9月1日
続きです。
-side 田島亮-
--9月1日なんて大嫌いだ。
2年連続で新学期初日の登校が叶わなかった俺は自室のベッドに横たわり、天井を見上げながらそんなことを考えていた。
......いや、9月1日って間違いなく厄日だろ。
去年は記憶喪失。今年はおたふく風邪。つまり2年連続でベッドの上。まあ病院のベッドと家のベッドという違いはあるが、とにかく俺の身体がベッドの上にあるということに変わりはない。
......いや、マジで俺って呪われてるんじゃね?
いや、おたふく風邪ってなんなのよ。まあ今日発症したのが普通の風邪とかだったら、『あ、偶然かな』くらいの認識で済むよ? でもおたふく風邪だぞ? おたふく風邪。あの顔がパンパンになるやつな。普通なら小さい頃に患うはずのアレな。
あのー、俺もう17歳なんですけど。まだ成人はしてないけど、もう大人の階段を登り始めてるんですけど。俺の知る限り高校生になってからおたふく風邪を発症したの俺だけなんですけど。
しかもよりにもよって9月1日に発症するとか。こんなのどう考えても偶然だとは思えねぇだろ。マジで呪われてんじゃねぇの、俺。コレって9月1日に一点集中で俺に不幸が降ってくる呪いとかだったりするんじゃねぇの?
まぁ、この程度...去年に比べれば全然マシなんだけどな...
「はぁ...」
体調が優れず。気分も優れず。顔はまるで空気を入れたかのようにパンパンになっているのに、生気は身体からどんどん抜けていく。火照って体温は上がっているのに、テンションは全然上がらない。
まあ...体調を崩した時なんて、大体そんなもんなのかもしれないが。
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「兄貴ぃー、体調大丈夫?」
そう言いながら夏服姿の友恵が俺の部屋に入り、ベッドの横に腰掛けたのは時計の針が14時を回った頃だった。
「随分と早いご帰宅だな...」
「まあ今日は始業式があるだけで部活も休みだから。ていうかメッチャ顔パンパンじゃん。ふふ、アン◯ンマンみたい」
「......新しい顔をくれ」
「ふーん。意外と喋れる元気はあるんだ」
「いや、これでも結構身体が火照っててキツいんだぞ...? まあ、思ったより喉は痛くないから喋れはするんだが...つーかお前なんで俺の部屋に来たんだよ...」
「いや、普通に様子見だけど。あとは柏木先生から伝言頼まれてたからそれを伝えようと思って」
「伝言...?」
「『無理せずゆっくり治してから学校に来なさい。それと進路希望調査票を机の中に入れておいたから、次学校に来た時に確認しておくように』だってさ」
...はは、相変わらず律儀な先生だな。
「ね、ねぇ、兄貴。今食欲とかある? 一応さっきお粥作ったんだけど...」
「え、お前......帰ってから着替えもせずに俺のためにお粥を作ってくれたのか...?」
「っ! べ、べ、別に兄貴のためなんかじゃないし! さっさと治してもらわないと、なんかこう...私の調子が狂うから作っただけだし!!」
なんというテンプレなツンデレ。
「...はは、お前って俺が体調を崩した時はいつもよりちょっと優しくなるよな。お兄ちゃん、お前のそういうところ嫌いじゃないよ」
「も、もう! うるさいわね! それで! 食べるの!? 食べないの!? どっちなの!?」
「はいはい食べます食べます。是非食べさせてください」
「わ、分かったわ。じゃあ一階から取ってくるからちょっと待ってて」
すると友恵はドタドタと愉快な足音を響かせながら、お粥を取りに一階へと戻っていった。
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そして数分後。お粥とその他諸々を乗せたお盆を持って部屋に戻ってきた友恵は一度そのお盆を床に置き、ペットポトルに入った飲料水やら『熱が出た時に額に貼るアレ』やら薬やらを手に持って枕元へ近づいてきた。
「はい、コレお水ね。枕元に置いとくから。喉が乾いたら飲んで」
「お、おう」
友恵、飲料水を俺の頭のすぐ横に配置。
「あと冷えピタ持ってきたから。おデコに貼ってあげるね」
「お...おう」
友恵、左手で俺の前髪をかきあげ、右手に持っていた冷えピタを俺のデコに丁寧に貼り付ける。
「ゴメン。キツいかもしれないけど1回身体起こして。寝たままお粥を食べるのはさすがに危ないから」
「お、おっす」
そして俺は重い身体をなんとか起こし、友恵に言われた通りにお粥を食べられる体勢をとる。
「あ、そういや兄貴って猫舌だったわね。少し冷まさないといけないかな」
すると友恵は床に置いていたお粥をスプーンで一掬いし、『ふぅーふぅー』と息を吹きかけた後にそのスプーンを俺の顔の前に差し出してきた。
「あ、あのー、友恵さん...?」
「はい、口開けて」
「......い、いや、別に自分でも食えるんだg」
「口開けろ」
「......分かりました」
そして俺は友恵の謎の圧に押され、仕方なく目の前のスプーンにかぶりつく。
「...」
「...」
「...」
「あ、あのー、友恵さん...? なんで無言でこっちを睨みつけてるんですかね...?」
「......味」
「はい...?」
「味! 味の感想!!」
「え、えっと...た、大変おいしゅうございました...」
「......そっか」
「う、うん」
「じゃあもっと食べて」
「え、ああ、はい...」
すると俺の返事を聞いた友恵は再びスプーンでお粥を掬い始めた。
「ふぅー、ふぅー......はい、どうぞ」
「あ、はい...いただきます...」
そして俺は再び目の前に差し出されたスプーンにかぶりつく。
......え、ちょっと待って。何コレ。なんか妹からゴリゴリに甘やかされてるんだけど。ちょっと怖くなってきたんだけど。
いや、まあ別に嫌とかそういうわけじゃないし、普通に嬉しいんだけどさ。唐突過ぎて怖いんだよ。だって友恵って普段はもっとツンツンしてるじゃん?
「友恵...? お前一体どうしたんだ...?」
「べ、別にどうもしてないわよ」
「いや、どうもしてないわけないだろ。お前は冷静さを保ってるつもりかもしれないけどな、さっきから顔が真っ赤なんだよ」
「っ!!」
「......もしかして今日が事故からちょうど1年だってことが関係あったりするか?」
「ま、まぁ...関係なくはない...かも」
......なるほど。友恵も今日という日に対して思うところがあるわけか。
まぁ、なぜそれが俺を甘やかすことに繋がるのかは分からんのだが...
「まぁ、その、なんだ。とりあえず話を聞かせてくれよ」
「いや、でも...兄貴って今調子が悪いじゃない。長話を聞く元気なんてないでしょ...?」
長話になるのか...
「まぁ、いいからとりあえず話してみろよ。なんかお前が悶々としてる姿を見たら治る病気も治る気がしないんだよ」
「......わ、分かったよ」
すると友恵は少し所在なさそうに俯き、俺から視線を逸らしつつゆっくりと話を始めた。
「ね、ねぇ、この前喧嘩した時のこと覚えてる? 兄貴が偶然私の着替えを見ちゃった時のことなんだけど」
......例のアンラッキースケベ事件のことか。
「お、おう。一応覚えてるぞ。あの時は本当に悪かったな。マジごめん」
「いや、もうそのことに関して思うことは特にないのよ。もう終わったことだし。でも...あの時母さんから『アンタがお兄ちゃんの力になってあげなさい』って言われてね。その言葉がなんか今でも心に残っちゃってるのよ」
「......そんなことがあったのか」
「うん。それでね、今日でちょうどあの事故から1年経ったじゃない? だから私なりに今まで自分が兄貴の力になれていたのか考えてみたのよね。それで...よくよく考えたら私って兄貴の為に何もできてないなって思って」
「...」
「喧嘩の原因はいつも私にあるし、去年は兄貴が頭痛くなっただけで泣いちゃったこともあったし...私って兄貴に迷惑かけたり心配かけてばかりだなって思って」
「...だからお前は過去に例を見ないくらい俺に優しくなってるってわけ?」
「......うん」
なるほどなるほど。やっと謎が解けた。要するに友恵はこの1年間を振り返った結果、自分の態度を改めようとしたわけだな。
母から『兄の力になれ』と言われた。でもこれまで自分は全く母の言う通りにできていなかった。むしろワガママを言ったり冷たい態度をとって兄に迷惑をかけてばかりだ。だったらせめて今日から兄に優しくするようにしよう。できるだけ気を遣って兄を労るようにしよう。
......というのが今の友恵の心情なのだろう。
うむ。素晴らしい心がけだ。さすが優等生。自分の行いを反省し、母親からの言いつけを守ろうとしているわけだな。
はっはっは。感心感心。友恵はやっぱり良い子だな。俺なんかのために恥ずかしさを我慢してここまで優しくしてくれるなんて。こんなに良い妹を持てて俺は幸せだよ。
......でもさ。
--それはちょっと優等生過ぎやしないか?
確かに親から言われたことを守るのは良いことだ。自分を律してまで兄に気を遣おうとするのはいいことだ。きっとそれに間違いは無いのだろう。
--でも友恵は俺の妹じゃないか。
妹だったらもっとワガママを言っていいんだよ。別に気を遣ってまで家族に優しくしなくてもいいんだよ。親に言われたからって無理してまで良い子ちゃんになろうとしなくたっていいんだよ。
--妹は兄貴に迷惑をかけてもいいんだよ。
兄妹の定義なんて知らない。でも俺は兄妹ってのはそういうもんだと思う。
喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して。確かにその過程で互いに迷惑をかけることもあるのかもしれない。でも気を遣ってまで優しくするのはなんか違う気がするんだよ。
それに...今友恵は1つ大きな勘違いをしている。
「なぁ友恵」
「ん? なに...?」
「さっきお前は『兄貴の為に何もできていない』なんて言ったけどな、それは大きな間違いだ」
「え...?」
そうだ。別に友恵が何もできていないなんてことはない。確かに俺は今まで友恵に救われたこともあったんだ。
そしてコイツはただそのことに気づいていないだけなんだ。だから...俺は今から優等生にそれを教えてやらないといけない。
「友恵」
「は、はい...」
「......この1年間。友恵は俺と一緒に夕飯を食べてくれた」
「な、なによ急に...」
「俺が入院してる時は着替えを持ってきてくれた。俺が退院して家に帰ってきた時は『おかえり』と言ってくれた。俺が酷い頭痛を患った時は泣くほど心配してくれた。そして...時々お前は俺と喧嘩してくれた」
「そ、そんなの...! そんなの当たり前のことじゃない! 全然大したことなんてないわよ!」
「ああ、確かに当たり前のことだな」
「だ、だったら...!」
「でもそれでいいんだよ」
「え...?」
「友恵は当たり前のことを当たり前のようにしてくれればいいんだよ。お前が何もできてないなんてことは絶対にない。ただお前がそれに気づいていないだけなんだ。お前は別に母さんの言った通りにできていないわけじゃないんだよ」
「で、でも......」
「はぁ...まだ納得いかないのか。ほんっとお前ってクソ真面目だな」
「なっ! う、うるさいわね! 兄貴がいっつもテキトー過ぎなだけよ!!」
「はぁ...あのな、お前は俺の妹なの。元気な姿を毎日俺に見せてくれればそれで十分なんだよ。気を遣って俺に優しくする必要なんて全然無いわけ。良い子ぶるのは家の外だけにしとけ。ワガママでもなんでも言えばいいじゃねぇか。好きなだけ迷惑かけろよ。俺が全部受け止めてやるからよ」
「っ! な、な、なに妹の前でカッコつけてんのよ! キモいから!!」
「うるせぇ。兄貴ってのはそういうもんなんだよ。いくらスペックが妹に敵わなくてもな、見栄を張ってでも妹より偉大であろうとするんだよ」
「......このシスコン兄貴!!」
「黙れブラコン妹」
「あー、分かったわ! 分かったわよ! もう兄貴に優しくなんてしない! もう今度から冷えピタ貼ってあげないから! 明日からはお粥も自分で食べてよね!!」
「......一応今後もお粥は作ってくれる予定なんですね」
「う、うるさい! 病人のくせに喋りすぎよ! 私もう部屋に戻るから! ここに薬置いとくから、それ飲んで大人しく寝とけ!! それじゃあお大事に!!」
すると友恵は頬を真っ赤に染めて『フンッ!』と言いながら解熱剤を乱暴に枕元に投げ置き、そのまま部屋から出て行ってしまった。
「は、はは...やっとアイツもいつもの調子に戻ったみたいだな...ゲホッ! ゲホッ!」
やべぇ。妹のためとはいえ、調子に乗って喋りすぎたな。さすがにキツくなってきたわ...ここは友恵に言われた通りさっさと薬を飲んで寝るとしますか...
いやー、しかし今日は『俺をゴリゴリに甘やかす友恵』という珍しいモノを見れて満足だったわ。今朝は『なんて最悪な日なんだ』とか思ってたのにな。
うむ。2年連続でベッドの上っていうのが辛いことに変わりはないが、友恵があれだけ俺に優しくしてくれるんだったら、まあ......
--9月1日も案外悪い日じゃないのかもしれないな。
次回、亮くん登校開始




