兄妹の絆
続きです
-side 田島亮-
「ここはどこだ...?」
何もない狭い部屋、白い床、白い壁、白い天井。全くもって見たことのない景色が今俺の目の前には広がっている。
そして部屋の中央をよく見ると小さな芽が植えられている植木鉢があった。なぜこんな何もないところに植物なんか置かれているのだろうか。
「体が...動かない...」
こんな何もないところでじっとしているのも退屈なので立ち上がろうとしたのだが、驚くことに俺の身体は全然動かない。そして理由は分からないがまるでこの空間には自分の身体が存在しないような感覚に陥ってしまう。
「あれは何だ...?」
身動きがとれないことに困惑していると、突然天井から植木鉢の上に白いパイプが4本降りてきた。よく見るとパイプの先端にはシャワーのノズルのようなものが付いている。
突然のことにあっけにとられていると4本のパイプの先端から水が流れ始めた。なるほど、おそらく植木鉢に植えられている芽に水をやる時間なのだろう。
数分経つと水やりの時間は終わった。改めて植木鉢の上を見ると水があふれそうになっている。まあ無理もないことだろう。なんせシャワー4本分の水を数分間浴び続けたのだから。
しかし植木鉢上の小さな芽は与えられた水を全て吸い上げようとしている。いや、芽が実際に水を吸い上げようとしているか、なんてもちろん正確には分からないぞ? でもなぜか俺にはその芽が水を全て吸い上げようとしているように見えるんだ。
でももちろん小さい芽がシャワー4本分の水を全て吸い上げるなんてことはできない。結局時間が経つと小さい芽は力尽きて萎れてしまった。
ーーそして全ての水を吸い上げようとした愚かな芽は最終的に枯れてしまった。
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「あれ...? なんか今夢見てたような気がするんだけどな...やべ、全然思い出せねえ...」
まどろみの中枕元の目覚まし時計を見ると針はちょうど7時を指していた。どうやら珍しく早起きしてしまったようだ。
「うっわ、頭痛ぇ...」
身体を起こすと激しい頭痛に襲われた。あまりの痛みに思わずこめかみに手を当ててうずくまってしまう。
...あ、やべ。これ多分熱あるパターンだわ。
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「熱何度だった?」
「37.5℃」
「微熱だね。一応今日は高校行かずに1日安静にしときな。高校の方には母さんが連絡しといてあげるから」
「ああ、分かったよ」
起床して1時間ほど経つと母さんがいつまで経っても1階に降りてこない俺の様子を確認しに俺の部屋を訪れた。そして先程体調不良であることを伝え、今まさに体温を測り終えたところである。
「じゃあそろそろ仕事行くね。もし具合が悪くてきつかったら遠慮なく母さんの携帯に連絡していいからね」
「はは、微熱なのに心配し過ぎだって。そろそろ時間やばそうだし早く仕事行ってきなよ」
「あ、確かにアンタの言う通りそろそろ行かないと...いいかい? 今日はちゃんと安静にしとくんだよ?」
「分かってる分かってる」
「それならよろしい。じゃあ行ってくるわね」
「おう、行ってらっしゃい」
そして母さんはベッドに横たわっている俺からゆっくり目線を外し、部屋を後にした。
「これ多分風邪じゃないよな...」
今俺にある症状は頭痛と微熱だけだ。風邪特有の鼻水や咳などの症状は一切無い。ただ酷い頭痛がするだけなのである。
実は俺は記憶を失ったばかりの頃にも今と同じような症状を患ったことがある。ちなみにその時は入院していた病院の先生の診察を受けて頭痛の原因をしっかり把握することができた。
というわけで現在俺はなんとなく自分の頭痛の原因が分かっているのである。
...いや、原因というよりは病名が分かっているだけかもしれない。だって俺にはその病を患ってしまった原因の心当たりが全然無いんだからな。
ちなみに今俺の頭に浮かんでいる病名とは『知恵熱』である。まあ正確には『知恵熱』ではなくて『ストレス性の頭痛及び発熱』らしいのだが。
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記憶を失って間も無い頃、俺は病院のベッドの上で四六時中考え事をしていた。
『家族とはどう接すればいいのだろうか』
『友人達にはどんな顔をして会えばいいのだろうか』
『自分は以前どんな人間だったのだろうか』
『そもそも自分はこのまま田島亮として生きていていいのだろうか』
そんな考えがずっと頭の中を駆け巡っていた。あ、もちろん今は四六時中そんな事考えているわけじゃないぞ? でも当時の俺は考えるのをやめることが出来なかったんだ。
病院の先生に『知恵熱のような症状が出ている』と告げられたのはそんな時期だった。診断してくれた先生によると、事故の時に強い衝撃を受けた俺の脳はストレスに対する耐性が少し下がっているらしい。先生は『そんな状態で四六時中考え事をしていたら脳に負荷がかかって熱が出るのは当たり前だ』と言っていた。
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というわけで今でも俺は考え事をし過ぎると知恵熱のような症状が出やすいのである。多分今起きている頭痛も知恵熱が原因だろう。
しかしこの結論に至った一方で俺の中には1つの疑問が生じていた。
【そもそもなんで俺は知恵熱になったんだ?】
そう、前回知恵熱になった時は『記憶喪失直後の混乱と迷い』という明確な原因があった。しかし今回はこれといった原因が思い浮かばないのである。身体の感覚的には知恵熱だと分かっているのにその原因が分からないのだ。
うーん、昨日何か知恵熱になるレベルの考え事したっけ...? そんなに頭使ったつもりないんだけどな...
えーっと、確か昨日は昼過ぎに起きたら女の子4人からメッセージが来てたからまずはそれに返信した。それと返信した後に『仁科と咲が俺のことどう思ってるか』とか『今後も普通に接していいのか』とか夜までずっと考えてたっけ...
...あれ? まさか知恵熱の原因って...
......いやいや! そんなわけないって! 女の子2人とこれからどう関わるかを考え過ぎた結果知恵熱になるとかありえないって! どんだけ思春期なんだよ俺! さすがにそれは無いって!
「うっ、また頭痛くなってきた...」
なんか朝起きた時よりも頭痛が酷くなってきた。なにやってんだよ俺。バカのくせになんで熱出た時まで考え事してんだよ。余計頭痛くなっちまったじゃねえか。
「今日は一日寝とくか...」
頭痛のせいで本を読む気にもゲームをする気にもなれない。母さんの言いつけ通り安静にしておくのが1番だろう。このまま夜まで寝てしまおう。
「それじゃあお休み...」
そして俺は誰も居ない部屋で1人そう呟きながら眠りについた。
-side 田島友恵-
「ただいまー」
弓道部の練習を終えた私はいつも通り家に帰ってきた。もう19時になっているというのに外はまだ明るい。6月に入ってどんどん暑くなってきたし夏まっしぐらといったところだろうか。汗でシャツがビショビショだ。早くお風呂に入りたい。
「あれ? 母さんまだ帰ってきてないのかな?」
いつもなら私が帰ってくると母さんが玄関で出迎えてくれるのだが今日は『おかえり』という声すら聞こえない。うーん、どうしたんだろう。仕事が少し長いてるのかな。
「あ、そういや今朝は兄貴が珍しく熱出してたんだっけ」
母さんが今朝パートに行く直前に『亮が熱出しちゃった』と私に言ってきたのを不意に思い出した。まあ、あの兄貴のことだ。もう夜になってるし熱なんて引いているだろう。ほら、バカは風邪引かないってよく言うじゃない? きっと今頃部屋で呑気にゲームでもしてるに違いないわよ。
「......ちょっと様子見に行こうかしら」
決して兄貴の様子が気になるわけではない。ほら、えーっと、アレよ。家族として身内の体調を確認するのは当然のことじゃない。だから兄貴の様子を見に行くのは家族として当然のことなのよ。いや、ホント他意なんて無いから。
「よし、じゃあ行きますか」
そして私は玄関で靴を乱暴に脱ぎ捨てて兄貴の部屋がある2階へと向かった。
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「寝てる...みたいね」
こっそり兄貴の部屋のドアを開けて中を確認するとそこには静かに寝息を立てている兄貴の姿があった。
起こしちゃ悪いわね。ここは退散するとしましょうか。
そう考えてドアを閉めようとした時だった。
「そこにいるのは友恵か...?」
兄貴が突然目を覚まして私に声をかけてきた。目が半開きでまだ眠そうにしている。
「ごめん、起こしちゃった...?」
「まあ起こされはした。でも別に謝らなくてもいいぞ。結構グッスリ寝られたし」
「体調は大丈夫なの?」
「まだちょっと頭痛いけど朝よりはマシになった」
「ふーん、そうなんだ」
「お前が俺を心配するなんて珍しいな。なんだ? ついに俺にデレてくれたのか?」
「いやデレてないから!」
「友恵がデレるなら体調不良になるのも悪くないか...」
「だからデレてないって!!」
全くもう...こんなのを一瞬でも心配してた私がバカだったわ...
「ていうか結局兄貴の体調不良の原因って何だったの? 風邪?」
「は? お前なんでいきなりそんなこと聞いてくるんだ?」
「いや、世間ではバカは風邪引かないって言うじゃない」
「あのー、友恵さん? 別に俺が元気だと分かった瞬間辛辣にならなくてもいいんですよ?」
「いいから質問に答えてよ」
兄貴の口から『頭が痛い』という言葉を聞くとどうしても胸騒ぎがする。1度事故で頭を強く打ってるからどうしても心配になってしまう。また兄貴が記憶を失うという可能性をどうしても考えてしまう。
これは多分私の考えすぎなのでしょうね。でもその恐怖がどうしても拭えないのよ。またあの時みたいなことが起きたらどうしようって思っちゃうのよ。
--私はもう二度と兄貴に忘れられたくない。
また忘れられるのが怖い。また思い出を失ってしまうのが怖い。また兄貴が苦しんでいるのを見るが怖い。
怖い、怖い、怖い、怖くて...怖くて...怖くて仕方ないの...
「...へ!? 急にどうしたんだ友恵!? なんか俺がお前を泣かせるようなことしたか!?」
「え...?」
兄貴の言葉を聞いた後に目元を拭うと指先が湿った。確かに私の目からは涙が流れているようだ。
あれ? 私いつのまに泣いちゃったんだろ...
「...なあ友恵、ちょっとここに座ってくれないか」
兄貴が突然ベッドから身体を起こして私に声をかけてきた。兄貴は左手で自分の足元を指差し、右手でこちらを手招きしている。どうやら自分の目の前に私を座らせたいらしい。
「...うん、分かった」
兄貴の問いかけに答えた私はベッドの方へ近づき、兄貴の前に正座した。お互いが座って向き合う形になる。
「よし、じゃあ今度は頭をこっちに向けてくれ。俺に向かってお辞儀をする感じで」
「う、うん」
いつもの私ならこんな指示を素直に聞いたりしない。でも今は兄貴が真剣な表情をしているから思わず素直に首を縦に振ってしまった。
「こ、こんな感じ...?」
兄貴に言われた通り頭を差し出してみた。こんな状況になるのなんて初めてだから少し動揺してしまう。
「ああ、そんな感じだ。そのままじっとしといてくれ」
兄貴はそう言うと突然私の頭を撫で始めた。
「え、ちょ!? いきなり何してんのよ!」
「文句があるなら後で言え。泣いている妹を慰めようとしているだけだ。今は撫でられながら黙って俺の話を聞いとけ」
「...うん、わかった」
そして兄貴は私を優しく撫でながら話を始めた。
「友恵がなんで泣いてるかは俺には分からない。それに無理やり泣いている理由をお前から聞こうとも思わない。でもな、やっぱりかわいい妹が自分の目の前で泣いてたら放っておけないものなんだよ。俺はお前の兄貴なんだから」
「...」
「勉強できないし、余計なこと言ったりするし、昔のことは覚えてないからお前にとっては頼りない兄貴かもしれない。でもな、昔のことを忘れてしまったとしても俺の妹は世界でお前しかいないんだ。たとえ1年に満たない記憶だとしてもお前と過ごした時間はかけがえのないものなんだ」
「...!」
「まあ、つまり何が言いたいかというとだな」
兄貴はそう言うと私を撫でるのをやめ、私の右肩に手を置いた。そして頭から手が離れたので顔を上げると兄貴と目が合った。
すると兄貴は右肩に手を置いたまま私を見つめてさらに言葉を続けた。
「これからも家族として末長くよろしくってことだ! 俺が友恵の前から居なくなるなんてことは絶対無いから余計な心配すんな!!」
......なによ。最初は私が泣いている理由なんて分からないって言ってたくせに結局私がなんで泣いてるのか見抜いてたんじゃない。ふーん、そうなんだ。『今の兄貴』は私の前から居なくならないんだ。へぇー、そこまで言うならもう2度と私を忘れることなんてないよね。うん、忘れたら絶対許さないんだから。
「...ふふ」
「おい、何笑ってんだよ。せっかく人が真剣に慰めたってのに」
「いや、相変わらず私の兄貴はシスコンだなーって思って」
「はっ、勝手に言ってろ」
「へぇ、シスコンだってことは否定しないんだ」
「......今日だけはな」
「ふふ、なによそれ」
兄貴のおかげでモヤモヤしていた心が晴れた気がした。今日に限って言えば兄貴には感謝の気持ちしかない。
「......ありがと」
「あ? 今何か言ったか?」
「...ふふ、別に何も言ってないよ」
その日の夜、私たち兄妹は改めて自分達の絆の強さを確認できたような気がした。
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私の兄貴には9ヶ月分の記憶しか無い。小さい頃一緒に遊んだ思い出も、くだらないことで喧嘩したことも全然覚えていない。
それでも私の兄貴は変わってない。バカだし鈍感だしとても不器用。でも思いやりがあって、優しくて、そして妹の私のことが大好きだ。
私の兄貴には9ヶ月分の記憶がある。くだらない口喧嘩をしたり、同じ高校に通ったり、体育祭でバカな実況を聞かされたり。たった9ヶ月間だけどかけがえの無い思い出がたくさん出来た。
私の兄貴には未来がある。これから先めいっぱい高校生活を楽しんだ後に卒業して、就職して、もしかしたら素敵な誰かと結婚したりして。失った時間は取り戻せないけど彼がこれから歩む人生には無限大の可能性がある。
--そして私もそんな兄貴の人生を家族として末長く見守っていきたいと思う。
次回、恋愛相談編
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