
「......その呼び方やめなさい」
「まあまあ、別にいいじゃないですか。期限は明日までなんですから」
「まあ、それはそうなんだが...」
「うーん、でも進路希望調査票って何を書けばいいか分かんないんですよね。俺、別に夢とかやりたいこととかあるわけじゃないですし」
なんつーか、進路希望調査票を書くこと自体は別に時間はかからないけど、今の俺には『この大学に行きたい』とか『この学部に行きたい』とか『この職業に就きたい』とか、そういう願望が一切無いんだよな。そもそも進路希望調査票に書く『希望』が無いっつーか。
あれ? もしかして俺って意外と中身が無くて空っぽな人間だったりする?
「......やっぱり夢って持つべきなんですかね」
「まあ、持っておいて損は無いだろうな」
「で、ですよね」
「でも......夢っていうのは無理に持つものでも無いと思うぞ?」
「......え?」
「あのな、田島。夢っていうのはあくまで本人の願望なんだよ。『こうなりたい』とか『こういうことをしたい』っていう気持ちなんだ。そして...そういう気持ちは自然と湧き出てくるものであって、無理に引き出そうとするものじゃないだろう?」
「......確かに」
「もちろん夢を持ち、それを叶えるために努力するのは素晴らしいことだ。それは間違いない。でも......夢を諦めた人や夢を持っていない人も大勢いる。むしろ夢を叶えられる人の方が少ないんだよ」
彼女から突きつけられたのは非常な現実。誰もがなんとなく分かっていて、けれど認めたくなくて目を逸らしているような、そんな事実。
先生は淡々と言葉を続ける。
「人は成長していくにつれて現実を知り、夢を持ち続けるのが難しくなっていく。幼い頃は理想を抱き、その理想を叶えられると信じることができるが、成長していくにつれて自分の才能や家庭事情を考慮して...多くの者は自分が理想に届かないことに気づいていく」
......俺も幼少期に夢を抱いていたのだろうか。
到底届きそうもないような、大き過ぎてすぐに諦めてしまうような、そんなバカらしい夢をガキの頃に俺は持っていたのだろうか。
まあ......今となっては分からないし、気にしても無駄なことなのだろう。
先生はさらに話を続ける。
「理想に届かないことに気づいた者は新たな夢を探したり、未来を思い描くことをやめて『今』の生活を楽しんだり、安定した職業に就くために勉学に励んだり......まあ、人それぞれで違った人生を歩んでいくという話だ」
「なるほど......じゃあ幼い頃の大きな夢を叶えられた人ってめっちゃ凄くないですか。まあ、当たり前の話かもしれませんけど」
「そうだな。理想を抱き続け、それを叶えるに足る才能を持ち、なおかつ様々な障害を乗り越えて努力をし続けたということだからな。それはとても凄いことなんだろう」
「なるほど。理想と現実のせめぎ合いを乗り越えて初めて夢が叶う、みたいな? なんかこう......深いっすね」
どうでもいいけど語彙力無いな俺。『深い』って言葉ほど浅いものは無いと思うわ。
「まあ、つまり私が言いたかったのは"夢を持っていない人間なんてそこら中に居る"ということだ。進路希望調査票に書く大学なんて適当で良いんだよ」
おいおい。教師がそんな事言っていいのかよ。
「あ、もちろん大学は偏差値が高いところに行った方が良いぞ。それは間違いない。高校生が勉強する理由なんてのは結局『良い大学に行くため』だからな」
「学歴のために勉強するってことですか」
「ああ、そうだとも。よく『大事なのは学歴だけじゃない』という言葉を聞くけどな、やっぱ1番大事なのは学歴なんだよ」
「......どうして学歴って大事なんですかね?」
「どうして学歴が大事か? それはな、良い大学を出てれば、『その大学に入れる能力を持っていて、その大学を卒業するための努力をした』という証明になるからだ。要はステータスだよ。学歴を見ればその人間の能力がある程度把握できるからな」
「......なるほど」
いや、この人マジでスゲェな。どんな質問にも答えてくれるじゃん。なんか根っからの教師って感じがするわ。
「まあ、とりあえず田島は『どこかの大学に行く』くらいに考えとけば良い。君は話すのが上手いからな。大学を出とけば就職に困ることは多分無いだろう」
「そ、そんなもんっすか」
「ああ。きっとやりたいこともそのうち見つかるさ。それが高校生活の中で見つかるか、進学先で見つかるか、就職先で見つかるのかは分からないけどな」
うーん、要するに気楽に構えとけってことか?
「高校を卒業すれば環境が変わる。環境が変われば新たな出会いがある。多くの人に出会えば多くの考え方を知ることができる。そして多くの考え方を知れば...君の世界はどんどん広がっていくだろう。そうやって見える景色が広がればそのうちやりたいことも見つかるさ。まぁ、今は大いに悩むと良い。未来のことで悩めるのは若者の特権だからな」
さきほどまでの淡々とした口調とは打って変わって、今度は優しく微笑みながら語りかけてきた先生。その笑顔には普段の授業中に見せているような険しさは一切なく、俺はなんとなくこれが先生の素の表情であるような気がした。
-side 柏木奈々-
成り行きで教師になった分際で随分と偉そうに夢について語ってしまった気がする......正直、今田島が私に向けている尊敬の眼差しが痛くて痛くてしょうがない......やめてくれ田島......私はお前が思っているほど凄い教師じゃないんだよ......
けれど語り始めた手前、話を途中でやめるわけにもいかない。とりあえず話を続けるとしよう。
「ま、まあ、その、アレだよ。やりたいことはなくとも一生懸命努力をしていれば人生はそれなりに豊かになるぞ。実際、私もそうだったからな」
「......努力っすか」
「ああ、報われない努力はあっても無駄な努力は無いからな。努力は他人に見せびらかすものではないが、一生懸命頑張っている姿を見てくれている人は必ず居る。応援してくれる人や手を差し伸べてくれる人がきっとどこかに居るはずだ」
......気づけば私は自分の経験談を彼に語り始めていた。
高校時代。勉学に勤しんでいた私を先生方が見ていてくれて...その結果、母に頼る形にはなったけれど教師という職を手にすることができた。
そして新任時代。生徒のために授業やテストの質を上げようと奮闘している私のことを彼が--田島が見てくれていた。
あの屋上で過ごした日々が無かったら、きっと今の私は居ない。人知れず悩んでいた私に寄り添ってくれた彼が居なかったら、きっと私は教師を続けることができていなかっただろう。
そう。こんな私でさえ、見守ってくれる人達が居るんだ。だったら彼のことを見守ってくれる人はたくさん居ると思う。
「......まあ、そうっすね。確かにいつも俺のことを見てくれてる人は居ますね。今日もしっかり俺の悩みを見抜いてくれてたみたいですし」
「......え? それってどういう...」
「いや、だから居るじゃないですか。俺のことをいつも見てくれる人が。今俺の目の前に」
「え!? わ、私か!?」
「いや、そりゃそうっすよ。授業潰してまで俺のために話をしてくれる先生とか奈々ちゃん先生くらいしか居ないっすから。ほんと、いつも感謝してるんすからね?」
「...!」
「はは、赤くなってる。奈々ちゃん先生は相変わらず照れ屋さんですね」
「う、うるさい! お前はいっつもいっつも私をからかって...!」
「まあまあ、いいじゃないですか。仲が良い証拠っすよ」
そう言いながら『アッハッハ』と無邪気に笑っている田島。どうやらこの子は相変わらず私をからかうのを楽しんでいるらしい。まったく。生徒のくせに生意気な奴だ。
ああ、やっぱり私は田島のことが苦手だ。だって今日は教師として深い話を聞かせてあげたつもりなのに、最後はやっぱり私をからかってくるのだから。この子の前ではどうしても教師としての威厳を保てない。
でも別にそれで嫌な気分になるというわけじゃなくて。なんというか、やっぱり心のどこかで田島との授業を楽しんでしまっている私が居るわけで......それが教師として正しいのか、正しくないのか。私にはよく分からない。
--だから少しだけ迷いつつも、私はこう思う。
早く良い先生になれれば良いのに、と。
次回、文化祭編開始。




