緑
冷たい視線が絡まりあい、辺りの空気が二、三度落ちる。
口を開いたのは莉粘の方だった。
「……今日は三人で買い物かな?」
「……そうだよ。それがなにか?」
険悪な雰囲気が漂い始め、歩いていた客たちが何事かと二人のほうをちらちらと見ている。
しかし、二人はそんなこと気にも留めずピリピリとした空気を保ち続ける。
リネの取り巻き達と琉は不安そうに二人を見つめ、光輝は相変わらずの無表情でいる。
「ほんといつでも余裕こいててさ……だから僕キミのこと嫌いなんだよね。」
「あっそ……俺も嫌い。」
「………月香ちゃんがさらわれたのも、キミのせいだし。」
にっこりと黒い笑みを浮かべる莉粘。
だが、彼のその言葉に、刹那は笑みを消した。
「来月、絶対に僕が月香ちゃんを助けるからさ。……無能なキミと違って。」
くすり、と言い捨て、莉粘は去っていく。
女の子達が慌てて莉粘の後ろに駆け寄り、ちらほらと出来ていた人だかりもばらけていった。
「大丈夫か、刹那?」
「…………月香は渡さない。」
琉が心配そうに話しかけるが、刹那は瞳に黒い炎を宿らせ、無表情につぶやいた。
その言葉に、光輝が優しく刹那の肩をたたく。
そして、その瞬間、二人には刹那からすべてを静かに焼き尽くす黒い炎が立ち上ったように見えた。
ーーーーー
冬休みまであと三日。
授業も徐々に少なくなり、特に部活にも入っていない刹那は図書館通いに明け暮れていた。
ちなみに、刹那達の図書館にはとある風変わりな少女が入り浸っていた。
それが彼女である。
「ああっ……やっぱりいい香りがしますっ……ここにはまだ私の知らない未知の知識が………っ!」
夢宮知香。
この学校でも超がつくほどの成績優秀で「the・真面目」の代名詞である。
いつでも黒縁眼鏡に二つ三つ編みの女学生スタイルだが、かなりの美少女だ。……黙っていれば。
「赤坂先生っ!新書はまだなんですかっ!?」
「あのねぇ知香。冬休みが始まるんだから新規の本は入らないわよ。」
「ダメですっ!それだと冬休みの間に枯渇しきってしまいますっ!」
「じゃあ明日なんか持ってきてあげるから。」
「はぁっ!やっぱり赤坂先生大好きぃっ!」
というようなやり取りがしょっちゅう行われている。
彼女は本を読むことに関しては変態の域に入り、自分が知らない未知の知識に異常なほどの執着を持っている。
将来の夢は通訳者らしいが、それは世界中にある全ての本を読み尽くしたいからだそうだ。
「あっ、倉橋さん。こんにちはっ!」
図書館他、本が多く有る場所にいる時の知香はテンションがハイになっている。
特に図書館に新しい本が入る時は気味が悪いほどテンションが高くなり、その日の記憶がとんでいることもあった。
満面の笑顔で刹那を見つめて挨拶をする知香に、刹那は表情を変えず返した。
「こんにちは。」
「見てくださいっ!また掘り出し物を見つけたんですよっっ!今までずっと借りられていたんですね、つい二日と十二時間前に返されたんでしょう。未知の物語、未知の知識が……私を待っている……!」
あっという間に自分の夢の世界に入る知香。
その奥で図書館司書の赤坂先生が呆れた顔で刹那に「早く行きなよ。」と仕草で伝える。
刹那はその好意に甘え、小さく頭を下げてから本棚へ向かった。
受付のところでは、知香が満開の花畑となり、どこか彼方を見つめていた。
一時間ほど図書館で時間をつぶしていると、聴きなれた声が耳に入った。
「おー!よぉ刹那。今日も読書かー?」
「……琉。部活お疲れ。」
白いタオルを肩にかけ、バスケ部終わりの琉が図書館にやってきた。
刹那は読みかけの本を閉じ、琉の方へと向き直る。
「来月には大会があるかなー、もー、マジキチィ……」
「琉くらいの身長があれば頼りにされそうだな。」
「そうかー?これくらいゴロゴロいんぞ?」
楽しそうに笑う琉。
それにつられて刹那も笑うが、視線の先にある人が見え、苦笑いへとそれを変えた。
「………琉、来たならついでに早くお前の姉さんをどうにかしろよ。あの人かれこれ一時間あの状況だぞ?」
「んー?………うっわ、マジか。またイっってんのか………」
そう言いながら、刹那は夢心地の知香を指さす。
赤坂先生もめんどくさそうに見つめる少女を見て、はぁーと大きなため息をつき、琉は言った。
刹那が琉に頼む理由、それは、知香と琉は双子の姉弟だからだ。
家でもよくこの状況……琉曰く「イっている時」……が起こり、たびたび琉がどうにかしているらしい。
軽い状況ならまだしも、一時間以上この状況が続いていると両親も手が付けられなくなり、琉に丸投げするそうだ。
大抵ほっとくと治るのだが、重症の場合ご飯も食べなくなり、何もすることができなくなってしまう。
そのため、一時間経った状況で戻らない場合、最終手段である琉の出番となる。
「しかも重症の方だし……バカだなー知香。」
そういうと、琉は刹那のいた席から離れ、受付のほうへずかずかと歩み寄る。
そして、耳元に口を近づけ、ふぅっ、と息を吹きかけた。
すると。
「ひゃあっ!」
「おーおー、元に戻ったか。」
耳を抑え、真っ赤な顔で知香が声を出す。
その顔を見て、琉は面白そうに笑った。
知香は耳が弱い。
だから琉はそうやって知香を元に戻しているのだが、なぜかこの方法は琉でしか使うことができない。
他の人がこの方法を使っても、なぜか知香は戻ってこないのだ。
「りゅっ、琉!?」
「迷惑になんだからさっさと帰れよー。ただでさえその変な性癖(?)があるんだからよ。」
「………はぁい。」
彼の言葉に、知香はしょぼんとしながら本を持って図書館を出ていく。
そして、役目を終えて戻ってきた琉が、さっきの倍の笑顔で笑いながら言った。
「なあ、まだ図書館いるか?」
「………いや、もう帰るよ。」
「おっし!なら一緒に帰ろうぜ!」
心なしか、刹那も嬉しそうだった。
本を持った刹那は、受付で貸し出し手続きをし、図書館を後にした。
その時、ふと感じた視線に知らんふりをしながら。
◇
『ねぇ、宵。もうすぐだね、"あの時"まで。』
『そうですわね、神。ようやく、ようやく……あの忌々しい縛りから全てが解放されるのですね。』
暗闇の中で、誰かがそう言う。
すると、現れたもう一人がそう答える。
『この子は祈りを続けてる、"あの人"がやってくるのを願って……さ。』
『そうですわね……かれこれ九年、ずっとあのままですわ………』
二人はふい、と視線を投げる。
そこには、大きな黒い鳥かごの真ん中でひざまずき、祈りをささげる少女の姿があった。
見たところ六、七歳くらいの少女で、瞳の光は失われ、静かに涙を流している。
『仕方ないよ、今の"この子"には時間がないもの。』
『そうですわね……今この子は、"思い出"を遡っているのですから。』
悲しそうに笑う女性だが、瞳はまったく笑っていない。
もう一人の人影は、少女の背中で今少しでも触れてしまえばたちまち飛び立ってしまいそうなほど広げられた純白の翼を静かに見つめていた。
その瞳には、静かな恨みの炎が立ち上っていた。
『あれ、さえなければ。この世界はすべて生まれ変わる。………醜い醜い欲で塗れた、あの翼さえ、なければ……。』
その呟きは、ガラスドームのように包まれた島中に、静かに響き渡った。
崩れ落ちた廃墟や、色を失った森を下に見て、大樹の上に立つ二人は口を閉ざした。
穢れた欲を持つ愚かな人種に、自らの過去の罪を見せ、罪を認識させるためだけの場所。
ここを、彼らと愚かな人間達はこう呼ぶ。
【罪の牢獄】と。