越境
かすかな星明りが、うっすらと川面を照らす深夜。
月が出ていないので、真っ暗ではないにせよ見通しはほとんど利かない。
だけど、人狼融合の暗視能力ならこの程度で充分。
夜のランカ河越えは危険だと、旅の途中で出会った人から何度か聞かされた。
確かに、船で行くのは危険だろう。川幅も広いし、途中で転覆とか落水とかすれば
命の保証はない。ヤバイ夜行性の生物も色々といるらしいし。
密入国を狙う人たちが決死の覚悟で夜に船を出すというのも、ほぼ真実だろうね。
だから、あたしは上を行く。
たとえ水中に何が潜んでいようと、決して届かない高さを跳び越えていく。
およそ1.5キロの連続頭蓋跳躍だ。
気合入れていこう。
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出発点は、ちょっとした天然の展望台のようになっている大きな岩の上だ。
端に立って乗り出してみれば、かなり河に張り出した形になっているのが判る。
高さは、水面から大体10mくらいかな。
「じゃあ、行ってみようか。」
『本当にこれでいいの?ずーっと頭蓋を並べて、橋にした方が…』
「だから、それは遠慮するってば。」
安全性を気にしてくれるタカネの言葉はありがたいが、あんまり想像したくない。
夜の河に架かる、シャレコウベで出来た細い橋。…間違いなく、怪談になる絵だ。
時間もかかるだろうからね。
と、じっと見据えていた河の上の空間に、ポツンと何かが浮かんだのが見えた。
目を凝らすまでもない。おなじみのアレだ。しかしずいぶん遠いね。
「ひと跳びであそこまで行けって?」
『計算上は出来るはずよ。』
「分かった。」
あたしが翻意しないと悟り、かえって難度のハードル上げてきたわね。
よっしゃ。受けて立とうじゃない。
「行くよー!」
10mほど後ろに下ったあたしは、トップスピードで駆け出した。
助走がついた体を、迷うことなく虚空に躍らせる。よし、踏み切りは完璧!!
軽やかに舞い上がった体は、一気に最初の頭蓋骨まで到達した。足の爪を出し、
その表面をガッチリ捉える。すでに、次の頭蓋ははるか前方に出現していた。
「よっ!!」
頭蓋上部の丸みを利用して勢いをつけ、そのまま前方へとジャンプする。
なんだかんだ言っても、やっぱりタカネの計算は完璧だ。
ジャンプが届くギリギリの座標に、さも当然のように次の頭蓋が浮いている。
右。左。右。左!
ほとんど音も立てず、あたしは真夜中の川の上を跳び進み続けた。
『次の次で、ちょっと一息入れましょう。』
「了解。」
さすがに、ちょっと集中力が切れてきた気がする。ここは素直にタカネに従おう。
提案どおり、その2つ先の足場までは間隔が短く、5つの頭蓋が丸く並んでいた。
直線的だったジャンプを、そこだけ大きな放物線にして速度を相殺する。
「ホッ!と」
狙い通り、あたしは軽やかに中央の頭蓋に着地した。
風のない夜。
周囲は、星の薄明かりだけが照らす闇。眼下はどこまでも続く、真っ暗な水面。
はるか遠くに、かがり火で照らされているのであろう大橋がかすかに見える。
真の闇ではないからこそ際立つ、あまりに広い空間と圧倒的な静寂。
もはや、あたしのいた地球では、どこを探しても見つからないような景色だ。
足を踏み外せば、おそらく凶暴な死が待っている。
テンション上がるなあ。
今現在、こんな馬鹿げた事をしている人間は、間違いなくあたし一人だろう。
その事実が、どうにも下腹部から体を疼かせる。
我ながら、行き当たりばったりな日々を送ってるなあと思う。
とにかく地球を飛び出して、タカネに任せっきりで宇宙を何千年も彷徨って。
辿り着いたこの星でも、その日その日を勢いで生きている。
闇に沈む大河の真っ只中で、ちっぽけなドクロの上にポツンと佇んでいる少女。
どう考えても、あたしの生き方の縮図そのものだ。
身を寄せるあても、まともな道標もない。頼れるのはタカネだけ。
イイねえ。ホントにあたし好みの生き方になってきてる。
『どうしたの?あんまりボーッとしてると落っこちるわよ。』
「ちょっと考え事をしちゃってさ。」
『こんな時にこんな場所で?』
「こんな時にこんな場所だからこそ、よ。」
『そう。…まあ、足が竦んだとかじゃないならいいけど。』
はは、余計な心配させちゃったかな。ゴメンゴメン。
頼りにしてるよ、タカネ。
「さて、と。」
あらためてしゃんと背筋を伸ばしたあたしは、まだまだ遠い対岸を見やった。
「大体、どの辺まで来てるの?」
『ちょうど四分の一。』
「まだそんなもんかぁ…。」
まあ、そりゃそうだよね。
いくら人狼融合で身体能力を底上げしていると言っても、やってる事は単なる
走り幅跳びに過ぎないんだから。そう簡単に1.5キロの走破は出来ないだろう。
「夜明けまでは?」
『まだまだ猶予はあるよ。だけど、密航船が動き出すのはもっと早いと思う。』
「それまでに向こう岸に着かないと、色々まずいか…。」
さすがに、こんな事をやってる姿を目撃されれば、どんな奇々怪々なおとぎ話が
捻り出されるか分かったもんじゃない。それはさすがに遠慮したい。
「じゃ、そろそろ行こうか。」
『了解。ちょっと上がるわよ。バランスに気をつけて。』
その言葉の直後に、自分が立っていた頭蓋骨が全て上空目掛けて射出された。
勢いを失って落下するその5つの代わりに、新たな足場となる頭蓋骨が現れる。
その場所は、さっきまでよりもずっと高い座標だった。さすがにこんな場所では
怖くて頭蓋跳躍をやり続ける自信はない。
この高度は、あらためて加速をつけるためのものだ。助走をする場所がないから、
ここから斜めに飛び降りる事によってもう一度スピードをつける。後は元の高度で
さっきの続きに戻るって寸法ね。
高く上った事で、漆黒の景色がさらにパノラマに変化した。向こう岸もかすかに
視界に入り、森の向こうに薄明かりのようなものも見えた気がする。
よおし。出来れば、ここからは休憩なしで一気に渡ってやる。
あたしもタカネも、それまで以上に集中した。
だからこそ、気付けなかった。
すぐ近くまで、危機が迫っていた事に。
「着地点は?」
『準備OK。』
「じゃ、行ってみよう!」
そう言い放ち、あたしは目測を確かめて虚空に身を躍らせた。
「!!?」
次の瞬間。
放物線を描いて落下するはずの体が、突如として更なる上昇を始めていた。
異変に気付くと同時に、両肩に何かが食い込む激痛が走る。
「つ、捕まった!?」
思わず叫んだ刹那、あたしの体は鋭角にターンした。
逆方向、つまり元いた川岸の方へと高速で運ばれていく。
「タカネ!これって…」
『拓美!!』
いつになく切羽詰まった口調の、タカネの声が頭に響く。
『コウモリよ!!』




