邂逅そして決意
いつの間にか月が出ていた。それも大小2つ。
こういう光景を見ると、あらためて知らない世界だなあと思う。
だけど今は後回し。
星明かりと月の明かりで、あたりは青白く照らされている。足元の悪い
河原とは言え歩くのに支障はない。しかも現在、暗視能力を限界にまで
強化したモード。昼間と同じような感覚と速度で、あたしは川べりを
上流へと向かっていた。
探していたのは指輪の手がかりだ。
見つけた場所から考えると、少なくとも崖の上から落ちたものだ…とは
考えにくい。なら、何らかの答えがあるのは上流のはずだというのが、
あたしたちの推測だった。そして、いくらも行かない内に、求めていた
「もの」が目に飛び込む。
大きな岩のすぐ傍らに、木っ端微塵になった木製の乗り物があった。
指輪には皮脂の他に、血液の成分も付着していたらしい。だから予想は
していた。この辺まで来ると谷の幅は狭く、上流であるため崖の高さも
かなり低くなる。足元に目を凝らせば、そこかしこに大きな足跡らしき
窪みも見つけられた。あらためて、サイズを検証するまでもない。
案の定、形も推定される荷重などもピッタリ一致した。
「これって、いわゆる馬車みたいなものよね?」
『馬に似た動物2頭立ての、馬車に似た乗り物といった代物ですね。』
「それがあのドラゴンに追われて、ここに転落。で…」
『追いすがってきたドラゴンの餌食になったのでしょう。』
あたしが落ちたポイントとは違い、このあたりの崖は高く見積もっても
6mほど。おそらくもっと上流まで行けば、いずれ崖の高低差は完全に
無くなるのだろう。あいつならば、この程度の高さは迷わず飛び降りて
追ってきたのかもしれない。
破壊と暴虐の爪痕は生々しかった。
昼間なら、もっと腰を抜かすような凄惨な光景として目に映ったのかも
知れない。
「…酷いわね。」
『まったく。』
昼間の経験が経験なだけに、あまり恐怖は感じなかった。
…あたしも、だいぶいろんな感覚が麻痺してきている気がする。
と、馬車(仮)の残骸からいくらも行かない所に、布切れのような物が
あるのが目に留まる。早足で近づくと案の定、それはドレスと思しき
服の切れ端だった。おそらくここで喰われた犠牲者のものだろう。
拾い上げると、べっとりと手に血が付いた。
「どう?」
『血液型というものがあるかどうか不明ですが、特性は一致しました。
指輪の持ち主のものに、ほぼ間違いありませんね。』
「そっか…。」
つまりはここで襲われて服が裂け、指輪も吹っ飛んでしまったという事
なんだろう。この状況を見る限り、生きているとは思えなかった。
と、視線の先の川面に。
見過ごせない「もの」を見つけた。あるいは、見えてしまった。
向こうを向いているけれど、あれはおそらく人の頭だ。
『拓美。さすがにあれを見るのは、あなたには…』
「大丈夫。」
言いたい事は分かるけど、見て見ぬ振りはどうしてもできなかった。
ザバザバと川に分け入り、迷いなく両手を伸ばしてそれを掴み上げる。
悲しいほど、軽かった。
豊かな頭髪の下にあるべきものが、まるごと抜け落ちていた。
『解析終了。残念ですが本人です。損壊はそれほどでもありませんが、
無傷でもないですよ。本当に覚悟はありますか?』
「吐きそうになったら、ナノ制御で抑え込んでよ。失礼だから。」
『分かりました。』
そんなやり取りののち。
あたしは、ゆっくりその頭を回して顔をこちらに向けた。
落とさないように、手を入れ換えてしっかりと持ち直す。
月明かりに照らされたのは、あたしと同い年くらいの愛らしい女の子の
顔だった。眠るように閉じた目もとから、細い傷があごの下まで走って
いるのが見て取れる。おそらくまだ日もあまり経たず、水中に沈んでも
いなかったのだろう。覚悟していたより、無惨には見えなかった。
そしてその顔立ちは、地球人のそれとほとんど変わらないものだった。
この星には、人間がいる。
絶望から何とか立ち直りつつあったこのあたしに、そんな大きな希望を
くれた恩人。会えたら絶対、心からお礼を言いたいと思っていた。
その思いは、叶わなかった。
「初めまして。………………悲しいご挨拶に、なっちゃったねえ。」
恐怖など、もはや欠片も感じなかった。ただただ、悲しかった。
ウェーブのかかった髪をそっと指で整え、あたしは「彼女」の頭を胸に
抱いた。そのまま膝を折って、腰の辺りまで川に沈めてうずくまる。
今日、泣くのは3度目だった。
自分以外の誰かのために涙を流したのは、2865年振りだった。
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夜明けの訪れは早かった。
うっすら空が明るくなる頃、あたしは土まみれになった両手を川の水で
洗った。馬車の残骸から取り出した角材を適当に組み合わせて作った、
粗末な墓標。
この下に、彼女は眠っている。
必要とされる墓穴の小ささに、また悲しみがこみ上げた。
だけどもう、涙は流さなかった。
あれから、馬車の周囲をできる限りくまなく探した。しかし彼女以外の
人間の血液も肉片も、わずかな痕跡すらも見当たらなかった。
馬車のサイズから考えるに、彼女が一人だったという事はあり得ない。
馬(仮)の死体なども全く見当たらなかった。おそらくそっちは馬車が
大破した際、思いがけず自由になりそのまま逃げ去ったのだろう。
だけど、それじゃ一緒にいたはずの人間はどこに行った。
女の子ひとり残し、どこへ消えた。
助けられなかったのか。
見捨てたのか。
それとも、彼女をドラゴンの生贄にする事で生き延びたのか。
本当にそうだとすれば、許さない。絶対に償わせる。
朝日に照らされ始めた目の前の墓標に、あたしはあの布切れを被せて
きつく結びつけた。
そっと離した手のひらに、もう一度赤い血がべっとり付いた。
迷いはなかった。
少し乱暴に、その手を口元になすり付ける。さぞ怖い形相になっている
事だろう。口の中に広がったのは、自分の知る血とあまり変わらない
鉄の味だった。
「これで、足りるの?」
『充分です。』
「ありがと。じゃ、よろしくね。」
『了解しました。それと…』
「うん?」
『まず手と口元を洗って下さい。』
「後でね。」
最後に、もう一度だけ墓標の方へと向き直る。
あなたの事は、憶えたからね。
こんな目に遭わせた連中は、絶対に見つけ出して償わせるからね。
そして、何よりも。
あなたをあんな姿にした、あの醜いデカブツにも。
絶対に、鉄槌を下してやる。
あのドラゴンは、あたしが仕留めてみせる。
それはこの世界へ来て初めて抱く、命を懸けた誓いだった。




