第33話 本日もお邪魔してます
二日後。私は『クロキ・スポーツクラブ』を辞めた。
あんなことがあったのでさすがにもう働けないし、カレンさんや山川さんだって困るだろう。とはいえ、彼女たちと話すのは気まずい。どうやって退職の意志を伝えたものか……と考えながら大学のキャンパスを歩いていたら、タマさんが電話をくれたのだった。
「お嬢ちゃん、うちのバイトはどうする? 辞めるんじゃったら、ユニフォームは着払いで郵送してくれればええぞ。ロッカーに残してる物があれば逆に送るし、もちろん残りの給料は振り込むから安心せえ」
相変わらず飄々と、まるでトレーニングマシンの修理について語るような口調だったので、私の気持ちはいくぶん軽くなった。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて辞めさせていただけますか。ごめんなさい、タマさん」
「なに、気にすることはない。それにお嬢ちゃんは、もう一つバイトをしておるじゃろ」
「え?」
「え? じゃあない。あんたすでに、天下の『フィットネス・ハンター』の助手じゃろうが」
どこが「天下の」なのかはさておき、一応はまだそういうことになる。ただ、一昨日あんな別れ方をしてしまったので、深身先生にもどんな顔をして次に会おうか、とこちらについても少し困っているのだった。まあ、自業自得ではあるのだけど。
「わしの連絡先は、深身さんが知っておるからの。また重量挙げの話をしたくなったら、いつでも連絡してくるんじゃぞ。お嬢ちゃんなら大歓迎じゃ」
女子大生にかける言葉としてはいささか微妙な誘い方をしながら、『クロキ・スポーツクラブ』のオーナーはからからと笑った。
「ありがとうございます。短い間ですけど、本当にありがとうございました。それじゃ」
苦笑とともに電話を切った私は、タマさんが今までと変わらず「お嬢ちゃん」と呼んでくれていたことに遅れて気がついた。重量挙げはともかく、このとぼけたおじいさんと、たまに電話で話すのも楽しいかもしれない。
ちょっぴり上機嫌になったところで、ふたたび通話着信があった。家からだ。
「もしもし?」
「おう、もえか」
それはそうだろう。私の携帯なんだから。
「うん。どうしたの、お父さん」
「今、どこだ?」
「学校終わって、帰るとこだけど。今日は部活もないし」
「そうか、ちょうど良かった」
「何が?」
「早く帰ってこいよ。詳しくはメッシしとく」
私と同じように上機嫌らしい父は、一方的に告げるとさっさと通話を切ってしまった。
「なんなのよ、自分からかけといて」
ていうかいつも言ってるけど、メッシじゃなくてメッセだってば――と、軽く頬を膨らませていると、手のなかで三たびスマートフォンが震えた。本当にメッセージが届いたようだ。
「なんなのよ、ほんとに」
もう一度繰り返してスマートフォンの画面を確認した私は、けれども「はあ!?」と奇声を発する羽目になった。
《先生と、宅飲みなう》
メッセージの下には、ビールとおでんを囲んで笑うスキンヘッドと縁なし眼鏡。まるでいつかのデジャヴだ。慌ててもう一つのメッセージアプリを立ち上げると、いつの間にか同じ写真とともに、
《こんにちは、もえさん。本日もお邪魔してます。早くお会いしたいですね》
という、相手の性格さえ知らなければときめいてしまうような、例の天然イケメン台詞がしれっと綴られていた。
《なう、ってどっかのお医者さんか!》
またしても混乱の極みに陥った私は、父へのつっこみを深身先生宛てに送信してしまったことにも気づかないまま、家に向かって全力疾走を開始した。




