第3話 フィットネス・ハンター
「――なんなのよ、まったく!」
怒りが収まらない私は、腹いせに学内のカフェテリアでケーキセットを注文し、お気に入りのレアチーズケーキにフォークを突き立てていた。ストレス解消には甘い物が必要だ、と軽くなった財布に言い訳しながらだったけど、やはり美味しいものは美味しい。
これまた好物のカプチーノにも口をつけてやっと落ち着いたところで、肩越しに元気のいい声が聞こえてきた。
「わあ! 綺麗ですね!」
どうも今日は背後から、「綺麗ですね」と言われる日らしい。一瞬だけさっきの残念……もとい、変態イケメンの顔を思い出しそうになったものの、振り返った先で笑っていたのは、もちろん冴えないメガネ面などではなかった。
「もえ先輩、一緒にお茶していいですか?」
にこにことテーブルに近づいてきたのは、バスケ部の後輩であるアカネちゃんこと、中田朱音だった。
「ああ、アカネちゃん。うん、もちろん」
「失礼します」
抹茶ラテのカップを置いたアカネちゃんが、ぺこりと頭を下げて私の対面に座る。
ショートカットがよく似合う元気のいい女の子だ。バスケの腕もなかなかで一年生ながらよく試合に出て活躍してくれるし、私とはウマが合うみたいで、後輩というより一つ違いの友人のような感覚で話ができる。
「綺麗ですね、そのラテアート」
「え? あ、ああ、そうね。空いてるからやってくれたみたい」
アカネちゃんが指差している私のカップには、カプチーノの泡の部分に茶色いハート型がくっきりと描かれていた。「綺麗ですね」はこのことだったみたいだ。街のカフェほど凝ったものではないけれど、うちの大学のカフェテリアも、空いている時間にはこうしてさり気なく作ってくれる。
「アカネちゃんはこの時間、授業ないの?」
「はい。今日は三限までです。このあと、ちょっと出かけますけど」
「あら、彼氏と?」
「は、はい」
初々しい反応が微笑ましい。たしか、高校のときに怪我をしたのがきっかけで知り合った、若いスポーツトレーナーさんがボーイフレンドだとか言っていたっけ。そりゃあ、こんな可愛い子の面倒を見ることになったら、自然と好きになってしまうだろう。彼氏さんの気持ちもじゅうぶんにわかる気がする。
「もえ先輩も、授業を取ってない時間ですか?」
「うん。前の授業で出されたレポートに、さっそく取りかかろうと思って。で、さっきまで図書館にいたんだけどね――」
私はそのまま、ついさっき図書館で遭遇した変態イケメンのことを語って聞かせた。
「へえ。そんな人がいるんですね」
アカネちゃんも驚いた顔をしている。
「でも、お話を聞く限りでは、ボディビルとか筋肉とかが好きそうな人ってことですよね。やっぱりマッチョなヘンタイさんなんですか、その人?」
マッチョなヘンタイさん、という言葉に思わずカプチーノを吹きそうになった。
「あはは、何よそれ。ていうか、マッチョどころかひょろっとして冴えない感じだったよ。服も野暮ったかったし。むしろインドア派のオタクかもね」
「ふーん」
驚いていたアカネちゃんの顔が、今度は何かを思い出すような表情になっている。
「どうしたの? まさか、知り合いとか?」
「あ、いえ、全然。ただ、彼……その、か、彼氏から聞いた話をちょっと思い出したんです」
彼氏、と口にするだけでも頬を赤らめる姿がますます可愛らしい。ともあれ、私は目で先を促した。
「トレーナーさんの間で、どうしても探して欲しい物――たとえば日本ではなかなか見つからないスポーツ医学の論文とか、むかし流行ったけど今はどこにも売ってないフィットネス用品とか――を代わりに探してくれる、スポーツとかトレーニング専門の探偵みたいな人がいるらしいんです」
「何それ?」
「いえ、あくまでも噂だそうですけど。でもその人、依頼された物は必ず見つけ出してくれるみたいなんです。海外の大学で、研究室の片隅に放っておかれた論文とかですら」
「ふーん。まるでインディ・ジョーンズね」
いつか見た、大むかしの冒険映画の主人公を私は思い出した。
「で、そのインディ・ジョーンズが、あの変態イケメンかもしれないってこと?」
するとアカネちゃんは、可愛らしく小首を傾げて見せた。
「これもまた噂なんですけど、その探偵さん、体育学部があるような大学はどこの図書館も、顔パスで入って調査できるんだそうです。でも、もえ先輩のお話を聞く限りではやっぱり違いますね。調べるだけじゃなくて、自分自身もトレーニングが大好きっていう話ですし、凄く格好いいらしいですから。ごめんなさい、変なこと言い出しちゃって」
「ううん。でも面白い噂ね。そういうお宝探しみたいなことを、商売にしている人がいるってことでしょ? トレジャー・ハンターみたいな」
「あ! それです!」
アカネちゃんの声が突然大きくなったので、レアチーズケーキのタルト部分にとりかかろうとしていた私は、フォークを止めてしまった。
「な、なに?」
「名前です。その探偵さんの名前」
「名前?」
「はい。トレーナーさんの間で、こう呼ばれてるそうです」
フォークの先にタルトを乗せたままの私に向かって、アカネちゃんは奇妙な名を告げた。
「『フィットネス・ハンター』って」