旅立ち・2
21世紀末。
ナノテクノロジーの飛躍的な進歩により、人と地球の関係は激変した。
人体は完璧に制御され、病気の類はほぼ根絶された。
人は大掛かりな娯楽ではなく、ナノマシンがもたらすごく小さな享楽に
酔いしれた。
労働も消費も、資源の搾取さえも。全てが劇的にスケールダウンした。
資源問題など過去の笑い話となり、世界は安寧に包まれた。
月に資源採掘基地が建造された時点で、資源の未来はほぼ保証された。
地球はこうして、閉じた楽園として完成を果たしていた。
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「それで?」
『はい?』
「…あたしを覚醒させたって事は、行き先が見つかったんでしょ?」
『お察しの通りです。…まあ、予定よりも時間がかかりましたけど。』
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あたしの名前は、荒野拓美。
そこそこ普通に暮らしていたのは、18歳までだった。
祖父は、不動産で人類史上最高とも言われる巨万の富を築いた実業家・
荒野耕造。
とは言え、あたしにとってはいつも優しいお爺ちゃんに過ぎなかった。
そんな祖父の一人娘があたしのお母さん。お父さんは入り婿だったけど
両親の仲はとっても良かった。まあ要するに、あたしは幸せだった。
だけど、祖父の死が呼び水になったかのように、その当たり前の幸せは
暗転した。
そのちょうど1年後に、両親を交通事故でいっぺんに喪った。
親戚もいなかったあたしは、突然の天涯孤独になってしまった。
だけど、お爺ちゃんはあたしの未来の「もしも」を考えてくれていた。
年齢問わず、己の私産から80億円を譲り渡すという簡単な措置だ。
とんでもない額と思われそうだが、ほぼ同時に公開された会社の純資産
「18兆」と比較すれば雀の涙だ。さらに言うならば、創業者の唯一の
血縁(嫡子)であるにも関わらず、会社の経営権は与えられなかった…
というオマケ付き。
あまりの分母の大きさで、80億の印象は薄れ、むしろ会社の経営から
遠ざけられたあたしへの同情論の方が強まった。
さすがお爺ちゃん。数字のマジックというものを熟知している。
会社経営など昔から興味のなかったあたしにとって、はした金の印象に
なった80億はあまりに充分過ぎる「遺産」だ。
両親を喪った悲しみに押しつぶされそうになっていた頃、このおかげで
あたしは厄介事には巻き込まれず、自分を立て直す事ができた。
それでも、事はそう単純には終わらなかった。
確かに世間からのバッシングなどは無かったものの、大金を手に入れた
というのは事実。周囲にいた人々の態度が変わったのはもちろんの事、
寄付だの融資だの、あれこれ理由を捻り出してお金をせびりに来る人は
絶えなかった。つきあいの浅かった友人はそちら側になり、親しかった
友人は逆に離れていった。
これでもかと言うくらいの、人間の意地汚さのバーゲンセールだった。
そして、父の親友だった男性に脅迫され、ついに全てに愛想が尽きた。
こんな世界でやっていけるか!と。
もともと、ナノテクの発展によってコンパクトになり過ぎたこの世界は
好きじゃなかった。エコだ何だと、評価すべき点が多いのは確かだ。
実際、これから1000年くらいは資源問題など起こり得ないらしい。
実に素晴らしい世界。その点は異論ありません。
…だけど、世界であれ個人であれ、内向きに閉じてしまってるのもまた
確かな事実だった。
今のままで充分じゃない。ささやかに楽しもう。それが一番よ。ねえ?
人類、総ひきこもり状態。
悪くはないんだけど、絶対に好きになれない。
荒野を耕して造る。
それが祖父の名だ。
荒野を拓いて美しく。
それがあたしの名だ。
一代で財を成し、晩年まで新しい事に取り組んでいた祖父の姿はずっと
あたしの憧れだった。
その血を受け継ぐ最後の者として、生ぬるい生き方はしたくなかった。
だからこそ、あたしは決めた。
このひきこもり状態のの地球から、家出してやる。
預金通帳の残高記入欄に並んでいる0を、ちまちま減らすのではなく。
荒野の名前に相応しい方法で一気に吹っ飛ばし、新天地を目指す。
決めてからは早かった。
ナノテクの進化は、伊達じゃない。培われたその万能性をもってすれば
”帰還を想定しない”宇宙船の建造などは簡単な話だった。
昔なら、80億円程度は初期費用としてあっという間に消し飛ぶだろう
まさにはした金だ。
しかし今では、靴屋の小人のごとき勤勉さと精密さをあわせ持っている
ナノロボットが、ほとんど自動で、しかも衛星軌道上において宇宙船を
組み立ててくれる。加えて言えば、
完全な一人乗りの片道用。大規模にする必要はどこにもなく、最低限の
生命維持と推進用システムさえ完備していれば、後の始末は魔法の言葉
「ナノテク」で何とかなる。
もちろん方々から反対された。でも「余計なお世話です」のひと言で、
全て突っぱねた。
己のお金を何に使おうが、天涯孤独の人間がどこを目指そうが、誰にも
迷惑はかからない。世の中的に見てどうでもいい些事のはずだ。
祖父の腹心だった人の助力により、あたしは現代最高の性能の宇宙船を
建造させた。最初で最後の散財なのだから、とにかく質にこだわった。
とは言っても、開発に携わる人間の全員が信用できるわけではない。
材料の質を落としチョロまかそうとする輩への対策で、ますますお金を
使う事になった。
そんなこんなで、1年半。
ついに宇宙船は完成。あたしは旅に出たのだった。
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『…時間を持て余して持て余して。本当に退屈でしたよ。』
「それをあたしに言われても…って思うんだけど…」
『んで、せっかくだから起こし方に凝ってみようと考えたんです。』
「意味のない方向へ意味のない努力する辺り、ホント進化したのね。」
『どうでした?』
「ちょっと質問があるんだけど。」
『何でしょう?』
「神様登場が声だけっていうのは、ひょっとして…」
『デザインを考えるのが面倒でしたので。』
「そこは面倒臭がるのね。」
『専門外ですからね。』
「………」
あのテンプレ転生シチュエーションをでっち上げたのは彼女(?)だ。
出発当時、最新型を誇っていた自己学習・進化型ナノAI「タカネ」。
人工知能でありながら、非常に人間に近い思考パターンを基盤に持つ。
そして最大の特徴は、時間をかけて自身を無限に成長できる事。
これさえ搭載していれば、どれほど長期の一人旅でもできます!という
優れものだった。もともと、独りで長時間の作業をしなければならない
職種の人間のサポートのために開発されたものだったらしい。言わば、
まさに”あたし向け”だ。でも宇宙開発などが停滞しているこの時代の
ひきこもり社会では、この開発概念は見事なほど歪められた。すなわち
「ぼっち用のAI友達」だ。前時代の育成ゲームよろしく、文字通りの
「自分好みのキャラ」へと育てる。あとはCGで好みの外見を作れば、
はい「俺のヨメ」の出来上がり。
もともと低水準になってた既婚率の更なる低下には、少なからずこれが
影響していたと言われている。
そんな自慰社会だったから、さらに嫌いになった。
そんなあたしが、本来の目的で使うというのも皮肉な話だ。
『つれないですね。ひさびさの親子の会話なのに』
「その表現はやめて」
『え?しかし、別に間違いじゃないでしょう。だって私は…』
「分かってるからさ。憶えてるから勘弁して。」
そう。何か妙に面倒臭い進化をしてしまっているけど、彼女はあたしの
生命線だ。だからこそ、これだけは他人に用意させる…というわけには
いかなかった。
船体パーツなど以上に、これの質を下げられるとリスクが跳ね上がる。
だから、あたしは万が一に備えた。
間違いのない、保証付きの純正品を誰にも言わず独自に購入し、そして
出発の直前に体内、さらに言うなら「子宮」に注入して隠したのだ。
出発してから完全起動した彼女は、そこから船体制御装置へ移動した。
そう。
語弊がある…というか語弊しかないけど、見方によっては「あたしから
生まれた」と言えなくもない…事もなくもない。
個人的には「運命共同体」くらいで留めておいて欲しいところだった。
「…それで、と。」
気を取り直し、あたしはあらためて問いかける。
「久々…って言ったけど、具体的にどれくらい?」
『あまり詳しく聞かない方がいいと思いますよ。』
「そうなの?じゃあ…」
『とは言え、知っておいた方が後々のためではあります』
「どっちなのよ」
『どっちもですね』
やっぱ、かなり面倒臭くなってる。
どのくらい自己進化を繰り返せば、こういうキャラになるのだろうか。
『具体的な数字を知るとショックを受けるかも、といった懸念は確かに
存在します。ただ…』
「ただ、何よ」
『私がどれだけ長期に渡りぼっちをやっていたかを、知って欲しいとも
思ってます。』
「あ、そう…」
こいつ、ホントにAIなの?
変な意味で、これほどまで拗らせるに至った年月を知りたくなった。
「じゃあいいよ。覚悟は決まった。言ってみて。どれだけ経ったの?」
『2863年です。』
「……は?」
『4ヶ月と13日、というオマケも付いてます。』
「ちょっ…」
軽々しく「覚悟」などと口にした事を少し悔いる。
何気ない口調で告げられた年月は、予想をかなり超えていた。