第28話 今日よりは顧みなくて大君の 醜の御楯と出で立つ吾は
「タマさんが……」
「盾の会……」
呆然とする山川さんとカレンさんを見据えて、タマさんの唇が何かを口ずさむ。
「今日よりは顧みなくて大君の 醜の御楯と出で立つ吾は」
「!!」
「それは……!」
「よもや知らんとは言わせん」
ぴしりと伝えたタマさんが、不意に私のほうへ顔を向けてきた。
「お嬢ちゃんは、この歌を知っておるか?」
「え? あ、いえ……すみません」
私に対してだけはいつもの穏やかな声音だったけど、それでもつい、かしこまってしまった。
「盾の会の名の由来となった、万葉集に収められている和歌でな。後ろを振り返らず我が君、つまり天皇陛下の盾となって国を守ろうという、防人の決意を表した歌じゃよ」
「は、はあ」
いかにも右翼団体らしいチョイスだと、もやもやした頭の片隅で素朴な感想を抱くしかない。
「この歌の中身だって知っとるくせに、何も知らないお嬢ちゃんを無理やり仲間に引き入れるような真似までするとは情けない。やはり平岡さんは、草葉の陰で嘆いているじゃろうて」
ふたたび厳しく言って、本物の元『楯の会』メンバーである老人は、あらためてカレンさんと山川さんに目を向けた。
「いずれにせよ『盾の会』はもう存在しない。『盾の会』は終わったんじゃ。一九七○年の解散式をもって正式にな。どうせ晩年は明確な思想も持たず、単に格好いいからといった理由で入ってくるノンポリ学生なんぞが増えていたし、ごく自然なことだった。わしも平岡さんがあの事件を起こす少し前に、抜けさせてもらったけどな」
あの事件とは平岡さん、つまり三島由紀夫がクーデター未遂を起こして自決した事件のことだろう。
「貴様ら『こざくら会』やら『円盤研究会』やらが、大人しく日本を愛でたりUFOを研究するだけの会なら、わしも何も言わん。平岡さんの業績や足跡を純粋に尊敬し、大切にしているのならむしろ大歓迎じゃ。また、そういう連中であるならば、これを託してもいいとすら思っていた」
いつもタマさんがぶら下げている、腰の道具袋。
その口が、するりと開く。
「しかし、見込み違いだったようじゃな」
道具袋から取り出されたのは、一冊の古いノートだった。
「そ、それって、ひょっとして!」
「三島先生の!」
「トレーニングノート!」
私とカレンさん、山川さんの声が重なった。
「あの事件を起こす直前、久しぶりに会った平岡さんは言っておった。このノートは、自分が死んだら価値が出るかもしれない。捨てるのも忍びないし預かっていてくれ、と。同時に――」
鋭い視線が、順に私たちに巡らされる。
「いつか託すに相応しい人が現れたら、渡してあげて欲しいとも」
「そ、そうよ! だからこそ今それが必要なのよ! あたしたちが『盾の会』を再興する、新しい象徴に! もえちゃんだって、おんなじ気持ちでしょう?」
唐突にカレンさんから名前を呼ばれ、私はびくっとなった。
でも。
なぜ、とは思わなかった。
それは、そうだろう。
これだけ可愛いがって、仲良くして、喜んで受け入れてくれたのだ。私を「宝物」とすら呼んでくれたのだ。
それは、そうだろう。
私は顔を上げた。
「……カレンさん。私のこと、好きですか?」
「え?」
カレンさんをじっと見つめる。
褐色の肌、ウェーブのかかった黒髪、くっきりとした鼻筋に大きな瞳。こんな人がお姉さんだったら、本当にどれだけ素敵だろう。どれだけ楽しいだろう。
「あたし、カレンさんのこと好きです」
「もえちゃん……」
「山川さんやクラブの皆さんも、好きです」
「…………」
さっきまでの不自然な表情が、二人から消えたように見えた。
「人として好きなんです」
いったん視線を落として、息を深く吸う。
「お二人の生まれとか、育ちとか、マイノリティだからとかじゃなくて」
「お嬢ちゃん」
タマさんが優しい声で何かを言おうとしてくれたけど、私はさらに言葉を紡ぎ出すべく、ふたたび顔を上げた。
「私は――」
「なるほど、それが三島由紀夫のトレーニングノートですか」
刹那、またしても別の声が飛び込んできた。
ただ、私の言葉に被せられた今度のそれはやけにのんびりした、場違いとすら言えるものだった。
いかにもマイペースな喋り方。聞いただけで微笑を浮かべているのがわかるような、優しい声音。振り向いた先に映る、よれよれのジャケットと縁なし眼鏡。
「先生!」
スタジオの入り口に、我が雇い主『フィットネス・ハンター』こと深身公人先生が立っていた。




