30ページ目「母と子。」
それは虚ろな記憶だった。
覚えていないのか、それとも思い出したくないのか。
ボンヤリとしている。
あの日まではずっと一緒だったんだ。
母に抱かれた麗華と、手を握ってくれる父。
両親が大好きだった。
あの日まで。
あの日までは。
幸福は不意に消えた。
海外出張だとどこかへ姿を消した父。
その日から1年、実家へ戻ると言い残し、幼い麗華と自分を置いて消えた母。
あの日から随分と経った。
心の整理もついていた。
それなのに。
それなのにだ。
今英輔の目の前に広がる光景は信じがたいものだった。
あの頃と変わらず、美しいままそこに存在する1人の女性。
「母……さん…」
「英輔…」
その女は英輔を見ると懐かしそうな顔をした。
それもそのハズだ。
もう何年もあっていない息子なのだ。
「何で…何でココに……!」
頭の整理がつかない。
突然過ぎて半分混乱している。
「私は…私は桧山鏡子。ここで門の管理を任されています」
「そうか…」
「貴女の用件はわかっています。彼らの行った場所…星屑のアジトへ門を繋ぎます」
「わかった」
鏡子が手をゆっくりと縦に振ると、ヴァームが作ったような切れ目が現れる。
「どうぞ」
「英輔、私は先に行っているぞ」
「あ、ああ…」
そう言うとリンカは切れ目の中へと入って行った。
「……」
そしてこの空間には、英輔と鏡子だけが残された。
「英輔…久しぶりね」
「母さん…」
しばしの沈黙。
懐かしくもあり、気まずくもある。
「何で……何で俺達を……!」
「……仕方がなかったのよ」
「仕方がなかったって…!それだけかよ!?それだけで俺と麗華は……!俺だけならまだしも、麗華は…!あれから何日アイツが泣いたと……」
英輔が言いかけた時だった。
「……!?」
背中に回された手、英輔の顔は柔らかい乳房に埋められる。
美しく長い髪が、英輔の頬に触れるくすぐったい感触。
「何で…」
「ごめんね。ごめんね……」
鏡子は一層強く英輔を抱きしめた。
「母…さん」
自然と英輔は鏡子の背中に手を回していた。
英輔より身長は高いものの、細く、華奢な身体。
気丈に見えたのは気のせいだろうか。
触れて感じた、何て弱々しい…
「こんなに、こんなに大きく……」
「一度だって忘れたことはなかった、ただの一瞬も忘れなかった……貴方達2人を…」
鏡子の目に涙が溢れる。
そして英輔の顔もまた、涙に濡れていた。
「母さん……!」
あの日からの数年間。
その分だけ涙が流れている気もした。
止まる気配がない。
そして、止める気もない。
2人はただ抱き合ったまま、涙を流し続けた。
「母さん、もう一度聞くよ。何であの時俺達を置いて行ったんだ…?」
しばらくして落ち着いた2人は、抱き合うのをやめていた。
「罪、よ。過去に私が犯した罪が、この呪いをかけた」
「呪い…?」
「そう。呪い。100年の間の、この世界の管理」
「世界の管理…」
「この世界はどちらの世界でもない。ただの境界」
「私が任された仕事は100年の間この境界を守り、通る者を導く」
鏡子は淡々と話を続ける。
「それと、あの人は海外出張に行っている訳ではないわ」
「え…?」
「あながち間違ってもいないのだけど、仕事ではないわ」
「じゃあ何で…」
「私の呪いを解く術を探しに行ったのよ…。この様子だと、まだ見つかってないようだけどね」
「それで…」
「あの人、やると決めたら意地でもやるから…。貴方達を置いて行ったこと、許してあげてね」
「……考えとくよ」
「そう言わないで」
そう言って鏡子が微笑むと、英輔もつられて微笑む。
「もう、行かなきゃ」
「星屑と…本当に戦うの?」
「ああ。リンカのためにもな」
「良い娘を見つけたのね」
「な…!」
「ふふ、顔真っ赤よ英輔」
「か、からかうなよ!」
怒る英輔を見て、鏡子はクスリと笑った。
「こんな会話を、何度夢見たことか…」
「母さん…」
「出来れば、このままでいたい」
「ああ。だけど…」
「そうね。やっぱりそうはいかないわよね」
「行ってくるよ。またココにも来るから」
英輔がそう言うと、鏡子はもう一度英輔を抱きしめた。
「行ってらっしゃい」
「………ああ」
それだけ言うと、英輔は切れ目の中に消えた。
「行ってらっしゃい…」
鏡子は成長した我が子を思い出しながら、もう一度だけ呟いた。
To Be Continued