道標
「何これ?」
拓美が受け取ったのは、四角いヒビの入った小さな水晶だった。
「俺の国へ向かうための、道しるべだ。」
「口で説明するんじゃダメなの?」
拓美の問いに、魔術師は小さく首を振る。
「大雑把に言えば北東の方角だが、よその国というのはそんな雑な指示だけじゃ
とても辿り着けないんだよ。何十回となく曲がり角や分かれ道にぶつかるし、
途中の町も数多い。これがないと、まず迷って野垂れ死にだぞ。」
「……」
いささかばつが悪くなり、拓美は少し視線をそらした。
言われてみれば、確かにそうだ。
小説とかだと「主人公はとなりの国へ向かいました」のひと言で片付けられるが、
実際には隣の都道府県へ行くのだってけっこう複雑な道をたどる。ましてここは、
地球よりインフラ整備の遅れている世界だ。ナビも持たずにうかつな旅に出れば、
待っているのは迷子の一択だろう。
「分かった。もらっとくよ。」
「よし。」
頷いた魔術師は、ゆっくりと右手をかざす。警戒する間もなく、拓美の手の中の
水晶がわずかにピンク色の光を放った。
「これで、所有権は君に移行した。初期の設定に戻っているから、問いかければ
国へのルートは提示されるはずだ。ただし、この都市の外に出てからでないと
起動しないだろうが。」
「充分よ。」
そう応えた拓美が、光の収まった水晶をポケットにしまい込む。
「…あと、聞いといた方がいい話ってある?」
「そうだな…」
視線を天井に向け、魔術師はほんの少し沈黙した。
やがて、ゆっくりとその視線を拓美に戻す。
「君のその馬鹿げた自己修復能力は、魔法ではないんだな。」
「馬鹿げたは心外だけど、そうよ。これは正直、説明が難しい力。」
「他人の傷を癒す事はできるのか?」
「無理。」
「そうか…。」
どことなく残念そうな様子の魔術師に、拓美はわざとらしく眉をひそめた。
「何?今さら傷を治して欲しくなったの?」
「そうじゃない。ちょっと惜しいと思っただけだ。」
「惜しいって、何が?」
拓美の問いに、魔術師が大きなため息をつく。どちらかと言うと、あらためて
気を入れたような仕種だった。
「口外した事がバレれば死罪ものの情報だから、よく聞け。」
「そんなの言っちゃっていいの?」
「かまわん。どうせここまで国に逆らってるんだからな。」
そう言い切った顔に、フッと自嘲気味の笑みが浮かぶ。
「俺の使ったような攻撃魔法は、素養さえあれば誰にでもできる。聡明な君ならば
言わなくても分かるだろうが、水でも火でも氷でも、大量に発生させたり極端な
温度にしたりが可能であれば、だいたいがごり押しの攻撃手段となり得る。」
「まあ、そういうものでしょうね。」
「だが治癒の能力というのは、そういう幼稚な力技とは次元が違う高等技術だ。
壊れたものを治すというのは世の理をねじ曲げるに等しい。膨大な力と繊細さ、
そして何より天賦の才を必要とする。正直、俺には想像もつかん領域だ。」
「え?だって…」
怪訝そうな表情を浮かべた拓美は、背後の燃えカスの山をチラリと見やった。
「あの男に、治癒魔法っぽいのかけてたじゃん。だからあいつは…」
「あれはただの見せかけだ。」
どことなく投げやりな感じで、魔術師は吐き捨てるように言い放つ。
「単に傷の痛みを麻痺させて、身体能力のリミッターを強制解除したに過ぎない。
その時だけ動けるが、効果が切れれば悲惨なまでに状態は悪化していただろう。
治癒と表現したのは、心理的な効果を狙ったに過ぎない。」
「あぁー…、そういう事、ね。」
プラシーボ効果かよ、という呟きは聞こえなかったらしい。
「俺の知る限り、治癒魔法を使える魔術師は国でも10人いるかいないかだった。
もちろん、彼らが本当に使えていたのかどうかの確証はない。俺と同じように、
何らかのトリックやハッタリを使っていたのかも知れないしな。」
「うわぁ。そりゃ確かに漏らしたら死罪の情報ね。」
唯一の魔法国家の、おそらくは大看板でもあるだろう治癒能力。それがそこまで
危うく胡散臭い代物だと露見するのは、国にとっても一大事だろう。
「下手をすれば、治癒魔法の存在自体がでたらめだって可能性も?」
「才能の乏しい俺には、それを論じる資格はない。あるも無いも、証明は困難だ。
ただひとつだけ、確実に言える事がある。」
「なに?」
あらためて拓美をじっと見据え、魔術師はゆっくりと言った。
「もしも完全な治癒魔法を行使できる者が現れたとしたら、間違いなくその人間は
国の中で偉大なる奇跡として称えられるだろう。王族に匹敵するのはもちろん、
歴史に名を残す偉人にもなり得るはずだ。」
「なるほど、ね。じゃあ、確かにあたしの力は…」
「そう。他人を癒せるなら、君の価値は天井知らずだった、という話さ。」
少しの沈黙ののち、拓美はニッと笑みを浮かべる。
その顔に、残念そうな色は浮かばなかった。
「まあ、それはしょうがないでしょ。だけど、貴重な情報だったのは間違いない。
アリガトね。」
「礼を言われる事など、最初から最後まで何もないぞ。」
再び自嘲気味に笑い返した魔術師は、やがてゆっくりと体を沈める。
「…じゃあ、もう行ってくれ。俺は疲れた。」
「これからどうする気?…逃げるの?」
「なるようになるさ。それは君が気にする事じゃない。」
自棄になっているというより、どこか達観したような言い草だった。
「…分かった。じゃ行くよ。北の門から出ればいいの?」
「それが一番近いだろうな。」
「それじゃあ、最後にひとつ聞いとく。」
そこで言葉を切った拓美は、魔術師の顔を覗き込んで続ける。
「あなたの名前は?」
「魔術師に、名前なんか聞くもんじゃないさ。」
即答した声には、迷いも悲哀も無かった。
「聞けば君は、俺の人生なんてくだらんものを背負い込む事になるだろうから。」
「だけど…」
なおも何か言おうとする拓美を、魔術師は手を上げて制した。
「さっきも言ったが、俺は別に君に何ももたらしてはいない。どっちかと言うと、
散々こき使われた国への恨み言をおっ被せただけだ。今だって、君を困難へと
向かわせようとしてるかも知れん。」
「見方によっちゃあ、そうだけどさ。」
「だからもう、俺の事は忘れてくれればいい。それが俺の望みだ。嘘じゃない。」
しばしの沈黙ののち。
「わかった。じゃ、好きにさせてもらうよ。」
「ああ。じゃあ、これで。」
「うん。サヨナラ。」
それ以上は、何も言わなかった。
踵を返した拓美は、そのままゆっくりと歩き去った。
一度も、振り返る事はせずに。
小さな足音が遠ざかった中央広間に、乾いた沈黙が満ちる。
しかし、それはわずかな間だけだった。
「さて、と。」
半分寝そべった姿勢をほんの少し正し、魔術師は何気ない口調で呟いた。
「いつまで寝ているつもりだ、ロッコス?」




