表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フィットネス・ハンター  作者: 迎ラミン
第三章  三島由紀夫
30/35

第29話  大切なアシスタント

「その節は失礼しました。スタッフの皆さんも、ここに三島由紀夫のノートがあるということは、本当にご存知なかったんですね」


 カレンさんにぺこりと頭を下げながら、深身先生はいつものペースで話し始めている。


「え、ええ。だから言ったでしょう。でもこの間、もえちゃんから聞いてあたしたちも信じる気になったの」

「それはそれは。うちのアシスタントが随分良くしていただいているのは、こちらも伺っています。どうもありがとうございます」

「…………」


 へらりとしたキャラクターに、カレンさんもどうリアクションしていいのかわからない様子だ。けれども二人の会話を聞く限りでは、最初に深身先生が『クロキ・スポーツクラブ』を訪れた際に応対したのは、どうやらカレンさんらしい。ということは、私からノート探しの告白を受けた時点で、先生との繋がりも理解していたのだろう。


「あなたたち『こざくら会』や『空飛ぶ円盤研究会』のことは、僕も調べさせてもらいました。普段はただの歴史サークル、UFOサークルですが、一方では三島由紀夫が組織した右翼団体、『盾の会』の復興を模索する活動家集団としての顔を持っているようですね。今のところ、法に触れるほどの派手な活動はしていないようですけど。『こざくら』とは大方、三島由紀夫が少年時代に初めて詩を投稿した学内雑誌、『小ざくら』から取ったのでしょう。『空飛ぶ円盤研究会』のほうは、石原いしはら慎太郎しんたろうほし新一しんいちらも所属していた『日本空飛ぶ円盤研究会』、通称JFSAそのまんまですね。そこでの三島由紀夫は、UFOの存在を信じる熱心な会員だったと言われています。宇宙人一家が主人公の『美しい星』なんて作品も残しているほどですし」

「そうなんですか!?」


 深身先生が詳しく調べているのにも驚いたが、それ以前の問題として『こざくら会』と『空飛ぶ円盤研究会』、二つのサークルがかような背景を持っていたことに何よりびっくりした。カレンさんと山川さんが、神道の信者だというのも納得だ。『盾の会』の復興を模索するほどの思想家なら、むしろ当然とも言える。


「なぜか空飛ぶ円盤関連のエピソードは、意外に知られていないようですがね。やはり三島由紀夫といえば、右寄りの思想だったりマッチョだったりといった硬派なイメージが強いのでしょう」


 解説を続けながら、先生はこちらを見てにっこりと微笑んだ。緊張感など欠片もない、事務所でコーヒーをすすりながら会話している、いつもみたいな表情。けれど今は、逆にそれがほっとさせてくれる。

 お陰で私も、いつの間にか落ち着きを取り戻すことができていた。


「ついでに申し上げれば、こちらの山川チーフが仰ったという、フィットネスクラブは〝スポーツ共和国〟のような場であるべき、という考え方もまた三島由紀夫が語っていたことです。たしか『実感的スポーツ論』というエッセイでしたか。この考えには、僕も賛成ですが」


 もはや感心するしかない。『フィットネス・ハンター』の調査能力は、本当に噂通りのようだ。


「な、なんなのよアンタ!? ちょっとイケメンだからって部外者がいきなり現れて、ぺらぺらぺらぺら!」


 緩い雰囲気になりかけた流れを引き戻そうとするかのように、山川さんが必死に割って入る。けどもちろん、天然イケメンにして変人マイペースの『フィットネス・ハンター』は、いささかも動じない。


「いえいえ。オーナーから許可はいただいてますから。そうですよね、玉置オーナー(・・・・・・)?」


 そう言って、緩い微笑を今度はタマさんへと向けた。


「おお、ということはあんたが?」 

「はい、深身公人と申します。お電話でのやり取りばかりで、大変失礼しました」 

「いや、それは構わんよ。しかしなんというか、その、イメージと随分違うな」

「はは、よく言われます。でも本来、しがない貧乏ライターですから。いつの間にか、変なあだ名で依頼する人も増えてしまっていますが」

「ああ。わしもそっちの名で依頼したからの」


 まさか、と今日はよく思う日だ。

 事情はよくわからないが、まさか――。


「『フィットネス・ハンター』さんに、な」



「せ、先生にタマさんが!? なんの依頼? いや、ていうか、玉置オーナーってタマさんですか?」


 訳のわからない質問をしてしまったが、深身先生はにっこりと答えてくれた。


「玉置さんは、ここ『クロキ・スポーツクラブ』のオーナーさんなんですよ」

「ええ!?」


 私の隣で、カレンさんと山川さんも呆然としている。


「そして、元W大学バーベルクラブ主将、玉置(ひとし)さんの弟さんでもあります」

「ちょ……!? W大バーベルクラブの玉置さんって、まさか!」


 山川さんがさらに目を丸くした。


「さすがは『フィットネス・ハンター』じゃ。どうやら、すべて調べているようじゃな」

「はい。大体は」


 タマさんこと玉置オーナーは、「仕方ないのう」と小さく笑って語り始めた。


「そうじゃ。今は亡きわしの兄、玉置仁はW大のバーベルクラブ主将をしていた頃に平岡さん、つまり三島由紀夫と知り合い、彼にトレーニングを教えた最初の人物じゃ。今で言う、パーソナルトレーナーというやつだな。で、兄とともにバーベルクラブに所属しておったわしも、平岡さんと仲良くさせてもらっていた。当初は兄が平岡さんの自宅へ教えに行っていたんだが、その後、トレーニング仲間の黒木くろきさんという人がジムを開いたので、みんなしてそこへ通うようになったんじゃよ」

「クロキ・ボディビル・ジムですね」


 深身先生が微笑む。


「ああ。で、黒木さんが早くに亡くなってジムも取り潰そうかというとき、話を聞きつけたわしが買い取り、スポーツクラブとして存続させたという訳じゃ。なにせ昭和の文豪、三島由紀夫が通っていたジムだし、それを抜きにしても、わしらの若い頃の思い出が詰まっておったからな。ただし、えせ右翼みたいなのばっかり会員に集まっても困るから、平岡さん絡みのエピソードはまったく表に出してはおらんがの」

「だから『クロキ・スポーツクラブ』だったんだですね」


 私は大きく頷いた。オーナーの名前か何かだろうと大して気にしていなかったが、そんな由来だったとは。


「まあ、経営はすべて雇われ支配人に任せておるし、わしがオーナーだなんて知っとるのは、登記簿を見たことある人くらいじゃろうけどな。それでもいつの間にか、平岡さんと縁がある施設らしいと嗅ぎつけた奴らが、こうして入り込んできたっちゅう訳じゃ。何をどこまで知ってかはわからんがの」


 そこでいったん息をついたタマさんは、呆気に取られたままのカレンさんと山川さんに、今一度視線を向けた。


「貴様ら二人に告げる」


 その目にはあの、威厳ある光が爛々と宿っている。


「クラブ内でのサークル活動は特に禁止せん。しかし特定の思想信条に偏った活動や、強引な勧誘などはもっての他じゃ。クビにまではせんが早々にこの場を立ち去り、お嬢ちゃんにも二度と勧誘の声をかけるな。これは、オーナーとしての命令でもある。よいな!」


 カレンさんのほうを、私はちらりと見た。けれどもうなだれた顔を長い髪が覆っていて、表情まではわからなかった。


「ついでに言うと、日本刀を所持すること自体は違法ではありませんが、刀そのものには都道府県の登録書が必要です。こちらは三島由紀夫が切腹に使った孫六のレプリカみたいですが、市販の物ではないようですし、登録をされていないんじゃないですか?」

「あ、あんた、そんなことまでわかるの?」


 悔しそうにうめく山川さんに対し、深身先生はいつもの微笑を浮かべるだけだ。


「本物の平岡さんの孫六は、当然ながら警察に没収されておるしな。いずれにせよ中途半端な右翼ごっこは、もうこれまでにせい」


 合わせて伝えたタマさんは、最後に優しい口調で付け加えた。


「彼もそんなこと、望んじゃおるまいよ」


 その声がきっかけとなったかのように、『盾の会』末裔の二人が、スタジオの出入り口へとゆっくり歩き始める。厚みのある山川さんの身体すら、なんだか縮んだように見えた。


 うつむいていたカレンさんが意を決したように顔を上げたのは、スタジオの扉から一歩を踏み出したあたりでだった。


「もえちゃん、あたし……」

「……カレンさん」

「あたし、あなたのことが好きなのは本当よ」

「…………」

「あなたのこと、本当に素敵な女の子だって思う。日本人らしい可愛い子だって言ったのも、本当。心からあなたに感じていたことなの。あなたが、もえちゃんが――」

「もういいでしょう」


 穏やかに、かつきっぱりと割って入ったのは、深身先生の声だった。


「玉置オーナーの仰る通り、もうお引取りください。ここから先は、オーナーと我々で話がありますので」


 カレンさんの側を向いているので表情は見えないが、珍しく声音が力強い。


「これ以上、僕の大切なアシスタント、早坂もえに関わらないで下さい」


 初めて大切な「アシスタント」と付けてくれたような気がする。なんだか少しだけ、顔が熱くなったように感じた。まあ、気のせいだろうけど。


「なにはともあれ、もえさんが無事でよかった」


 言いながら振り返る深見先生の顔は、普段と何も変わっていなかった。いつも通りのへらりとした笑み。眼鏡の奥から緩やかにこっちを見つめる、無邪気な少年みたいな目。

 

 複雑な心境に陥りかけていた私の心は、それだけで落ち着くことができた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ