遭遇・1
森の入口まで来て、1本1本の木の大きさ、荒々しさに圧倒された。
出発前の地球にももちろん木や森はあった。しかしそれらは全て等しく
行儀よく整理され、むしろ「公園」と呼ぶ方がいい代物ばかりだった。
野性味溢れる巨木は、見上げるだけでかなりテンション上がる感じだ。
『ここから見通しも悪くなります。気をつけて。』
「広域の走査とかできないの?」
『基本的に、走査はあなたの感覚器によって捉えられる範囲限定です。
要するに、あなたに見えないものは見えないと思っておいて下さい。』
「うーん…。まあ、そこまで万能を求めちゃダメだよね。」
ある程度、出たとこ勝負なのは仕方ない。
意を決し、葉陰になっている森へと足を踏み入れていく。
ちなみに、現在のあたしはもちろん全裸ではない。
場違いの極み、ジャージ姿だ。足に履いているのは厚底仕様の運動靴。
ご丁寧に、荒野不動産のロゴまでも入っているモデルだったりする。
ごく普通のジャージに見えて、耐熱耐圧に優れた画期的新素材を使用…
してもいない。
本当に単なるジャージである。非常に着心地はいいが、それ以上の事は
期待できない。
これらは有機素材繊維、いわゆる「食べられるプラスチック」と同様の
概念の素材で作られている。肉体と同じくナノマシンによって生成可能
であり、破れてもすぐに修復できる優れものだ。出発時のデータ容量の
関係上、「服」は一種類しか持って来れなかったので、機能性を重視し
これにした。本来ウサ耳キャラでの着用を覚悟していたが、何着ようと
場違いなのは同じだ。だからこそ、動きやすいものがいいと考えた。
どうせ、誰も見ないし。
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少し薄暗くなったものの、森の中の景色は陰気とは程遠かった。
高所からまだらに挿し込む木漏れ日が、美しいコントラストを描く。
未知への挑戦と言うより、マイナスイオン溢れるお散歩といった態だ。
「植物の見た目なんかも、あんまり大差ないわね。」
『進化の過程からして、地球と似ていたのでしょうね。』
そんな感想を交わしつつ、ツツジに似た花の大株に歩み寄る。
「これ、そっちで調べられるの?」
『拓美の視覚・聴覚からの情報だけだと大雑把な推定しかできません。
ただし…』
「ただし?」
『直に接触すれば、体組織を介して内部まで精密にスキャンすることが
できます。接触時間が長ければ長いほど、解析精度も上がります。更に
言えば…』
「あ、とりあえずはいいよ。それで充分。」
なるほど。
今のあたしは本体の入出力デバイスになっているけど、同時にタカネに
とってはスキャナーとしての役割も果たしているというわけか。
物は試し。とにかくちょっとやってみよう。てなわけで、すぐ目の前に
咲いているツツジ似の花弁をそっと葉っぱごと摘み取ってみる。
「どう?」
『解析終了しました。驚きですね。見た目と同様に、組成も地球の植物
そっくりです。…光合成のシステムまでほぼ同じようです。』
「それじゃ、もしかして食べられる葉とか実とかも…」
『探せば見つかると思いますよ。』
「やった!!」
嬉しい情報に、かなりテンションが上がった。
「食料確保の問題に対する危機感が無さ過ぎる!!」とか怒られるかも
知れない。しかし、そこはナノ制御ボディ。体組織を合成するのと同じ
要領で必要な養分も合成ができる。最悪「一生何も食べない」としても
普通に生きていけるのだ。
いくら何でも、そこをクリアせずにこんなムチャな旅には出ないよ。
ただし、「食べなくても大丈夫」と「食べる楽しみ」とは、文字通りの
別腹だ。おいしい果物なんかも色々食べてみたいし、「人間社会」的な
モノが見つかれば憧れの異世界料理も堪能できるだろう。
上がったテンションのまま、今度はやや斜めに延びた細長い木の表面に
触れてみる。と、手のひらにチクリとかすかな痛みが走った。
「?」
幹の表面にトゲでも生えていたかなと、軽い気持ちで手首を返す。
次の瞬間、全身の鳥肌が立った。
わずか数秒にも満たないその間に、手のひらの皮膚には赤紫と黒という
どぎつい色の斑紋が広がっていた。焼けるような痛みを伴って、斑紋は
どんどん手首へ上ってくる。
「ちょっ…!!」
『樹皮表面に、毒素を含んだ突起が生えていたようですね』
危機感のカケラもないその解析に、あたしは思わず声を張り上げた。
「言ってないで何とかしてよ!!」
『では、緊急措置を。』
次の瞬間、あたしの両腕は肘から下が細かいドットパーツに分解され、
一瞬で消失した。そしてあれこれと考える間すらなく、これまた一瞬で
再構成される。あの熱も痛みも嘘のように消え、皮膚の表面にも痕跡は
何ひとつ残っていなかった。
『侵食を受けた腕の部位を作り直しました。それと、毒素の組成情報も
サンプル解析終了しました。およそこの系統の毒物に有効な抗体を付加
したので、今後同じようなかぶれを生じる心配はありません。』
「かぶれ…ね。」
相変わらずの仕事の早さである。
あたしが物心ついた時点で「病気」はもう、死語になりつつあった。
こんな展開を目の当たりにすると、あらためて納得してしまう。
とは言え、油断は禁物だ。
気持ちを引き締め直して、あたしは森の奥へと歩を勧めた。
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「…疲れた。」
言った瞬間、疲労が消える。
ナノマシンによって細胞単位で制御されている体ならではの、瞬間的な
回復だ。しかし滅入った気分の回復には遠く至らなかった。
歩き始めて、およそ3時間ちょい。森の様子に変化はなく、どこまでも
続いている。「疲れた」からの瞬間回復は、すでに4回目を数えていた。
久し振りに体を動かしたからという言い訳以前に、根本的な体力が全然
足りていない。地球にいた頃が運動不足だったとは思わないんだけど、
開拓者としては無理がある。
不毛なループに、ついに足を止めてしまった。
「…ねえ。」
『はい?』
「なんか、埒があかない気がするんだけど。」
『どこか不具合がありましたか?』
「いや、そうじゃなくてさ。」
…何となく白旗を揚げるみたいで嫌だけど、この単調が過ぎるループは
何とか打開したい。
「何かこう、あるでしょ?身体能力向上の方法とか、ひとつくらい…」
『とんでもない』
ないのかよ。
気だるい絶望に襲われた次の瞬間。
『ひとつだなんてとんでもない。数え切れないほどありますよ』
「は?」
『何しろ、する事が無かったので』
出た、いつものやつ。
いろんな事やってたんじゃないか、というツッコミが今さら過ぎるほど
お約束と化した決まり文句。
『先に解析した拓美の肉体のデータを基盤に、「予想成長形態」を色々
想定して組み立ててたんですよ。』
「要するに、パターン別に想定した「大きくなったらナニナニになる」
…ってやつ?」
『その通り。』
ヒマだったんだなあ、ホントに。
「例えば?」
『オリンピックの金メダル級短距離ランナーの持久力とか瞬発力とか、
世界王者級の空手の実力とか、F1レーサー並みの動体視力とか』
「ほうほう。」
『暴飲暴食し続けた肥満体型とか、喫煙し過ぎた末の不健康体とか』
「ほう…うん?」
『一回も入浴していない超不潔状態とか、美容整形の手術をやり過ぎた
末の見るも無残な…』
「へいストップ!…どうしてそんなネガティブなのまであんのよ!?」
『何しろ時間があり余』
「ああうん、分かったゴメン。」
…結局、どこにツッコミを入れても「2863年間のヒマつぶし」へと
帰結するらしい。とにかく魔法少女並みの変身能力を得たんだ…という
事だけは理解した。
「…ってか、どうしてすぐに教えてくれなかったの?」
『何しろ長いブランクがあった状態です。まずは慣れ親しんだ肉体で、
試運転をした方がリスクが少ないと思ったからですよ。』
「なるほど、ね。」
何事も順序を経てという事だろう。なら、慣らし運転は充分のはずだ。
って言うか、白旗を揚げなかったらいつまで黙ってたんだろう…って、
まあそれはいいや。
しばらく考え、あたしはリクエストを口にしてみた。
「それじゃあ、トライアスロン選手の身体能力と持久力、っていうのは
できるかな。」
『お安いご用です。あ、それと』
「何?」
『胸は盛りませんよ?』
「いちいち言わなくていいって!」
ほどなく、下腹部あたりから波動のようなものが伝わるのを感じた。
そして手足の筋肉がゆっくりと音もなく変形していき、身長もググッと
伸長する。数秒も経たないうちに、変身完了した。ジャージサイズまで
併せて変化しているのは、さすがと言うべきか。
手首を回して、その場で何度か軽く跳ねてみる。劇的な違いは感じない
ものの、何とも形容し難い万能感があった。指先で軽く触れてみると、
なるほどたくましい筋肉だ。
『いかがでしょうか。…お気に召しましたか?』
「アパレルショップの店員みたいな聞き方ね。」
『似たようなものです。』
「まあ、まずは試走!」
軽口を交わし、タッと勢いよく足を踏み出してみた。お、さっきまでの
グダグダが信じられないほど手足が軽く、一歩一歩が飛ぶように速い。
「…イイじゃんイイじゃん。何だかイイ感じじゃん!」
見飽きていた森の光景が、それまでとは比較にならない速度で流れる。
正直、目覚めてからこっち、今こそ最もテンション上がっているような
気がしていた。トップアスリートも顔負けの身体能力。しかも、疲労も
負傷も気にせずに行使できる残機数無限ってオマケ付き。こんな状況で
ハイにならないほど、あたしの心は老け込んでいない。
実年齢は3000歳に近いけどね!
そしてようやく。
前方に森を抜けた先の陽光が見え、水の流れる音が聞こえてきた。
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「ふぅ。」
葉陰が途絶える境目で足を止めて、あたしは小さな息をついた。…とは
言っても、息切れも疲労も何もかもリセットされている。まあ、単なる
気分的なものだ。
県境や国境を越えるような気分で、久々の日向へと足を踏み出す。
一瞬感じたまぶしさの跡に、視界が大きく開けた。
晴れ渡った空の下に、深緑の山々が遠くまで連峰を成すのが見える。
森を抜けた足元の地面は、少し先で左側のみが大きく落ち込んでいた。
縁まで行ってそっと下を覗き込んでみると、岩だらけの崖になっている
のが判る。高さは10~15mってところだろうか。崖下にゆったりと
した流れの川が見えていた。水音が懐かしさを醸すと同時に、あたりの
静けさを殊更に強調している。
「水場発見。今日のキャンプ地は、あそこで決まりね。」
『降りるのは大変そうですが。』
「ただここからポンと飛び降りればいいんじゃないの?」
『捻挫どころか、重篤な骨折は免れませんよ。川も浅そうですし。』
「すぐ治るじゃない。」
『拓美も、たいがいに常識が壊れてきましたね。』
「冗談だってば。」
ともあれ、まだ日は高い。
確かに降りるのは(慣用句的にも)かなり骨が折れるだろう。その前に
もう少し、この周辺を大雑把にでも探索しておきたかった。
と言うのも、この時点になってなお「見つけたいもの」が見つけられて
いないのだ。水音を聞いた時からはさらに意識するようになったけど、
動物の声をまだ聞いてない。鳥類がいるかどうか定かでないにしても、
少しくらい生き物の声らしきものが聞こえても不思議じゃないはずだ。
植物がこんなに繁茂してんだから。
崖の反対側を少し行った所に、先程までと雰囲気の異なる森が見える。
とりあえず、あそこを入口付近までだけでも調べてみてもいいだろう。
もしかすると、、食べられる植物のひとつくらいあるかも知れないし。
『まあ、そのくらいの時間はあるでしょう。ですが、沢まで下りて夜を
明かすのなら、暗くなる前に戻ってくださいよ。身ひとつで下るのは、
本当に危ないですから。』
「だから、飛び降りればいいだけの話じゃん。」
『余計な危険や手間は、極力避けてください!』
「はーいママ。」
まあ、そこまで時間も心配もかける気はない。比較的安全に下りられる
ポイントも、探せば見つかるだろうと思う。
とりあえずの方針を決めると、また駆け足になって正面の森を目指す。
遠目にも実のなっている木々が判別できるので、さっきまでよりは期待
していい場所だろう。
もう少しで森の入り口、という地点に到達した刹那。
それまで眩しいくらいに照り付けていた背後からの日差しが、前触れも
なく翳ったと感じられた。
――あれ、曇ってきた?
しかし、遠目に見る木の影は濃い。
という事は、ここだけ日差しが…
何気なく顔を上げるのと、視界の隅で何か動いたのはほぼ同時だった。
見上げた先に、日の光を遮る何かがある。
いや、
何かがいる。
周囲の空気が、丸ごと動いた。
「ッ!!」
とっさに身をひねった瞬間、全身に衝撃が走る。
意想外の方向へ引っ張られて転倒しそうになったけと、危ういところで
踏みとどまった。同時に、ゴリッという音が頭の上で鈍く響き、何かが
すぐ目の前にぽとりと落ちる。
反射的にそちらへと向けた視線が、そのまま釘付けになった。
落ちてきたのは、血塗れの右手首。
親指も、途中から千切れていた。
「!!」
ハッと口元を押さえようと試みた、無意識の行動は途中で頓挫する。
確かに上げたはずの、右手がついてこない。
「……………え…?」
見下ろす自分の胸元が、ごっそりと無くなっていた。
右の肩から乳房にかけての肉が深々と抉られ、何本もの肋骨が折れて
飛び出している。思い出したように噴き出した赤い血が、足元の草に
鮮烈なコントラストを描いた。
何が起こったのか、思考で理解するよりも前に。
あたしの肉体の半分近くが、無惨に失われていた。




