拷問官ベズレンド・2
「そんな、バカな…」
あまりにも想像を超えた目の前の出来事に、俺の声は甲高くかすれた。
立ち上がったメルニィ・リアーロウは、光を帯びた目でじっと俺を見据えている。
確か以前は群青色だった瞳は、闇夜のエヴォルフを思わせる黄金色になっていた。
『……それで?』
「!?」
少し首をかしげた目の前のメルニィ嬢は、ゆっくりと俺に問いかけてくる。
『あたしを殺したのは、あなたなのかしら?』
「ち、違う!!」
『違う?…本当に?』
いいながら、その視線が地面に落ちたもの―ナイフを捉えた。視線を追った俺は、
その視線と問いの意味を考えて言葉に詰まる。
たった今、俺がナイフを深々と彼女の胸に突き立てたのは、紛れもない事実だ。
だが、死なずに問いかけられているのも事実だ。あまりに噛み合わなさ過ぎて、
どうにも次の句が出てこない。
『まあ、今のはどっちでもいいわ。』
「………」
軽く流され、安堵と苛立ちが心に同時に押し寄せる。何なんだ、一体。
しかし、目の前のメルニィ嬢の眼差しには、やはり近寄り難い危険な色があった。
『あたしが聞きたいのは、あの女の事よ。あなたが従っていた。』
「ロッコスの事…ですか?」
『ロッコスって言うの?』
「知らないはずはないですよ。あなたの侍従長だった人物なのですから。」
『ああ、そう。…それで?』
「それで…とは?」
そう問い返した瞬間、メルニィ嬢の端正な顔がかすかに歪んだ。
まずい。訊かれた事に答えないと、どうにもまずい気がする。
「…ロッコスは、リアーロウ家の長女…つまりあなたの実の姉に内通している。
そう聞いています。だからこそ、次期当主争いの際に、あなたの排除に動いた。
侍従としての信頼を逆手に取り、状況を作り上げた…と。」
『つまり、ドラゴンに襲われるような状況を?』
「…お、俺はその場にいたわけではないですし、後から言われたわけでもない。
ですが今現在、あなたはドラゴンに食い殺されたというのが世の見解です。」
今さらながら、この状況に対する恐怖のようなものが心に湧き上がっていた。
どう考えても死んでいるはずのメルニィ嬢が、目の前にいて自分を詰問している。
問われるまま、自分の上司の後ろ暗い話をペラペラと話してしまっている。
どちらに転んでも、自分には未来が無いような気がしていた。
『…で、そのロッコスにはどこに行けば会えるのかしら?…あの警吏棟に常駐?』
「それは…」
『あたしが知りたいのはそこだけ。死についての真実が欲しいだけ。あなたが全く
関わっていなかったのなら、それ以上は何も問わない。』
「…………」
つまりはお目こぼし、という事か。
俺は迷った。
正直、ロッコスにそこまで忠義を尽くしているわけではない。どちらかと言えば、
いいようにこき使われているだけだろう。
だが、どうにも心に苛立ちがあった。目の前の出来事に恐怖しているにも関わらず
形容しがたい苛立ちがとぐろを巻いているような感覚だ。
理由は何だ。
考えるまでもない。侮辱を感じているせいだ。
話せば不問にするという語調が、どうにも心に引っかかり続けている。
とにかく、今はこの場から去る事が重要だ。後の事は、どうにでもすればいい。
この異常な状況さえ切り抜けられれば、きっと俺の日常に戻れるはずだ。
「…戒教院です。」
『ん?』
「ロッコスは、戒教院の導師を支持基盤とする、リアーロウの長女の子飼いです。
あそこはメズレ教の根城だから、衛士団もギルドもうかつに手は出せません。」
『………教会みたいなもんか。そんな連中が、あんな真似をねぇ…』
それまで、近寄りがたい雰囲気に満ちていたメルニィ嬢が初めて、どこか人間臭い
愚痴のような言葉をこぼした。それにより、俺の心の萎縮も少し解けた気がする。
『…分かった。戒教院ってどこにあるの?』
「どの街でも、東壁沿いの通りの中央にあります。東は聖なる方位ですから。」
勢いのまま全て話してしまったが、だからどうという事もないだろう。
今の情勢を考えれば、たとえメルニィ・リアーロウが「本当に」生還したとしても
大勢が変わるとも思えない。ロッコスなら、そのあたりは分かっているだろう。
『ありがとう。じゃ、あたしはもう行くね。』
抑揚のない言葉でそう告げたメルニィ嬢は、ためらう事もなく俺に背を向けた。
あの金色の視線が外れた事、そして華奢な背中を向けられた事が引き金となり、
萎縮し切っていたはずの仄暗い情動が一気に頭をもたげる。
この少女を、逃してはならない。
ロッコスたちがやった事を、暴露されないためか? 違う。
自分の秘密を握られてしまったからか? 違う。
彼女が生きている時から抱いていた情動を満たすためか? 違う。
この2日間ずっと抱いている、不気味なまでの苛立ち。それを晴らすためだ。
俺は俺のために、目の前の肉体を破壊しなければならない。
絶対に、絶対に!!
体が勝手に動いたような感覚は、2度目だった。
本来ならあり得ないはずの、同じ相手の同じ心臓への一撃。今度は、背中から。
今度も狙い違わず、拾い上げたナイフは深々と少女の胸を刺し貫いた。
何百回も感じた、ある意味ほかの何よりも手に馴染む感触。ああ、そう、これだ。
これこそが…
「ああ、あ。」
背中越しに、声が聞こえた。
断末魔の肉体から漏れる、苦悶の呻き声ではない。
溢れる鮮血と共に吐き出される、呪詛の言葉でもない。
何かにうんざりしたかのような、気だるげな声だった。
よろめいた俺は、抜けたナイフと共に後ずさった。
刀身から、ポタポタと鮮血が滴るのが見えた。
「じゃあ、ヒゲさん。」
声と共に、目の前の少女は俺に振り返った。
それはすでに、メルニィ・リアーロウではなかった。
警吏棟の受付にふらりと現れた、あの髪の短い少女だった。
俺が2日間、徹底的に壊したはずの少女だった。
「ありがとね。自然な形で連れ出してくれた上に、黒幕っぽい人の情報もくれて。
あたしはもう行くからさ。そっちも怪しまれないように仕事に戻って。」
いや、何を言ってるんだ。
コイツは一体、何を言っている。
俺が成した事を、丸ごと無視するつもりなのか?
2日間の拷問を。
裏切りと欺瞞を。
2度も心臓を刺した事を。
何もかも、無かった事にして笑うつもりなのか?
「あれ?どうしたのヒゲさん?」
キョトンとした表情で投げられる言葉が、俺の心を容赦なく抉る。
なけなしの正気が、刃物で削られるように目減りしているのが自分で解る。
「…な、何故だ。何故俺を許そうとする。なぜお前はそんな風に立っている…」
「ん?許すって何?ひょっとして何か、許さなきゃならない事があったっけ?」
「俺はお前を、2日間ずっと拷問して…!」
かすれた怒鳴り声は、大げさに肩をすくめる仕種を見て途切れてしまった。
笑みさえ浮かべる目の前の悪魔は、さらなる言葉の矢を放つ。
「ああ、あれって拷問だったの?…ゴメンね。正直、途中何度も寝ちゃっててさ。
それにホラ、別にこれといった傷もないし、このとおりピンピンしてるよ?」
「やめてくれ」
「何かされた相手なら仕返しとかするところだけどさ。ヒゲさんには別に何にも
されてないし。ああ違うか。されてないも同然だし。笑ってサヨナラしよ?」
まともに、呼吸が出来なくなりつつあった。
親しい友人に話すような少女の声が、どこか遠くからくぐもって頭に響く。
正気を失いつつある頭に、ようやく苛立ちの正体がはっきりと浮かび上がった。
そうだ。
コイツは俺から受けた拷問を、まったく歯牙にもかけていなかったんだ。
俺が俺であるという最大の拠りどころを、何もかも否定しやがった。
何なんだお前。
ナ ン ナ ン ダ 、 オ マ エ ハ 。
こノ俺ガ罪カサネてキタものヲ、何もカモ……
「ねえ、ヒゲさん。」
楽しそうに歩み寄った悪魔の蒼い双眸が、俺を間近からじっと見据えていた。
そして。
「助けてくれて、アリガトね。」
そう言ってニッと笑った目が、黄金色に変化した。俺を見据える獣の瞳。
メルニィ・リアーロウと同じ…
俺の頭の中で、何 カ ガ キ レ タ。
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『徹底的ね、拓美。』
「別に何にもやってないよ。」
『あそこまで無かったことにされれば、そりゃアイデンティテイ保てないわよ。』
「知ったこっちゃないわよ。」
『まあ、そうよね。』
どうしようもない2日間だったし、殺意を向けられるのはもううんざりだけど。
結果的に、もっとも近道で知りたい事には近づけた。
さぁ。
メルニィちゃんの、敵討ちと行こうか。
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都市総代警吏であるベズレンド・コムリは、未明の公園で保護された。
正気は失われていたが、目立った外傷などは見られなかった。
取調べの末、繰り返すうわごとから彼が非合法の拷問を行っていた事が判明。
そのまま幽閉された。
いつか全ての罪が明らかになった時点での、処刑の判決を受けた身で。




