そして歩き出す
頭が最も高くまで上がるタイミングを、影の変化で見極めて合わせ。
あたしは、一気に足の間の空間から駆け出した。そのまま、ドラゴンの
間合いのギリギリ外まで進み、足を停めて振り返る。
あたしを食べ終わって一息つこうとしていたらしいドラゴンは、唐突に
足元に現れたもう1人のあたしに、怪訝そうな目を向けてきた。まあ、
無理もないか。
何となく毒気の抜けた睨み合いだ。しかしそれも長くは続かなかった。
キョトンとしている、と形容してもよかったドラゴンの目に、すっかり
おなじみの殺意が宿る。やっぱり、あたしは敵…いや、力の差で言えば
あくまでもエサ認識か。
でもね。
悪いけど、もう決着はついてる。
あなたは詰んでる。
ここで終わりよ。
感傷を振り払ったあたしは、右手を上げて親指と人差し指を立てる。
いわゆる指ピストルね。ゆっくりと狙いを定めたのは、こちらを睨む
ドラゴンの左目だ。動きを止めると同時に、その指先に小さな白い塊―
奥歯がひとつ現れる。
「奥歯弾………」
一瞬の、沈黙ののち。
「発射!」
音もなく撃ち出された小さな歯は、一直線に左眼へと向かった。そして
わずかに狙いが逸れ、上のまぶたに当たって弾け飛ぶ。言うまでもなく
傷ひとつつかなかった。…視認さえできそうな危険な怒気が、一気に
場に満ちる。ちっぽけな奥歯など、何の意味もない。怒らせただけ。
次の瞬間。
ドシンと足を踏み出すドラゴンは、ないも同然だった互いまでの距離を
一気に詰める。もはや見慣れた巨大な口が、目の前に迫っていた。
あたしは、動かなかった。
動けないわけじゃない。肉体能力のカスタマイズをすれば、回避くらい
楽勝だ。だけど、動くべきじゃないと思ったから。
そして、見届けるべきだとも思ったから。
ドラゴンの凄まじい突進は、目の前で止まった。
喰らいつこうとしていた口は、そのままの場所でかすかに震えていた。
そして。
ドラゴンは、いきなりガッと大量の鮮血を吐いた。
赤黒い飛沫が、目の前に立っていたあたしへと一気に降りかかる。
錆びた鉄を思わせるような刺激臭が鼻を突き、肌がチリチリと刺される
ように痛んだ。それでもあたしは、目を見開いたまま見据える。
信じられないと言うかのように顔を振り、ドラゴンはよろめいた。
まるでスローモーションのようにも見える動きで、地面へと倒れ伏す。
一拍遅れて、ズシンという重い音が轟いた。
横倒しになった事で、眼球の位置はあたしと同じ高さまで下っていた。
じっとこちらを見ている。
おそらくは本能で悟ったのだろう。
あたしに負けたという事を。
何が起こったのか。もし傍で見たとしても、解る人はいないだろう。
このドラゴンを外からの攻撃で殺すことは不可能だ。それはもう十分に
分かっている。ならば、中からだ。
命懸けの接触スキャンで得られた、ドラゴンの詳細なデータ。そこから
地球の生物と同様、心臓を動かして生きている事実を突き止めた。
なら、やる事はたったひとつ。実に単純だ。
囮を使い動きを止めた上で最接近。もういちど接触してスキャンする。
そして正確に心臓の位置を、さらに言うなら心房と心室の位置を特定。
知っての通り「心臓」とはいわゆるポンプだ。絶えず血液を送り出して
いるけど、拍動の中で必ず”空洞”になる瞬間がある。
体組織は、物質と重なった場所には構成できない。でも逆に言うなら、
空間さえあれば狙った場所にも出す事が出来る。たとえそれが、堅牢な
外皮に護られた体内の奥深くでも。
そう。拍動の瞬間を狙って、心臓の位置に仕込んだのだ。
人骨の中でもひときわ複雑で尖った形の”仙骨”と”尾てい骨”を。
質量が足りていなかったので、射出はしなかった。そのまま心房の中
に固定した。そして、挑発する事によってドラゴンに自分から動くよう
仕向けた。質量と運動エネルギーで固定された骨たちが、ドラゴンの
心臓を突き破るように。
卑怯と言われれば返す言葉もない。粋な名前をつける気にもなれない。
…ただただ、ドラゴンを絶命させるためだけの無粋なプロセス。
でも、これしか思いつかなかった。
声を上げることもない。
四肢を動かす気配ももう感じない。かすかに動いていた尻尾も、やがて
沈黙する。虚ろに空を見上げていた眼球が、ただのガラス体に変質する
のが解った。
勝ち鬨を上げるような気にはとてもならない。
感傷的になる事も、悲しくなる事もない。
事実を事実として、心に深く流して刻むだけ。
あたしは、ドラゴンを仕留めた。
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無理やり飲み下した事で、のどの奥は焼け付くような痛みに襲われた。
川の水で洗い流したものの、髪の色素は抜け、皮膚も真っ赤だった。
傍目には凄まじい姿になっているのだろう。恐るべしドラゴンの鮮血。
さいわい、体が骨まで溶けてしまうような展開はなかった。髪や皮膚は
すぐに修復されたものの、体内まで取り込んだ分についてはそう簡単に
行かないらしい。組成を完全に解析するまで、およそ半日。その間は、
無理にでも体内に留めておく必要がある。当然、消化器官のいかなる
場所に留めても損傷が生じるけど、損傷したそばから修復するという
ループによって何とか凌ぐらしい。
…理屈は解るけど、実際に起こっているのは極度の胸やけだった。
ナノ制御があってなおこの不快感。まともにやったら、たちまち中毒か
多臓器不全で死んでるところだ。
病気の苦しみなんて、地球人ならば激レアの経験だろう。
…命を奪った代償として、甘んじて受けようと思った。
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翌日。
あたしは、ねぐらにしていた河原を後にした。
頭蓋歩行によって難なく崖の上まで至り、因縁深い草原へと降り立つ。
「さて、行こうか。」
『そうね。』
そろそろ、ひとりぼっちは飽きた。
人のいるところを目指そうと思う。
とりあえずの目標は、空を歩いた時に見つけたあの城塞都市だ。正確な
距離までは判らないものの、方向はバッチリ把握してる。もしかしたら
その道中にも、人の住む村なんかがあるかも知れない。
初っ端のハードイベントは、何とかクリアした。次はもうちょっとだけ
楽しみたい。
「そう言えば、融合ってどのくらいかかるの?」
『まあ、2~3ヶ月くらいはかかる…かな。』
「最初に言ったのより延びてない?ダメな外注先のスケジュールか!」
『思ってたより、あちら様の構造がワイルドでさ。まあ、じっくりと
やらせてよ。』
「2863年間じっくりやってた人にそういう事を言われると、不安に
なるわね。…ま、特に入り用だってわけじゃないからいいけどね。」
『ゴメンゴメン。』
「と言うより…」
今さら実感を込めて言った。
「タカネ、ずいぶんと砕けた口調になったよね。」
『自己進化ってのは、こういうのもアリなのよ。』
「ふうん。まあ、悪くはないと思うけどね。」
『さ、出発!』
相変わらずのジャージと厚底運動靴スタイル。
馬車の幌に使われていた革を再利用して作ったリュックに、いくつかの
遺留品。そして、あの指輪も忘れず入れた。
水や食料が要らないの、本当に身軽で便利だ。ナノテクに感謝、感謝。
いよいよ、本当の意味でこの世界に挑む。何があるかは出たとこ勝負。
あたしたち、そう簡単には折れたりしないよ。
「まずはゆっくり歩いて行こう。」
『賛成。』
大きく伸びをして、あたしは力強く足を踏み出す。
まだ知らぬ、誰かさんたちが暮らす街を目指して。
門出を祝うかのように、仰いだ空はどこまでも澄み渡っていた。




