転機
夜の帳が下りると共に、満天の星が瞬き始めた。
少し気温は下ったものの、寒いってほどではない。川べりの割に湿度も
低く、いたって快適な夜だった。
ただし、快適だと感じられるだけの心の余裕があれば、の話だ。
あれからずっと、あたしは体育座りのまま、ぼんやりとしていた。
とにかく今日は、いろんな事があり過ぎた。
デタラメな夢を見せられた挙句に、2863年の眠りから覚め。
新天地となる星に到着し。
久し振りの肉体を得て、元気に探検に出発し。
人類史上、最万能の変身能力を得てハイになり。
ドラゴンに体を喰いちぎられ。
崖から飛び降り。
自分が食われる様を見せ付けられ。
それらの中で、最低でも4回か5回ほど死にかけた。
それだけの目に遭ってもなお、今のこの体には傷のひとつもない。
でも、心は折れていた。正直言って粉砕骨折に等しい折れ方だ。
こんなはずじゃなかった。
誰も知らない新世界で、見知らぬ人たちと出会って。
ナノテクを用いたささやかなチートで、ほんのちょっと一目置かれる
存在になって。
日々、新しい出来事に出会いながら生きていく。
そんな、第二の人生をイメージしていたのに。
どうしていきなりドラゴンの餌に。
初日からこんな試練に襲われるのはさすがに、想像もできなかった。
『大丈夫ですか、拓美?』
「答えらんない。」
ここでAIに気を遣ってカラ元気を振りまけるほど、立ち直れてない。
確かに肉体制御って点で考えれば、あたしの力は間違いなくチートだ。
身体能力カスタマイズも含めれば、人類最強の存在になり得るだろう。
でもそれは、あくまでも「ヒト」という生物の枠内での話だ。
世界最強の格闘家と、ティラノサウルスがガチで戦ったらどうなるか。
まさに今日、身をもってその答えを知った。
『ひとつ、元気が出るかもしれない事をお知らせしますね。』
「なに?」
星に目を向け、あたしはその元気が出るお知らせを凪いだ心で待った。
…この際、どんな話でも気が紛れるなら聞きたい。
『ここへ来るまでに、3度の故障を修理したと言いましたよね。』
「うん。」
『実はその時、ナノシステムの基幹プログラムを刷新した事によって、
想定外の機能が追加されたんです。設計当時は、全く考えられなかった
新たな機能が』
「新機能?」
『ええ。昼に植物を調べた時に説明した、接触解析についてです。』
「直接接触すれば、内部まで精密にスキャンできるとかってやつよね。
時間が長ければそれだけ、精度面も上がる…とかいう。」
『そう。その時言いそびれたのですが、実は「その上」があります。
と言うか、「その上」が新しくできました。』
「…どんなの?」
『対象となる生物の体組織や血液、体液などを、あなたが直接摂取する
という方法です。』
「摂取?」
何か言い方は難しいけど、それって要するに…
「血や肉を食べるってこと?」
『そうです。味わう、といった意味でなく、経口で体内に取り入れると
いう意味で。』
「食べると、どうなるのよ。」
『時間はかかりますが、ゲノム解析した上であなたの体組織情報と融合
させる事が可能になったのです。』
「?…それってつまり…」
『相手の持つ能力のいいとこ取りをして、進化した形態になれるという
事です。そこに上限はありません。人間の限界は、たやすく突破できる
でしょう。』
「例えばあのドラゴン相手にそれをすれば、竜人になれるって事ね。」
『そう!まったくの偶然の産物ですが、今となっては使える機能だと
思いませんか?』
「………………………そうだね。」
しばしの沈黙ののち。
『…ひょっとして、あまり気に入りませんでしたか?』
人口音声でありながらも、そこには少なからず困惑と落胆の混じった
響きが感じ取れた。
だけど、さすがにそれでテンション上げろというのは無理な話だ。
「それってどのくらいかかるの?」
『生物によりますが、1~2ヶ月もあれば…』
「それまで延々ここで待ってろって言うの?」
『いえ、そういうわけでは…。まあ頑張ればもう少し短縮できなくも』
「いや問題はそこじゃなくてさ。」
気遣いは嬉しいけど、その分タカネらしくない穴だらけの理論になって
しまっている。
素直にぬか喜びできるほど、あたしの心の傷は浅くなかった。
「そもそもあのドラゴンの肉とか血とか、どうやって手に入れるの?」
『え?いや、それはその…排泄物を探したり』
「却下。」
いくら何でも、それはゴメンだ。
「それに、もし仮に竜人化できたとしてさ。それであいつに勝てる?」
『えっ…』
「素材が同じで、相手はあの巨体。あたしはこのサイズ。それでガチで
やりあったとして、あたしの勝ち目はどのくらいあると思う?」
『それは…やってみないと判らないと言いますか…』
しどろもどろになったタカネの言葉は、どう聞いても実に人間臭い。
こんな風に慰めてくれる彼女の存在自体は、今のこのあたしには本当に
ありがたい。でも、だからこそ。
「あのね。」
中途半端な慰めなどはいらないと、はっきり言う必要があった。
「あたしが今これだけ落ち込んでる理由は、何もあのドラゴンに喰われ
かけたから…ってだけじゃないの。もっと根本的な話よ。そうでなきゃ
もうとっくに逃げ出してる。」
『根本的?』
「そう。」
何となく、あたしは体育座りのまま居住まいを正した。
「今のあたしにとってあのドラゴンは、手も足も出ない捕食者。絶対の
強者よ。…だけどそれは、あいつとあたしだけの関係でしかない。」
『…?』
「わかんない?」
顔を上げたあたしの目が、星明りの下の山々に向けられる。
「あいつがこの世界にとっての絶対強者という証拠は、どこにもない。
もしかしたら、あれを毎日一匹ずつ喰らう奴とかいるのかも知れない。
もしそうだとしたら、あたしなんてただの生肉製造機でしかないよ。」
説明するために口に出してみれば、意外と気持ちの整理がついてかなり
落ち着けるらしい。…絶望も悲観もひとまず棚上げし、あたしは淡々と
続ける。
「そんなジュラシック極まる世界で独り生きていくのは、どう考えても
苦しいなって。だからここでイジケているわけよ。分かってくれた?」
『…………ゴメンなさい、拓美。』
「謝ってくれなくてもいいよ。」
『…長々と待たせた挙句に、こんなとんでもない場所に放り込む事態に
なってしまって…』
「そっち?いや、それはその…そうかもね、うん。」
言いながらちょっと笑っている自分に、少なからず驚いた。
そうだ。確かに状況は物凄く厳しいけど、あたしは独りじゃない。
どんな形であろうと、生きていく事は何とかできるはずだ。ドラゴンを
相手に、どうこうしなきゃいけない義理もない。コソコソ生きるのも、
意外と悪くないかも。…だったら、もう気持ちを切り替えよう。
まずは、この世界にちゃんと馴染む手順を踏もう。
川の水を飲んでお腹壊して、それに適応して。
それからの事は明日考えればいい。
心地良い風が吹き流れる中、あたしは勢いよく立ち上がり伸びをする。
しょぼくれるのは、そろそろ終わりにしよう。
あらためて見ると、星明かりを反射する川はなかなか幻想的だった。
ここの水を飲めば、不思議なパワーか何か手に入るのかも知れない。
我ながら疲れてるなー…と可笑しくなりながら、一歩を踏み出した。
刹那。
あたしの目が、石の隙間で光を放つ何かを捉えた。
何か予感めいたものを感じ、急いで駆け寄ってみる。
星々の光を反射しているらしきその「何か」を掴み取り、じいっと目を
凝らした。間違いではない事を確認するように、ひたすら凝視した。
そして最後に。
「…タカネ…」
うわずった声で、すでにスキャンを終えただろうタカネに問いかけた。
「これって、アレよね?」
『ええ。』
淡々とした調子で答えようとする声は、逆にわざとらしく響いた。
『金属で作られた「指輪」ですね。…皮脂細胞も残っていました。』
「…人間の?」
『おそらくはそう呼んでもいい知的生物の、です。』
危うく取り落としそうになったその「指輪」をどうにかキャッチして、
掴んだ手を痛くなるほど力いっぱい握り締める。
この星には、人間がいる。
装身具を作り、彫刻を施せるほどの技術と文明が間違いなく存在する。
アドレナリンが駆け巡るのを感じたのは、決して錯覚ではなかった。




