意地と責任
「行くぜ!」
ゼビスさんの腕には、いつの間にか無骨なガントレットが装着されていた。
それをガチンとかち合わせた音が、事実上の開始の合図となった。
一歩踏み込んだゼビスさんの体がフッと沈み、サイドスロー気味の強烈なパンチを
あたしの真正面から叩き込んでくる。一切の手加減なしの正確無比な一撃だった。
まともに喰らえば壁まで吹っ飛ぶ。と言うか、下手すると即死。
咄嗟に、あたしは手をかざした。あまりにも小さく、無力に見える小さな手を。
ガァン!!
耳障りな金属音が響き、何人かの観客が思わず顔を歪めた。
ガントレットを引き戻したゼビスさんの顔に、驚愕とも困惑とも取れそうな表情が
ない交ぜに浮かぶ。
「この…ガキが!!」
怒涛のラッシュが叩き込まれた。一発一発が、必殺の重みを持つほどの連撃。
それをあたしは、一発残らず手のひらで受け止める。
ガガガガガガァン!
激突音の凄まじさが、ラッシュのパワーとスピードを如実に物語る。でもあたしは
一歩も引かず、その場で全てのパンチを跳ね返す。往なしたり受け流したりでなく
真っ向から弾いていく。
室内に満ちるのは、耐えようもないその激突音の連続。そしてそれを取り囲む、
引きつったような皆の沈黙だ。
焦りの表情を色濃くしながらも、ゼビスさんのラッシュはなおも正確かつ速い。
だからあたしは、あえて余裕の笑みを返して見せた。
傍目には、信じ難い光景だろう。だけどタネはいたって簡単だ。
開いた手のひらに重ねるようにして、インパクトの瞬間にだけジアノドラゴンの
鱗を出現させてガードしているのだ。もちろん、相手が拳を引いた瞬間に消す。
以下、その繰り返し。延々とコピペしているだけの単純防御。
あたしの身体能力にブーストはかかっていない。動体視力を強化しているだけだ。
この人のパンチは速い。確かに、とてつもなく速い。そして重い。
だけど、パンチはどうしても引き戻して撃たなければならない。それを省略すれば
威力が無くなってしまう。狙いは正確だけど、そこには速度的な限界がある。
加えて、的であるあたしが決定的に小さい。つまり、色んな部位を狙って撃つのが
ほぼ無理なのだ。当然、パンチの軌道は限られてくる。受け止める側からすれば、
多少スピードに劣っていても余裕で間に合うのである。
汗が散るのが見えた。
距離を取って体勢を整えたゼビスさんが、荒い息を吐きながら自分の手を見る。
ガントレットの表面装甲はかすかに凹み、その隙間からは血が少し流れていた。
よく見れば、両手がかすかに震えているのが判る。
当然だ。
ジアノドラゴンの鱗は、徹甲弾やロケットランチャーの直撃にすら耐えられる。
既に実証済みだ。
そしてタカネの空間固定能力は、破壊されない限り絶対に破られる事はない。
事実上、この手のひらの防御は、ジアノドラゴンの耐弾能力をも遥かに凌駕する。
いくら威力のあるパンチでも、一発で鱗を割れない以上は意味を成さないのだ。
そりゃあ、何十発も撃ち込み続ければ、ヒビくらいは入れられるかも知れない。
だけどこれは、一発ごとに消去と再構成を繰り返す無限コピペだからね。
悪いけどあたしがミスらない限り、何千発撃ってもダメージにはつながらない。
わずかな衝撃すら、こちらには通っていないんだから。たとえ通ったとしても、
秒単位で修復されるから…
やめよう。解析すればするほど気の毒になってくる。
え、悪趣味な舐めプじゃないかって?
冗談じゃない。
あたしは真剣にやってる。余裕の素振りは、精神的な揺さぶりをかけてるだけだ。
勘違いされては心外だけど、あたしは決して格下相手に無双してるわけじゃない。
さっきゼビスさん本人に言った言葉も、ほぼほぼ真実である。
今のあたしが無双できるのは、殺し合いだけだ。
ジアノドラゴンの牙や鱗などを音速で飛ばせば、大抵の相手は瞬殺できるだろう。
それは認める。
だけどそこに難点がある。あたしの能力は、あまりにも殺傷に特化し過ぎている。
こういう局面においては、詰め手として使いようがないのだ。
ましてやこの人、強い。そして頑丈そうだ。
こんな時だと人狼融合が定石なんだけど、ハンター相手にエヴォルフの能力が
通用するとは限らない。
遠慮する必要があるのかって?
あるに決まってんじゃん。
態度は横暴だし大いに言動に問題はあるけど、ゼビスさんは決して悪人じゃない。
焦ってもなお正確無比な攻撃に、その研鑽の深さは充分過ぎるほど伝わってくる。
口だけじゃない。この人は間違いなく腕の立つハンターだ。あたしはこういう人、
とっても好きだ。
こういう人がいなくなってしまった地球を、あたしは見限ったんだからね。
さて。
「まだやる?」
「うるせえな…」
何とか息を整え、ゼビスさんはあたしを睨み据える。
彼ほどの技量の持ち主なら、自分の戦い方が通用しないのはもう悟ってるだろう。
だけど、決して引く事はないだろうな。
あたしは、ちょっとため息をついた。
「あたしからは攻撃しない。あたしを倒せなければそっちの負け」というのは、
決して馬鹿にして言ったんじゃない。実は、けっこう本気の提案だったのだ。
見ての通り、あたしは防御に徹すればかなり難攻不落だ。負けるとは思わない。
その反面「攻めて勝つ」という点から見れば、なかなか難点が多いのである。
「まだまだだ。俺ァまだやれるぞチビ。」
だけど、ゼビスさんがこれで納得して、負けを認める事は決してないだろう。
今の彼はある意味、ギルドを背負っている。そして、あたしとタカネの命に対する
責任も背負っているからだ。
ここで負ければ、あたしたちを盗賊たちの出現するであろう場所に送る事になる。
あたしたち自身が結果への責任を持つのだから、止める理由はないだろう。
しかし、中途半端な実力しか持たない人間を、無責任に見送る事はできない。
それはハンターとしての沽券にかかわるからだ。
規格外のパワーを見せ付けたタカネはともかく、あたしの「戦う」力そのものは
まだ未知数だ。こんな状態で「勝てないから負けを認める」では誰より彼自身が
納得できないだろう。
だったら、力ずくで納得させるしかない。
いささかガラが悪いけど、彼は間違いなく「乗り越えるべき壁」なのだから。
「分かった。」
あたしは、腹を括った。
「じゃあ行くよゼビスさん。覚悟はいい?」
「どこまでも生意気をホザくガキだな。とことん気にいらねえぜ。」
いまだ震えの残る拳をグッと握り締め、ゼビスさんは腰を落として身構える。
やっぱりこの人、筋金入りだね。
あたしは、その場でタカネにちょっと視線を向けた。
頷いたタカネが、ゆっくりと歩き出す。向かう先の人々はパッと場所を空けた。
足を停めたのはゼビスさんのほぼ真後ろだった。傍から見ると、あたしとタカネが
ゼビスさんを挟撃しようとしているように見えるだろう。
周囲の面々は少しざわついたけど、ゼビスさんはあたしに集中していた。
さっきのタカネの怪力デモンストレーションへの恐怖は、もう頭にないのだろう。
脳筋ってやっぱり凄い。
さて、決着と行こう。
ずっと棒立ちのままで迎撃していたあたしは、そこで初めて構えを取った。
腰を落とし、後ろに引いた右手を水平の位置まで上げる。
目の前で構えるゼビスさんが、いささか緊張したように見えた。
一瞬。
これで最後と踏み込みかけたゼビスさんの先手を取るように、あたしは右手を
勢いよく前に突き出した。その勢いに気を取られ、ゼビスさんはほんの一瞬だけ
硬直する。
あたしの動きはそれだけだった。地を蹴って、懐に飛び込んだりはしなかった。
「水弾!」
突進を躊躇したゼビスさんの目の前に、バランスボールくらいの大きさの水の球が
前触れもなく出現する。本当に、触れるか触れないかギリギリの座標に。
思いもよらない光景に、彼を含めた全員が瞠目した瞬間。
「…零距離音速弾!」
掛け声と共に、水の球は爆散した。と言っても、均等に破裂したわけじゃない。
傍らで立ち尽くしていたゼビスさん目掛けて、爆発的な飛沫となり殺到したのだ。
あたしの体のパーツは、どの部位であっても初速マッハ1には耐えられない。
奥歯だろうが頭蓋骨だろうが、撃ち出した瞬間ほぼ例外なく粉々になってしまう。
さらに脆弱な水の球なら、もはや1mも飛ばせないまま消えるだろう。
だけど。
たとえ飛ばしたものが木っ端微塵になろうと、マッハ1の運動エネルギー自体は
その瞬間、確かにそこに存在するのだ。
ならばゼロ距離、つまり対象に密着した状態でそれをぶちかませば、どうなるか。
こうなる。
「!?」
叫ぶ間もなく、ゼビスさんは吹っ飛ばされた。
腹部を守る鎧を直撃した水弾の勢いそのままに、後方の壁へと。
誰もがその姿を、一瞬それぞれの視界から見失った。
ただひとり。
背後に立っていた、タカネを除いて。
土壁に激突する直前で、彼女の手が彼の体を捉えた。
そのまま、自分の体そのものを軸にしてぐるっと1回転させる。
踵に抉られた床が、摩擦で煙を上げた。
勢いを相殺されたゼビスさんの体が、尻餅をつく格好でドシンと床に着地する。
ダンスの如き動きで彼を下ろし、タカネは何事もなかったように体勢を整えた。
「うぁ…」
気の抜けたようなひと声を残し、ゼビスさんはそのまま仰向けに倒れ込んだ。
ドシンという音に一瞬遅れ、ガントレットをつけた腕がガシャンと床に当たる。
満ちる静寂。
ポタポタと水滴が落ちる音。
そして。
勝負あり。




