納得
よく見えない。
近くも遠くもぼやけてしまって。
メガネが無いと、どうにもよく見えない。
まあ…
見たくないものばっかりな現状では、逆にちょっとありがたいけど。
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ベズレーメで、失職して以降。
私は、自分を納得させるためだけに生きてきた気がする。
あなた、立派な人ですね。
そんな言葉をくれたあの子を、裏切りたくなかったから。
失望させたくなかったから。
まあ、とにかく坂道を転げ落ちるような運の無さ。
悪い事しか起きない不毛な旅路。
それでも私は、無理やり自分を納得させてここまで、ユージンカの街まで来た。
あと少し。
気が抜けたのが悪かったのか、気が急いたのが悪かったのか。
時間ギリギリで飛び乗った乗り合い鳥馬車が、盗賊の襲撃を受けた。
あと一台待っていれば、こんな目には遭わなかったのに。
護衛の兵士が、みるみる凍りつくのが見えた。
魔法だ。それも攻撃用途に特化した、かなり強力な氷結魔法だ。
現れた男が術を解くと、兵士の体の氷結はすぐに融けた。しかし倒れ伏した彼は
すでに死体と化していた。
仕事以外で死体を見たのって、いつ以来だったかなぁ…。
なかば恐怖も麻痺した頭で、ボンヤリとそんな事を考えていた直後。
その死体を作り出した眼前の魔術師に、大事なメガネを取り上げられてしまった。
抵抗しても無駄だったろうけど、あっさり取られたのはかなり情けなかった。
それ以降は、ずっと耳だけで顛末を追っている。
一緒に鳥馬車に乗っていた長身の女性2人は、ドージカへ連れて行かれたらしい。
おそらくはそっち系の仕事に就かされるのだろう。実際、すごい美人だったし。
で、私は?
どうして彼女たちと一緒に連れて行かれなかったのだろうか?
言っとくけど、私は彼女たちよりも年上なんだよ。実際に話したから知ってるよ。
信じられないという顔をされたし、以降の空気もかなり微妙だったけど。
そして、他の人たちの半分は解放された。
残り半分は、ひとまとめにしてここまで連れて来られた。
この、イセカヤの谷へ。
何のために連れて来られたのかは、道中の盗み聞きであらかた分かった。正直、
あんまり知りたくなかったけど。
若いドラゴンに対する、生きた人間を使ったおぞましい餌付け。
学生時代、昔の猟奇殺人などを調べた中に、詳しい記述があったのを憶えている。
確かラスコフとの国境が曖昧だった頃、盛んに行われた部族風習だ。
その頃は現在よりもドラゴンが多かったらしいし、人間同士の争いも多かった。
人食いドラゴンを育てるという風習も、割と普通のものだったと伝えられている。
昔の人の悪趣味を、今さらどうこう批判する気はない。歴史ってそういうものだ。
だけどさ。
どうして私が、そんな懐古主義的な悪趣味の犠牲にならなきゃいけないんだ。
私、そんなに悪い事したっけ?
犯罪捜査の一環としての死体検分が冒涜だと言われれば、返す言葉もありません。
だけど、私は死体を貶めるような事をした憶えはない。誓って、ただの一度も。
当たり前の話だけど、人を殺した事だって一度もない。
今日び、連続殺人犯にだってこんな残酷な処され方は適用されないはずだ。
私が
いったい何をした。
恐れなど、カケラも湧いてこない。
まともに見えないせいで、余計な感情も湧いてこない。
ただただ、腹が立つ。
ただただ、納得がいかない。
他の人たちの声を聞くに、怯え切っているらしい。たぶん皆、何をされるのかは
もう知っているのだろう。恐怖と絶望は致し方がない。
だけど私は、その中に混じる事ができなかった。
こう見えても、私はかなり前向きな性格だ。
不運と不幸の連続の中でも、何とか誰かを恨まずに前向きに進んできたつもりだ。
だけど。
限界ってものがあるんだよ。
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到着したイセカヤの谷には、粗末な小屋が建てられていた。私たち捕虜は全員、
その小屋に押し込められて丸1日を過ごした。実に嫌な死に待ちの時間だった。
翌朝。
ずっと私たち捕虜を連行していた、背の高い盗賊の男がやって来た。顔立ちなどは
よく見えてなかったけど、シルエットと声で完全に認識してしまっていた。
「さあて、辛い思いをさせて悪かった。もうすぐ楽にしてやるからな。」
そう言って笑う男の声に、乾いた絶望が場を満たすのが分かった。
それでも私は、どうにも怯える気になれなかった。その私の姿が目についたのか、
男が歩み寄ってきた。
「よぉチビ。お前も運が無かったよなぁ。」
運が無かったのは分かってる。嫌というほど。
「もうちょっとまともな見てくれなら、卑しく生きる道もあっただろうにな。」
そうですか。
悪いのは、私のこの見てくれですか。
やっぱりそうですか。
私は静かに、我慢の限界を超えた自分を感じた。
いつも謙虚さを忘れるな。
自分はまだまだという事を忘れるな。
うん。忘れてはいない。
だけどもう、まだまだもへったくれもない。
ひとつだけ、確信を持って言える事がある。
どんなに謙虚に考えても、そこは譲れない事実だ。
これだけは、絶対に譲れない。
私には、殺されるだけの理由がない。
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「さて。じゃあお前たちに、優しい提案だぜ。」
私から視線を外した男は、楽しそうにそう告げた。
「もう分かってると思うが、お前たちが生きてここから帰る道はない。それはもう
決定事項だ。だけど、全員をいっぺんに死なせるわけじゃない。」
重苦しい絶望の空気を楽しむように、男はゆっくりと続ける。
「立候補があるなら、まあ聞いてやるぜ。先に死んでもいいって奴は名乗り出な。
ご要望どおり、そいつからエサになってもらう。それを…」
「じゃあ、最初は私が行きます。」
私は、男の言葉を遮って挙手した。
こちらをじっと見る顔はよく判らないけど、たぶん呆気に取られているのだろう。
「…本気か?」
「もちろん本気です。」
声にも態度にも全く震えが生じない自分に呆れながら、私は即答した。
他の捕虜の間にザワザワと動揺が広がるのが分かったけど、それはどうでもいい。
私は、私の納得が欲しい。
それだけだ。
「…いいだろう。なかなかぶっ飛んだチビだな。ご要望にお応えしてやるよ。」
それはどうもありがとう。
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谷底から低い声がひっきりなしに聞こえてくる。もちろん、ドラゴンの声だ。
はっきりと見えないけど、谷に向かって頼りない橋のようなものが伸びている。
おそらく、この目的のためだけに作られた飛び込み台だろう。実に手が込んでる。
最初からドラゴンがいたら作れないだろうから、これを作ってから何らかの方法で
営巣するように仕向けたんだろうね。
人ひとりがかろうじて歩ける程度の幅だけど、左右に手すりは設けられている。
途中で落ちたりしたら興醒めだし、もしかしたら下まで落ちないかも知れない。
多分そういった理由で、先端までの道はそれなりに確保されているのだろう。
「よおし。じゃあ行けよ。」
谷に陽光が高く差し込み始めた頃、私はそう言った男に小突かれた。
何とか飛び込み台の付け根まで来たものの、手すりがどうにもうまく掴めない。
もたもたしている私にしびれを切らしたのか、件の男が早足で近づいてきた。
「さっさと行け。さっきの覚悟はどうした?」
「いや、よく見えなくて…」
わたわたと手探りする私に、男はわざとらしいため息をついた。
そして、やおら私の首根っこを掴んで無理やり立たせる。
「目の悪さを言い訳にするんじゃねえよ。さっさと行け!!」
そう言って強引に足場に立たせ、男はゴツゴツと私の背を足先で蹴ってくる。
どうやら、そのまま有無を言わせずに先端まで追い込むつもりらしい。
抗う術はなかった。私は、蹴りだされるような格好で進んでいった。
谷に反響していたドラゴンの咆哮は、すでに真下からダイレクトに聞こえていた。
ガリガリという、何かを引っかくような音も混じっている。よほど空腹なのか。
それでもやっぱり、私は恐怖は感じなかった。
それ以上に、集中していた。
さて。
もう、私に助かる目は絶対に出ない。
ここで終わりだ。
それは納得するしかない。
運が悪かったと、嘆くしかない。
あの護衛の兵士だって、氷漬けで死ぬとは思っていなかっただろう。
さぞかし無念だっただろう。
だけど彼の場合、職に殉じたと言えなくもない。それが彼の運命だろう。
職業柄、こういう考え方をするのは許して欲しい。失職してるけどね。
残酷な言い方になるけど、彼には納得せざるを得ない死の理由があった。
だけど。
私に、それはない。
絶対に無いと言い切る。誰に何を言われようと、そこは譲らない。
納得できないまま死ぬのは、絶対に嫌だ。
だけどもはや助かる道は、どこにもない。
私の道は、この先の行き止まりで文字通り、終点だ。
じゃあ、どうする?
そう。
無理やりにでも、納得できるようにするしかないんだよ。
さっきのこの男の言葉で、とっくに腹は括ってる。覚悟はできてる。
死ぬ覚悟かって?
違うよ。
そっちはまだだよ。
私は手すりを掴んだまましゃがみ込み、勢いよく体を回転させた。
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見た目で人を判断するのは、馬鹿のやる事だ。
私は確かに、子供にしか見えない体躯の持ち主だ。だけど子供じゃない。
負け惜しみを言ってるんじゃない。これは重要な事実である。
身体能力も体重も、子供の水準とはかけ離れているのだ。
そして私は、犯罪に関わる仕事に就いていた。
それなりに自衛の方法も習得しているし、自分の体躯の長所も短所も知っている。
チビであるが故にここに連れて来られたのなら、もはや呪うべき短所だろう。
だけど今、この不安定な足場においては。
身長が低い、つまり重心が低い位置にある事は、それなりの長所となり得る。
それなりの長所は、決定的な差を生む。
沈み込んだ私の姿を、見失った一瞬。それが彼の運命を決めた瞬間だった。
座り込むような姿勢からの足払いで、彼の両足は宙に浮いた。その瞬間を逃さず、
今度は一気に立ち上がる。ずしりと左の肩にかかった重さに、渾身の力で抗った。
「アッ!?」
浮き上がった腰を持ち上げた事で、男の体はバランスを崩した。そのまま手すりを
乗り越え、何もない虚空へと投げ出される。実に呆気なかった。
やっぱりよく見えないけど。
一瞬だけ見えた彼の顔は、おそらく驚愕よりは困惑に満ちていただろう。
正直、よく見えなくてよかったと思う。
絶叫は、最初の1秒ほどしか響かなかった。
大きく首を伸ばしたドラゴンが、落ちてきた男の体を一瞬で噛み砕いたから。
さすがに丸のみとはいかなかったらしく、その口元からバッと鮮血が飛び散った。
弾かれるように谷底へと落ちていったのは、噛み千切られた腕か足だろうか。
はっきり見えなくてよかった。
「…てめえ!!」
背後から、驚愕と憤怒に満ちた怒声が聞こえた。
一部始終を見ていたらしい別の男が、長槍を持ってこちらに来ようとしている。
まあ、無理もないでしょうね。
ドラゴンに生きた人間を食わせる…という目的は果たしたんだから、何もそこまで
怒られるいわれは無いと思うけど。
さて。
今度こそ、本当に終わりだ。
私は、人を殺した。
もはや覆しようもない。これは、紛れもない事実だ。
もちろん、生死を問わずの盗賊だけど。
彼の仲間からすれば、殺して当然の罪だろう。
これなら、納得できる。
運が悪かったのは仕方ない。だけど、理由もなく殺されるのは嫌だった。
これで、何とか理由ができた。
まあ、これなら私は…
……………………………………………………………………
私は。
あたしは。
……………………………
やっぱり、死にたくないなあ。
あたし、こんな所で終わりたくなかったなぁ。
ああ、近づいてくる。
後は彼に殺されるか、自分で飛び降りて死ぬかだ。
どっちも嫌だなあ。
だけど…
………………………………………………………………………
視界の隅で、何かが動くのが見えた。
魔術師たちが、何か騒いでいるらしい。例によってよく見えないけど。
迫り来る目の前の男は、気付いてないみたいだけど。
刹那。
かすかな羽音が風に混じり、あたしと男の間の足場に影が落ちた。
そして。
「わぁお。」
呆れたようなその頭上の声に、何となく聞き覚えがある気がした。




