本当の理由
「そんな…」
立ち尽くしていたロッコスは、その場でぺたんと尻餅をついた。
目を見開いて引きつらせた顔に、さっきまでの余裕は欠片も残っていない。
そんなもんなのか。
どちらかと言うと失望に近い感覚を覚えながら、拓美はゆっくり彼女に歩み寄る。
今の今までずっと胸にわだかまっていた、ひとつの疑問を口にしながら。
「訊きたいんだけどさ。…本当に殺す必要、あったの?」
「…?」
相変わらず目を見開いたまま、ロッコスはぎこちなく首を傾げる。
そんな反応にはかまわず、拓美はそこで足を止めて言葉を続けた。
「詳しい事情なんか、あたしには分かんないけどさ。たかが後継者の座でしょ?
メルニィにものすごい未練とか野心とかがあったって言うなら話は違うけど、
少なくとも血を分けた、それも年若い兄弟が殺し合う理由とは思えない。」
「そ、それは…」
「確かにその通りだ。」
いきなり、野太い声が割り込んでくる。
振り返ると、さっき倒したあのローブの魔術師が少しだけ上体を起こしていた。
顔は血まみれで歪んではいるが、どこか吹っ切れたような表情にも見える。
言いたい事があると感じた拓美は、問う相手を変えた。
「…何か、他にも理由があるって言うの?」
「ああ。と言うより、兄弟の争いの方がオマケみたいなものだ。」
「……オマケ?」
チラリと一瞥したロッコスは、特に口を出してこなかった。
それはおそらく、むしろ魔術師の話は語らせたい内容だ、ということなのだろう。
そう判断した拓美は、体ごと魔術師の方に向き直る。と、腰を抜かしているらしい
ロッコスが手を伸ばしたのが視界の隅に見えた。視線を向けると、情けない表情で
助け起こして欲しいと訴えている。
ため息をついた拓美は、左手を伸ばして彼女の手を掴んだ。
その瞬間。
チクリと鋭い痛みが走り、手のひらから痺れるような感覚が伝わり始めた。
同時に、怯えていたはずのロッコスの表情が一変する。
見開いていた目はスッと細められ、口元に避けたような笑みが浮かんだ。
「ほぉら、油断大敵じゃない、偽メルニィちゃん!」
なおも手を握ったまま、ロッコスは楽しそうにそう告げてけたたましく笑う。
「アハハハハハハァ!ただ強いだけじゃダメなのよぉ!わかったお嬢ちゃん!?
相手を見損なうってのは、それだけじぶ」
「解析と解毒が終わったって。抗体も順応したらしいよ。」
何の抑揚もない拓美の言葉が、ヒステリックなロッコスの声を遮った。
「…は?」
「勝ち誇ってるところ悪いけど、ゴメンね。そういうの初めてじゃないからさ。」
そう言った拓美は、未だにつないだままだった左手に少し力を込める。
「イッ…!!?」
突き刺すような痛みを覚えたロッコスが、力任せに手を振りほどいた。
慌てて手のひらを凝視したその顔に、恐怖の表情が宿る。
「な、何ですってぇぇぇ!!?」
すでに、その手は黒く変色を始めていた。
水に落とした滴が拡がるように、変色はどんどん手首を這い登っていく。
「何かそういう植物があったのよね。この世界で、初めて向けられた殺意よ。」
苦悶に満ちた醜悪な悲鳴は、しかし長くは続かなかった。
うつ伏せでのた打ち回っていたロッコスは、間もなく沈黙した。
拓美は、長いため息をついたのち、ようやくあらためて魔術師に向き直った。
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「…毒物への耐性まで持つか。本当に大したものだな。勝てぬわけだ。」
「魔法じゃないけどね。」
さらに開き直ったように見える魔術師に、拓美は軽く肩をすくめて見せた。
「それで、さっきの話の続きだけどさ。」
「ああ。分かっている。メルニィ嬢が殺された理由だろう。こうなったらもう、
ちゃんと話そう。」
どうやら、魔術師は色々な事を度外視する腹を括ったらしい。
もう、その言葉に迷いの色は感じられなかった。
「魔法については、どれだけ知っている?」
「遠くに、使える人が住む国があるって事くらい。」
「なるほど、正しくはあるが、ほとんど知らないと言ってもいいんだな。」
「もしかしてあなたって、その国の人?」
「ご明察だな。その通り。俺はその国から派遣されてきた工作員だ。」
「工作員、ね。つまりあの女に頼まれたとか、メルニィの兄弟の依頼とか?」
「ちがう。さっきも言ったが、そっちはついで…いや、口実だ。」
「口実?」
そこまで聞いた拓美の表情が、かすかに歪む。
「…って事は、あなたの祖国は別の理由で、やっぱりメルニィ殺害を狙ったの?」
「そうだ。」
覚悟を決めていてもなお、魔術師の口調は固いものになっていた。
「彼女には、他国ではめったに生じ得ない魔法の才能があったんだよ。」
「何ですって?」
「もちろん、君のような規格外の力ではない。判った時点ではほんのささやかな
素養に過ぎなかった。それでもわが国以外の人間、それも支配階級に近い者に
発現したのは大事件だったんだ。…当然、わが国の王家は大混乱になった。」
「なるほどね。で、殺してしまえとなったわけ?」
「いや。そこまで短絡的な結論にはならなかった。」
いつの間にか座る姿勢になっていた魔術師は、小さく首を振る。
「王家の総意としては、彼女を魔法の留学生として受け入れてはどうかという話に
まとまりかけていた。魔法をきちんと学べる学校は、わが国にしか存在しない。
そこできちんと学んだ上で、あわよくば両国の架け橋になってくれたのならば、
これ以上の結末はないだろうとな。」
「………」
黙って耳を傾ける拓美の表情は、それまでになく険しいものになっていた。
その表情の意味を察し、魔術師はもういちど首を振る。
「言いたい事は分かる。じゃあ、なぜそうしなかったのか…だろう?」
「ええ。」
「いつでもどこでも、国というのは難しいものだ。メルニィ嬢が魔法を我が物と
する事を危険視する者は、少なからずいた。警戒と言うよりはやっかみだな。
よそ者が、自国の唯一絶対の至宝である魔法を習得するなど絶対にあり得ん…
というわけだ。」
「言いがかりと言うか難癖と言うか、思考の歪み方がすごいわね。」
「ああ。否定はできないな。」
そう応えた声には、苦々しさのようなものが満ちていた。
「王家の総意がまとまる前に、暗殺の君命は出されてしまった。誰からなのかは
はっきり判らないが、王家からの君命である事は間違いない。それを命ぜられ、
俺はこの国へ来た。それから内情を調べ、ロッコスが後継者争いに乗じて己の
地位向上を目論んでいる事を掴んだのさ。…後はまあ、想像できるだろう?」
「ええ。」
吐き捨てるように応え、拓美はゆっくりと天井を仰いだ。
「…その留学の話って、メルニィの元には届いてたの?」
「ああ。毎年恒例の特使が来訪した際に伝えたらしい。検討の段階だったが。」
「そっか…。」
何だろう。
やり切れない話だなあ。
国と国とのバランス。そして軋轢。憶測。
難しい話なのは分かるけど。
だけどやっぱり、メルニィの意思や行動といったものは、そこに存在していない。
ありのままの自分を生きる事を、彼女は否定されたのだ。
誰もが自分の都合だけで、彼女の人生の選択肢を閉ざした。
果たして彼女は、何を望んだのか。
どんな人生を夢見ていたのだろうか。
ごくごくありふれた、兄弟仲良く暮らす未来?
魔法を身につけて、未知へと挑む冒険に満ちた未来?
今となってはもう、知る術もない。
本当に、やり切れない。
未来は、自分で決めるもののはずなのに。
少なくともあたしは、その考えを胸に地球を飛び出した。
なのに、何だこの世界は。
「…俺が訊く事じゃないが、ひとつだけ答えてくれないか。」
場の沈黙は長かった。
それを破ったのは、どこか静かな響きの魔術師の問いかけだった。
「…なに?」
「お門違いなのは分かっている。だが訊きたい。確かに、メルニィ嬢を死なせる
計画を立てたのはロッコスと俺たちだ。だが、彼女を実際に亡き者としたのは
ジアノドラゴンだ。仇討ちをしたいというのなら、あのドラゴンはどうなる?」
「そっちはもう済んでる。」
「……つまり…」
「ジアノドラゴンは、この街に来る前にあたしが仕留めたって事よ。」
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「そうか。」
魔術師の表情や声に、さほどの驚きは浮かばなかった。
「どうやったかは訊くまい。俺ですら退路の確保だけで精一杯だったあの怪物を、
単独で撃破したというのだからな。聞いても真似などできんわ。」
「訊きたい事ってのは、それだけ?」
「ああ。」
短い沈黙ののち。
「ひとつ提案だ。」
「?」
「その姿で。つまりメルニィ嬢として、俺の祖国に行ってみる気はないか?」




