来訪者・2
「あの、…ハイ。」
動揺を押さえ込み、あたしは務めて平坦な口調で答えた。ちょっと手遅れだけど。
見覚えない。全くない。この人、誰?
「私をご存知でしょうか?えっと…」
「アドラン」
「アドランさま。」
どうしても表情が引きつってしまっているあたしに、その女性―アドランさんは
ちょっと笑って手を振った。そういう仕種とかは、ごくごく普通の女性っぽい。
だからこそ、背中のとんでもない得物とのギャップがとんでもないんだけど。
「いや、あたし自身が知ってるわけじゃないですよ。連れから聞いただけで。」
「お連れさま、ですか。この街の誰か…」
「ううん違う。旅の連れ。ちょっとの間別行動してたんですけどね。2人で一緒に
ラスコフを目指してて…」
途端に、ガタガタと後ろが騒がしくなった。アドランさんの背後で、男衆たちが
何人も立ち上がったのが窺える。
「ちょっといいかな、えっと…アドランさん。俺はブレドってんだけど…」
「確かにオシャレなヒゲですね。あたしもそう思ってた。」
「は?」
「すみません、独り言です。」
傍らに立って声をかけたブレドさんに、アドランさんはちょっと変な事を言った。
でも、ブレドさんのヒゲがオシャレなのはあたしも賛成です。好きです。
「…ああ、うん。それであんたの連れっては、黒髪の可愛い女の子か?」
「そうですよ。やっぱり可愛いですよね。ちょっと色々背伸びし過ぎだけど。」
アドランさん、いちいち少し変な事を言うなあ。
ブレドさんも、ちょっと会話のリズムが掴めないって顔してるし。
「…ああ、うん。それでその、あんたの連れなんだがな。実は昨日…」
「ここに来て、ユロスさんの代わりに森の魔術師に連れて行かれたんでしょ?」
「は!?」
明らかな動揺がその場を包んだ。あたしも直立不動を崩し、両手で口を押さえた。
叫びそうになるのを堪えるために。
「…あれ?あたし、何か変なこと言いました?」
きょとんとするアドランさん。
口を開くたびに変な事を言ってる自覚は無さそうだけど、今のはレベルが違う!
「…ど、どうしてそれを…!?」
誰が言ってるんだと思ったら、あたしだった。
カウンターから身を乗り出し、裏返った声でそう言ったのだと、いま気がついた。
「どうして、って…」
アドランさんは、何とも微妙な表情を浮かべ、ちょっと頭を指で掻いた。
「その後で本人と合流して、話を聞いたからですよ。それ以外にあります?」
「え…」
言われてみれば当然だ。
彼女があの女の子の旅の同伴者で、その上であたしの名前を知っていたのならば。
ここでの顛末を本人に聞いたと考えるのが、最も自然だろう。というか他にない。
って事は…
「あの人、無事なんですか!?」
「元気にしてますよ。…まあ、全くの無事ってわけでもなかったけどね。」
「どこにいるんだ!?」
ブレドさんだけでなく、何人もの男性がカウンターに殺到していた。
むさ苦しい男たちに囲まれるアドランさんの場違い感が、限界を突破していく。
それでも彼女は、いたって平然としていた。
「とりあえず、あたしの質問にもひとつふたつ答えてもらえます?」
「あ、ああ。」
殺到したものの、男衆は何となく気を呑まれた感じで、すぐに大人しくなった。
対面でその様子を見ていたあたしは、理由がすぐに分かった。
何人も殺到したため、彼らの肩や体が何度となくアドランさんにぶつかっていた。
だけど彼女の体は、小揺るぎもしなかった。あんな重そうな得物を背中に携えて、
カウンターに手もついていないのに。
ぶつかってしまった面々も、返ってきた反動で気付いたのだろう。その異常さを。
呑んだくれる事もあるけど、彼らは優秀で熱心なハンターだ。それは他でもない
あたしが一番よく知ってる。そんな彼らだからこそ、アドランさんの底知れなさを
肌で感じたに違いない。
「昨日の夕方、変な服を着た3人の女性がこの街に戻って来ました?」
「来たよ!」
何人かの大声が、見事にハモった。誰も嬉しくないおっさんコーラスだ。
「彼女たち、大丈夫だったんでしょうか?」
「あ、ああ。」
今度は、ブレドさんだけが答えた。コーラス組はちょっと気まずそうだった。
「嫌な経験が色々あったのは間違いなさそうだが、3人とも思ったより元気だ。
しばらくは休ませないといけないだろうが…」
「よかった。」
そう言って、アドランさんは嬉しそうににっこりと笑った。
それを横目に見ていた男衆から、ギスギスした緊迫感が抜けるのが見て取れた。
「な、なあ、アドランさん。」
背後から声をかけたのは、エピのお兄さんのベルゴさんらしい。
ずっとこちらを向いていたアドランさんが、初めてその声に反応して振り返る。
ブレドさんたち左右の取り巻きは、いっせいに半歩下がった。警戒してるなあ。
体の向きが変わったせいで、あたしはアドランさんの刀を初めてまじまじと見た。
エッジの鋭さは寒気を覚えるほどだけど、青色の美しさはまさに至高の宝石だ。
「何でしょう?」
「俺の妹…いや、その3人を助けてくれたのはあんたなのか?」
「まあ、そうとも言えます。助けようと決めたのは、あたしの連れの方だけど。」
「そうか…」
うつむいたベルゴさんは、やがてアドランさんのすぐ目の前まで歩み寄った。
そしてその場で膝を突き、深々と頭を下げた。
「ありがとう。本当にありがとう。」
「どういたしまして。」
アドランさんの返答は、いたってあっさりしていた。
それ以上の感謝を求めるわけでもなく、恐縮して顔を上げてくれと言うでもない。
ただ、感謝の言葉をそのまま受け取っていた。
しばらくして、ベルゴさんはゆっくり立ち上がった。
誰もが、次の言葉を発するのを躊躇っている。それは見ていてよく分かった。
ここまでの話を思い返せば当然、最後に行き着く疑問はひとつだ。
だけど、やっぱり彼らはみんな、それを口にしづらいのだろう。
この街に住む人間たちは、あまりにも無力だった。自分の無力を諦めていた。
圧倒的な力の前に、なす術がなかった。その事実に、ずっと言い訳を求めていた。
だけど昨日、それは覆された。
無力なあたしの代わりに、あの女の子は自ら危険へと飛び込んで行った。
そして、絶望視されていたロネたち3人が帰って来た。
彼女たちを諦めていた皆は、自分たちを恥じた。
とにかく、出来る事をやろう。それが、全員で出した結論だったのだ。
死地に飛び込むのは、ただの無謀だ。そんな事をしても、何の結果も生まれない。
だけど、出来ない事が何もないと考えるのはやめよう。
たとえ小さな事でも、重ねれば突破口は見出せるかも知れない。そう考えたのだ。
そして。
アドランさんが、ここへやって来た。
彼女はおそらく、自分たちの無力という現実を突きつける存在なのだろう。
だからこそ、問う勇気が湧かないんだ。
でも。
誰がそれを責められるだろうか。悪し様に言う人がいれば、あたしが許さない。
不器用に頑張る、この人たちをずっと見てきたあたしが。
「じゃあ。」
気がつけば、またあたしは声を上げていた。
「あの森の魔術師たちは、どうなったんですか?」
「死にましたよ。一人残らず。」
やっぱり、アドランさんの答えはあっさりしていた。
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誰もが、言うべき言葉を見つけられなかった。
信じられないという気持ちと信じざるを得ない気持ちの葛藤が、皆の表情の上で
激しく戦っているのが見て取れた。もちろん、あたしだって似たようなものだ。
いくら何でも、すぐに信じろというのは無理な話だから。
「…本当か?」
声を上げたのは、やっぱりブレドさんだった。
「あんたがやったのか?」
「そう。」
「疑うのは許してくれ。…何か証拠はあるか?」
「もちろん。」
そう言ったアドランさんは、どこからか何かを取り出した。
いや、本当にそれ、どこから取り出したの?手品?…って感じで。
「これ、判ります?」
そう言ってカウンターに置かれた、2つの黒い物体。
それを目にした男衆は、みな息を呑んだ。もちろん、目の当たりにしたあたしも。
間違いない。
森の魔術師たちが使っていた、死と痛みを撒き散らす鋼の魔法具だ。
もう少し正確に言うとしたら、そのなれの果てだ。
どちらもかろうじて原形は留めていたものの、その表面はグズグズに溶けていた。
何をすればこんな無惨な有様になるのだろう。真面目に議論したくなるほどに。
「悪いけど、死体を持ってくるのは無理です。もっと完全に溶けて消えたから。」
「……」
怖れと言うより、超常現象を目の当たりにした時の思考停止に近い感じだった。
いろんな意味で、アドランさんは覚悟を遥かに超えてきた。
さすがのブレドさんも、言葉が見つからない様子だった。
しばしの、凍りついたような沈黙ののち。
「そうか。分かった。」
声を上げたのは、ずっと黙っていたディーンさんだった。
カウンターの奥の椅子から立ち上がり、あたしの隣へとやって来る。
「我々の常識であれこれ考えるより、信じてしまった方が話は早いのだろうな。」
「でしょうね。」
「あの連中には、我々は手も足も出なかった。それを一掃してくれたというなら、
礼を述べる。ありがとう、旅の人。」
「どういたしまして。」
やっぱり、アドランさんの態度は変わらない。
「ただ、あの連中には懸賞金などは一切かかっていなかった。もしそれが知れたら
街ごと滅ぼされかねなかったからな。それで、代わりと言っては何だか…」
「いえいえ。あたしはそんなものが欲しかったんじゃない。友達を助けただけ。
だから、それを仕事だと言うつもりなんかないですよ。」
「そうか…。」
ディーンさんは、唇を噛み締めて少し俯いた。
「重ね重ね、面目ない。我々には、感謝の言葉を述べる以外、何もできない。」
「何かしようとは思ったんでしょ?」
初めて、アドランさんの言葉に明確な思惟が宿ったような気がした。
みんなそれを感じたのだろう。あたしを含め、一斉にアドランさんを注視する。
「あの連中があなたたちの手に負えないのは、あたしにも分かります。と言うか、
あたしたちだから分かるって話です。だけどあなたたちは、ふらりと立ち寄った
旅娘でしかないあたしの連れのために、何かしようとしてくれたんでしょ?」
「だがそれは、些細な事でしかない。手遅れという事実を、見てみぬ振りして…」
「それでも何もしないのとは、全然違うでしょ。」
ブレドさんの言葉を遮ったアドランさんの語調は、信じられないほど強かった。
「リンク切るの、ちょっと早かったかなあ…」
え?
またアドランさん、ボソッと変なこと言ったかも。
「見知らぬ人間のために、そこまでしようとするあなたたちは強い。弱いなんて、
あたしも拓美も絶対に誰にも言わせません。きっとあの子は泣いて喜びますよ。
ここにもそういう人たちがいたんだ、ってね。」
タクミっていうのか、あの女の子。
「…彼女は、本当に大丈夫なのか?」
「もちろん。今まで色々あったし、昨日もかなりろくでもない一日でしたけど。
それでもちゃんと前を向いてます。それに…」
「それに?」
「ようやく、あたしも合流できたし。」
「そうか。」
もうそれ以上、ディーンさんもブレドさんも何も問わなかった。
彼女が大丈夫と言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。
みんな、そんな風に思っていた。
決して気休めでもなく、見て見ぬ振りでもない。
アドランさんの言葉なら信じるに足ると、心から思ったからだった。
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「斥候を出す?」
「ああ。そのつもりだった。」
「いいんじゃないですか?」
アドランさんの用件は、とりあえず次の街へ向かうための情報を得る事だった。
いきなりラスコフへ行く道を聞くのは無理があると、おそらくタクミさんから
事前に聞いていたのだろう。もちろんあたしは、地図を渡して丁寧に説明した。
ギルドを後にする前、彼女はあたしたちの今後について少し質問した。
だけど、あたしはあまり心配はしなかった。
詳しい説明はなかったけど、魔術師がいなくなったというのはおそらく本当だ。
そして、森はさほど危険ではなくなった、というのも。
その言葉だけでは足りないので、やっぱり斥候は出す。だけどみんな、どことなく
ホッとした顔をしていた。
「それじゃあ、お邪魔しました。」
相変わらずマイペースなアドランさんは、そう言って手を掲げた。
見送る男衆も、かなわないなあ…という感じの苦笑を返して手を掲げる。
だけどあたしは、その場の誰よりも欲張りだった。
どうしても、タクミちゃんの安否をしっかり聞きたかった。
たとえ、会えないのだとしても。
と、その時。
手を下ろしたアドランさんが、あたしを見た。
その視線を、ほんの少し外に向けた。
思惟的なものを感じたあたしは、できるたけそっとその視線を追った。
格子窓の向こう。
午後の日差しに照らされた、目抜き通りの歩道に。
小さな女の子が立っていた。
見覚えがある。
あの服装と、あの黒髪に。
だけど、別人だ。
そのはずだ。
彼女は…
あたしの視線に気付いたその子は、にこりと笑った。
暗くてよく見えなかったけど、あの時のタクミちゃんに似ていると感じた。
でも、彼女は…
窓の外の子は拳を握り、グッと親指を立てて見せた。
嬉しそうな、それでいてちょっと恥ずかしそうな笑みを浮かべて。
およそ、女の子らしくないその仕種。
見覚えがあった。
あたしにだけ向けられた、忘れられないポーズだった。
驚きはなかった。
ただ、何だか嬉しかった。
確信があった。
アドランさんの、言うとおりだ。
彼女は、きっと大丈夫だ。
だったら、笑顔で見送ろう。
あたしは、精一杯の笑みを返した。
誰もが、去り行くアドランさんを注視している中で。
あたしは、窓の外の女の子に小さく手を振っていた。
お元気で。
もしも機会があったら、またいらして下さい。
ムジンカは、素敵な街です。
今はちょっと、傷跡が残っているけど。
でも、きっとみんなで立て直します。
昔みたいな、明るい街に。
だから、いつの日か。
またお会いしましょう。
ゆっくりと扉を開け、アドランさんは去って行った。
みんなは彼女の事について、そして今後の事について議論を始めていたけど。
あたしは、格子窓の隙間からじっと彼女の背を見送っていた。
小さくなった背が、角を曲がって見えなくなる直前。
寄り添うように、あの子が隣に並ぶのが見えた。
ああ、やっぱり。
何だか、その姿がとっても嬉しかった。
ありがとうございました。
旅の無事を、心からお祈りしています。
どうか、お元気で。




