瞬殺
音もなく、という表現がこれほどピッタリな一撃もそうは無いだろう。
白髪青年がほんの一瞬、わずか数歩で間合いを詰めて両手のダガーを突き立てる。
常人には、視認する事すら叶わないような必殺の刺突だった。
しかし目の前の少女の瞳は、その高速の動きを難なく見切っていた。
わずかに体をひねり、心臓への一撃を回避する。その野生動物じみた反応速度に
白髪青年はかすかに驚愕する。
しかし、全てをかわされたわけではなかった。右の肺を狙ったもう一方の刺突は、
相手が体をひねった事により、右の肩に深々と突き刺さっていた。
相手の反応の限界を見た白髪青年は、かわされたダガーを一瞬で引き戻し、さらに
首筋を狙おうと構え直す。
密着状態で一瞬でも目を離した事が、彼の判断ミスだった。
相手は、骨まで至る肩の傷をまったく意に介していなかった。逆に自ら肉を締め、
ダガーが抜けないように固定していた。
思いがけない力によって体勢を崩した白髪青年を、ぞわりと原始的な殺気が襲う。
とっさに左手のダガーを手放して飛びのいた瞬間、烈風と共に激痛が走った。
何とか数メートル距離を取ったものの、その軌跡上に血の飛沫が飛び散る。
「ぐっ…ば、バカな!!」
白髪少年は、思わずうめき声を上げた。
脇腹がざっくりと引き裂かれ、赤黒く染まっている。
飛びのいたおかげでそれほど深く達していないものの、どう考えても異様な傷だ。
目の前の少女は、今の今まで丸腰だった。それは間違いないはずだ。
なのになぜ、こんな攻撃ができるというのだろうか。
隠していた刃物で斬りつけたと言うより、肉食動物の爪で引き裂いたかのような
荒々しい傷。そう、例えるなら血に飢えたエヴォルフのような。
「…どうやらあの娘、獣化の魔法が使えるようだな。」
「魔法使いだと!?」
庇うように傍らに立ったローブ姿の男が、押し殺した声で告げた。
呼吸を整えていた白髪青年は、その言葉に思わず目を見開く。
「一瞬だったが、確かに腕を獣のそれに変えていた。間違いはないだろう。」
「化け物かよ…」
うめく白髪青年に、ローブ男はますます声を低くして続ける。
「最初の一撃を見切られたのは痛かったな。傷を負った以上、あれ以上の刺突は
もう撃てないだろう。」
「何とかしてくれ。」
「…わかった。だが、動けてもあと一撃だぞ?」
「今度は、あっちが油断するだろう。俺がもう動けないと踏んで。そこを狙う。」
「よし。だが、治癒は完全ではない。あと一回動くのが限度だぞ。」
「覚悟の上だ。」
「お話は終わったかしら?」
その場に佇んだまま、少女がのんびりと問いかけてきた。
明らかにこちらを侮っているのが、口調で判る。
「…すまないな。ではこちらも、本気を出させてもらう。」
「いいよ、どうぞ。」
そんなやり取りののち、ローブ男は誰にも聞こえない小声でボソボソと何か呟く。
それにともない、彼の周囲の空気がかすかに対流を起こすのが判った。
「…ん?何あれ?」
『周囲の空気を制御する技術みたいね。なかなか興味深いわよ。』
「もしかして…」
次の瞬間。
ローブ男の目の前に、いきなり50cmほどの火の球が出現した。
薄暗かった室内に、強烈な光と熱が満ちる。
「やっぱり、本物の魔法だ!」
どこか嬉しそうに叫んだと同時に、火の球は一直線にこちら目掛けて飛んできた。
迫る熱で、周囲に陽炎が発生しているのが見て取れる。
かわす間など、あるはずもない必殺の攻撃。灼熱をまとう、着弾の直前。
「水弾!」
言い終わる前に出現した直系1mの水の球が、そのまま火球へとぶち当たる。
衝突の結果は、あまりに科学的かつ暴力的だった。
ジュワッという音と共に、両方の球は相殺するように消滅。凄まじい蒸気と化す。
一瞬の内に、広い部屋の中は高温のスチームで真っ白に塗り潰されてしまった。
「熱っ!!」
『予想通りの結果ね。あ、それと…』
刹那。
ガキン!!という鈍い音が、すぐ真上から小さく聞こえた。
ようやく蒸気が晴れてきた部屋の真ん中あたりに、背の高い黒い影が現れる。
同じ場所に佇んでいる少女と、その頭上からダガーを突き下ろした白髪青年。
必殺の意を込めた一撃は狙い違わず、見事に頭蓋の中心を深々と刺し貫いていた。
少女の、ではない。
彼女の頭上、数cmの空間に突如として出現した、頭蓋骨の頭頂部を。
「……なんだ、これ…」
じわじわと再び襲ってきた傷の痛みも、もはや感じなかった。
確かに捉えたという手応えの、あまりにも予想を超えた結果を目の当たりにして。
「満足したでしょ?」
そのひと言が最後だった。
すぐ傍らにあった長椅子の背が、いきなりバキッと音を立ててかすかに削れた。
少女がそこを蹴ってジャンプしたのだと理解するのに、刹那の間が必要だった。
次の刹那。
自分のいる位置に一瞬で到達した少女が放ったキックが、まともに顔面を捉えた。
頭蓋に刺さったままのダガーから手が離れ、反対側の長椅子に叩き付けられる。
轟音と共に長椅子は木っ端微塵になった。
残骸に埋もれるような格好で、白髪青年はガハッと吐血する。
すでに、動けるような状態ではなかった。
「!?」
次の瞬間。
憶えのある空気の対流と共に、室内の温度が再び急上昇する。考える間もなく、
2発目の火球が放たれていた。しかも今回は、キックからの着地の瞬間を狙って。
水球で相殺できるような間合いもタイミングも、まったく無い不意打ちだ。
「これで終わりだ。」
脂汗を流すローブ男の言葉は、勝利宣言とは思えないほど苦々しい響きだった。
直後。
着弾した火球は、そのまま破裂した。
うずくまったままのフルプレートの大男、そして倒れ伏した白髪青年を巻き込み、
紅蓮の炎となってひときわ燃え盛る。しかし、それも長くは続かなかった。
まるで燃焼の元が断たれたかのように、炎は唐突に消え去る。後に残ったのは、
黒焦げになった2人の骸だけだった。
2人だけだった。
「…いない………」
なかば予想していたかのような口調で、ローブ男は呟く。
どこへ行ったかと、探す前に。
ゴトッという音と共に、落下してきたものがあった。
頭頂部にダガーが突き刺さったままの、あの頭蓋骨だ。下半分が少し焦げている。
これが着弾の直前に、一瞬で高い場所まで移動していた…という事だろうか。
とすれば、もしやあの少女はこの頭蓋と共に…
ローブ男がゆっくりと仰ぎ見るのと、視界が塞がれるのはほぼ同時だった。
頭上高くから烈風と共に打ち下ろされた、あまりに強烈なかかと落とし。
うつ伏せに叩き付けられたローブ男は、勢いのまま弾かれてきれいに半回転する。
仰向けに倒れたその顔は、すでに鼻も歯も折れ、血まみれになっていた。
そんなローブ男の目の前に着地した少女は、ゆっくりと立ち上がって顔を上げる。
黄金の瞳を輝かせる、まるで凶暴な獣のようなメルニィ・リアーロウ。
その目が、棒立ちになったままのロッコスをまっすぐに見据える。
戦いは、わずか数瞬で決していた。




