北へ
というわけで。
リータさんとの出会いの翌日、あたしは魔術師の祖国・ラスコフへ向け旅立った。
天気は快晴。雲ひとつ無い門出日和だ。
嫌な思い出ばかりだったベズレーメの城塞も、遠ざかるにつれてそれなりに感慨が
湧いてくるから不思議なものだ。いわゆる思い出補正か…いや、違うか。
北の門から出て川にかかる大橋を渡り、とにかく道なりに歩いていく。
ちなみに、行商でこっち向きの進路を取る隊は他と比べ、かなり少ないらしい。
正確に言うと、陸路を辿る者が少ないという感じだ。
ベズレーメの北を東から西に流れるランカ河は、やがてその流れを大きく北へと
曲げている。つまり、行商をするなら船で行った方がよっぽど多くの荷を扱えるし
スピードも出るから…って事情らしい。
あたしは、船旅には興味はない。とりあえずの方向は北東だと言われているので、
しばらくランカ河の流れに沿うような形で旅をする事になるだろう。
ま、なるようになるさ。
さて、魔術師から受け取ったあのナビ水晶。
相変わらず、手に持って意識を向けると、光るには光る。だけど変化が無い。
ひょっとして、からかわれたのだろうかと思い始めていた、ある日。
最初の分かれ道に辿り着いたので、試してみる事にした。
十字路になっている中で、あえて西に向かうらしいルートを選択してみる。
さあ、どうだ。
変化なし。
おい、これ本当に大丈夫か。
そろそろ、本気で心配になってきた。
でもまあ、こっちでもいいならこっちを進んでやる。もう、こうなったら意地だ。
半日ほど進んだら、小さな村に出た。そしてまた分かれ道。
今回も、もはや当然のように西向きのルートを選択してみる。
と。
ここで初めて、水晶の発光色が青色に変化した。そして、細かな点滅を始める。
これ、もしかして警告反応なのか。
踵を返し、反対向きのルートを選んでみた。すると、色が元に戻った。
ついに、ナビっぽい反応が出た。
「ねえタカネ。これってつまり…」
『致命的なルートの選択ミスをした時だけ、警告してくれるシステムみたいね。』
なるほどね。
つまり、多少西に振ろうが南に振ろうが、いずれルート修正できるレベルだったら
わざわざ反応しないって事なのだろう。ものすごく、ふわっとしたナビだ。
遠回りとかしても、気付けなさそう。
「…まあ、急ぐ旅じゃないから……」
『無理やり納得しようとしてるように聞こえるわよ?』
「いいから!」
急いでないのは事実だもんね。
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さて。
丸1日かけて選んだあたしの服は、上から下までとにかく丈夫な仕立ての皮製。
着心地とかは二の次、三の次。酷使に耐えられる事を第一に考えた。
地味な一人旅でオシャレしたって、虚しいだけだからね。
荷物は、ずっしりと重いリュックがひとつ。これもとにかく丈夫なのを選んだ。
服よりも分厚い皮拵えのものの中に、これまた頑丈な麻袋状のものを重ねて入れて
補強してある。二重にガッチリ縛り付けてあるから、開けるのもひと手間。
ほとんど開ける必要が無いから、こういう仕様が一番まちがいが無いんだよね。
無限に物が入れられて、しかも全く劣化しない異次元の収納。
もしかしたら魔法の概念で存在してる可能性はあるけど、あたしは持ってない。
と言うか、あんまり持ちたくない。
実は、それに似たようなコンセプトのものを知っている。
かつての地球で、外国の家電メーカーが発売した特殊保管庫がそうだった。
さすがに容量無制限という無茶苦茶な仕様ではなかったけど、内部にナノマシンを
組み込んでおく事により、収納したものをずっとそのままの状態で保つ…とかいう
夢の商品だった。
発表当時は大ヒットした。小型から大型まで、飛ぶように売れたのを憶えている。
だけど、革新的な便利グッズには落とし穴があるものだ。
ドイツの動画投稿者が、いわゆる体を張ったチャレンジというのをやってみた。
この保管庫の中に入って、一ヶ月間過ごしてみる…という内容だった。
さすがに水だけは持っていけという周りの声を一蹴し、まさに着のみ着のままで
未踏の実験に挑んだ。ご丁寧にパスワードまで設定して、誰かが途中で開けたり
出来ないようにしていたっけ。
そして一ヵ月後。
外に出てきた…と言うより、搬出された彼の姿は、世紀のトラウマと呼ばれた。
確かに、パッと見には何も変わった様子はなかった。だけどアップで見てみると、
着ている服と体が微妙に一体化しているのが判った。
顔のパーツも、爪や指も。
紛れもなく元の素材なんだけど、何度も繰り返し構成し直したのは明らかだった。
そう。
彼は一ヵ月の間、ずっとナノマシンによる分解と再構成を繰り返されていた。
もちろん、生きてはいた。
だけど、脳も他の臓器も全て「バラして組み直した」跡があった。
意識が戻る事はなく、その後彼がどうなったのかは公表されなかった。
その後いくらも経たないうちに、この家電メーカーは潰れた。
そんな事があったのに、よく自分の体をナノマシンに託す気になったなって?
それはそれ。
もともとその保管庫は、生物が使うという想定はされていなかったんだからね。
言い方は悪いけど、自業自得というやつだった。
医療用に実用化されているナノシステムは、いろんな意味で精度の次元が違う。
その中でも、出発当時のタカネは文字通りの最高品質だったんだから。
まあそんなわけで、劣化しない収納という概念にはちょっと拒否感があるのよ。
変な話をしちゃってごめんね。
とにかく、こういう旅ってのは退屈なもんだからさ。
昔話のひとつも、したくなるってなものよ。
盛大に脇道に逸れたけど、あたしの荷物は重いリュック1つ。
中身はまず、今着てるのと同じ服の替えがひと揃え。ただし、サイズ大きめ。
メルニィ・リアーロウを名乗るに最低限必要な、落ち着いたデザインの服が一着。
後は、すべて現金です。
ジアノドラゴンの鱗を競売にかけて得た大金を、びた一文残さずに持って来た。
全共用通貨というのに両替した時、手数料やらレートやらで1割ほど減ったけど、
まだまだ物凄い額なのは変わらない。何たって、支出が少ないからね。
ATMが無い以上、持ち歩くしかない。調べたところによると一応、為替みたいな
システムは存在しているらしいけど、あんまり信用できないし。
とにかく、街や村に泊まる時には宿を取る。そして地元料理をささやかに楽しむ。
旅なんだから、そのくらいの楽しみはないとね。
まあ、荷物の内容はそんな感じだ。
そもそも、あたしは飲食の必要がない。だから食料も水も持ち歩かなくていい。
飲み食いが出来ないわけじゃない。味覚も消化器官もちゃんと普通に備えている。
ただ、全く摂取しなくてもナノ制御ですぐに必要な栄養素などを補える体なのだ。
そして、汗や老廃物といったものの分泌も抑制できる。もちろん体臭も同様。
さらに言えば、トイレに行く必要すらもない。
水は必要な分を吸収すれば後は純粋な気化で発散できるし、食べた物についても
咀嚼して嚥下し、胃酸と混ざった時点でナノ制御の対象として認識されるらしい。
だから分解できるし、栄養として吸収しなかった残りカスは転送で投棄できる。
この状況においては必要性を感じないので、生理も来ないように設定されている。
何かの弾みで汚れたとしても、表皮を分解すれば汚れを「置き去り」に出来る。
異世界で現代人が直面するであろう様々な問題やストレスは、あたしには無縁だ。
もともとは寝たきりの人の介護負担を軽減するため発展したナノシステムだけど、
こんな使い方があってもいいんじゃない?
2000年以上昔のロストテクノロジーに、ちょっと感慨が湧いたりもするよ。
さて。
あまり陸路の街道が栄えていないという事もあり、宿を取れない日もかなり多い。
そういう時は、もちろん野宿。
敷物も羽織るものも持ってないのに、まともに寝られるのかとお思いでしょう。
そんな時には、おなじみ人狼融合の出番なのですよ。
寒冷地に棲息する事もあるエヴォルフは、冬毛を生やす事ができる。それはもう、
モッサモサのモッフモフの毛をね。
それを手足と背中から目一杯生やせば、快適な毛玉ベッドの出来上がりとなる。
防寒・保温性に優れている上、撥水性も高いので、多少の雨くらいはへっちゃら。
毛の層を厚くすれば、寝ている間に獣に襲われても牙も爪も届かない仕様になる。
起きた時には全て抜けるから、荷物にもならない。
高速移動にも戦闘にも快眠にもバッチリ。本当にエヴォルフって便利な生き物よ。
移動はもっぱら、鳥馬融合を使う。
エヴォルフも足は速いけど、いかんせん「走り心地」がイマイチな感じなのよね。
ずっと短距離走を走ってるような忙しなさがあって。
そこへ行くと、さすがにあの鳥馬の足はとっても長距離疾走に向いてる気がする。
ひと気のない場所や夜間では、四足モードにしてスピードと安定感をさらに増す。
傍目には、いわゆるケンタウロスが疾駆しているように見えるだろうね。
あたしもかなり人外っぽさが加速してきたなと、つくづく思う瞬間です。
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そんなこんなで、1日きっかり80km走破の北上を続ける事、十日あまり。
ついに、北向きのルートに水晶発光の警告が出るところまで来た。
ここからは東に向かわなければいけない。つまり、ランカ河沿いの道は終わりだ。
高所へ登って見てみれば、数キロ先にちょうど大橋が架かっているのが分かる。
そもそもランカ河は、北上が始まった辺りから隣国、ロドーラとの国境でもある。
大体は船で渡って入国するが、あの橋は唯一、陸路から入国できるルートらしい。
川幅が1.5キロ近くもある大河にかかる橋だけあって、物凄く大きな建造物だ。
そして唯一、歩いて渡れる橋だけに、そのチェックの厳しさは凄まじいらしい。
当然といえば当然だろう。
隣の国から橋でホイホイ入国を許していたのでは、有事の際に大変な事になる。
もちろん、どちらの国にとっても。
だから国越えは船。聞くところによると、密航を手引きする業者も多いらしい。
まあ、てっとり早く儲かる仕事だろうからね。
ただしこの河、大きいだけあってアマゾン並みに生物が色々と生息している。
魚竜みたいなのもいるし、素人がうかつに船で出航しようものなら一巻の終わり。
何かしらの生き物に食われるのがお約束らしい。
あたしも道中、ちょっとしたネッシーみたいなのが朝もやの中で泳いでいるのを
2度ほど見た事があるしね。
さあてと。
じゃあ今夜あたり、いよいよ河を越えるとしよう。
さんざん説明したけど、こんなのはあたしの歩みを止める障壁にはなり得ない。
闇に紛れて、一気に跳び渡るよ。
ようやく、一つ目の国境だ。
このはるか先に、目指すラスコフが待っている。




