第5話 助手になりませんか?
「あれ? もえ、フカミ先生知らないの?」
「もえ先輩、パンキョーでジャーナリズム論、取ってないんですか?」
「何気に面白いよね。テストもノート持ち込みありだし」
「ははは、何気に、っていうのが気になりますが、どうもありがとう。ちなみに次のテストも、持ち込みはOKの予定ですよ」
苦笑を浮かべつつチームメイトたちに答えているのは、間違いなくあのストーカー男だった。というか……先生? この残念イケメン、もとい、変態眼鏡が?
「こんにちは、綺麗なお嬢さん。またお会いしましたね」
この二日間で三度目の遭遇だけど、にこやかな、いや、へらへらとした笑顔は変わらない。
「ちょ……あなた……」
「アキレス腱だけじゃなくて、スクワットも綺麗なんですね。うん、やっぱり僕の目に狂いはなかった。特に胸の形が素晴らしい。立派に張り出していて、凄く綺麗です」
「な……!?」
人の話を聞こうとしないのも、過去の遭遇とまったく同じである。
笑いをこらえている周囲を軽く睨んだ私だったが、そのお陰で少しだけ冷静になることができた。どうやらこの変態眼鏡は、セクハラまがいの発言という自覚がまるでないらしい。いわゆる「天然」な性格のようだ。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。失礼しました。僕はこの学校でジャーナリズム論の講師をしている、深身公人と申します」
「フカミ、キミヒト?」
中途半端に韻を踏んだような名前を繰り返していると、変態眼鏡ことフカミキミヒトは、ぺらぺらと続けた。
「まあ、おおやけの人、なんていう名前のくせに僕自身は、しがない大学講師に過ぎないんですけど。あ、もちろん運動はからっきしです。ははは」
何が「もちろん」なのかは知らないけれど、じゃあなんで人のアキレス腱だの貧乳だの(いや、本当はスクワットのことだろうけど)に、やたらと注目してくるのだ。
そう言ってやろうとしたところで、アカネちゃんが近くに寄ってきた。
「深身先生のジャーナリズム論、面白いからとっても人気があるんですよ。出席取らないのに、いつも大教室が八割方埋まってるんです。パンキョーだけど、わざわざ四年生とかまで受けにきてますし」
「ありがとうございます。ええっと、一年生の中田さん、でしたよね?」
「え? 凄い! 先生、生徒の名前、ちゃんと覚えてくれてるんですか?」
「ええ。僕なんかの講義を取ってくださる、貴重な学生さんたちですから」
にこやかに(私から言わせればへらへらと)相手をしている深身先生とやらは、どうやらなかなかの人気講師のようだ。我がチームメイトたちもさっさと私を裏切って、「じゃあ、あたしの名前もわかりますか?」などと黄色い声をかけて喜んでいる。主に一、二年生のうちに単位を取得する一般教養科目、通称パンキョーの、ジャーナリズム論とかいう講義を担当しているらしい。
「ええっと、深身先生と仰いましたよね」
気を取り直した私は、コホン、とわざとらしく咳ばらいして呼びかけた。
「失礼ですが、何かご用ですか? ご覧の通り私たち、トレーニング中なんですけど」
極力冷たい声を心がけたはずなのに、変態眼鏡人気講師は華麗にスルーして、私に対しても明るい声で答える。
「そうでしたそうでした。じつは、あなたに用があったんです、綺麗なお嬢さん」
「はあ?」
「その前に差し支えなければ、お名前と学年を教えていただけますか? もえさん、と仰ることは練習を見学させてもらって、わかったのですが」
どうやらバスケの練習中から見ていたらしい。本当にストーカーまがいの行動だ。とはいえみんなも見ている手前、露骨に拒否するわけにもいかない。それに、私に用があると言ったのも気になった。
「早坂です。二年の早坂もえ」
できるだけぶっきら棒に答えたつもりだったのに、深身先生は一瞬の間を置いて、眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「そうだったんですね!」
「え?」
「いや、早坂という名字で見事なトレーニングフォーム、さらにバーベルがどうのというお話もされていたということは、もえさんは世界の早坂鉄工所の方ですね? 道理で美しいわけだ。うんうん。さすがですね、もえさん」
「ええ、まあ。……って、誰が下の名前で呼んでいいと――」
気安く名前を連呼され、もはや何度目になるかわからない抗議をしようとした私は、だが次の一言でまたしても動きを止められてしまった。
「というわけで、もえさん。僕の助手になりませんか?」