第27話 盾の会
「室町時代に活躍した名工でね、本来の名前は兼元っていうの。孫六は俗称よ。特に二代目の兼元が孫六兼元、関孫六として知られてるわ。その刀は、もちろんレプリカだけど」
仮面の微笑を向けたまま、カレンさんが続ける。隣で頷く山川さんの顔も、私の知っているものではなかった。緊張感のあるたたずまいからは、いつもカレンさんと憎まれ口を叩き合っている、あの陽気さがまるで感じられない。
「深身さん、だっけ? もえちゃんの先生。うちのクラブに三島先生のトレーニングノートがあるなんて、あの人に問い合わせを受けるまで、あたしたちも全然知らなかったわ」
「ほんと。この孫六だってカレンちゃんに手伝ってもらって、レプリカをやっと手に入れたくらいだし。苦労したのよ」
「あ、あの……」
言葉が出てこない。身体も動かない。耳にだけ声が届く。普段とまるで違う二人の声が。
「あたし、もえちゃんのこと好きよ」
カレンさんが静かに告げる。ほんの二週間前、優しい姉のような笑顔で言ってくれたのと同じ台詞を。
でも。
温かくない。
「もえちゃんは、あたしたちのこと好き?」
「好きって言ってくれたんでしょう? カレンちゃんから聞いたわ」
二人がじりじりと近付いてくる。
ここに至ってようやく私は、報告会という名目で、彼女たちにまんまと誘い出されたのだと理解した。
けど、なぜ……。
「ノートじゃないけど、それも貴重な品なのよ」
心を読んだかのように、カレンさんが説明を再開する。
「その孫六はね、三島先生が自決されたときのものと同じ型なの。だからレプリカとはいえ、貴重な一振りでね」
三島先生? そういえば、さっきも彼女はそう言っていた。
「でも、あたしにとって一番の宝物は、あなた」
「え?」
そしてもう一度、同じ言葉が投げかけられる。
「もえちゃん、あたしのこと好き?」
「カレンさん……」
日本刀、軍服、三島先生……これらのキーワードが、私の頭の中で繋がりつつあった。「まさか」という思いと同時に、なぜか「いやだ」という想いも湧き上がって交錯する。
まさか、いやだ、まさか、いやだ、まさか、いやだ、まさか――。
もう一つの声がスタジオの入り口から飛び込んできたのは、そのときだった。
「歴女っちゅうのか? UFOマニアもそうだが、普通に好き者たちの集まりをやっとるだけならいいと思ってたが、これは見過ごす訳にはいかんな」
「!?」
ハッとそちらを振り向くと、スタジオの入り口にモップを片手にした老人が立っていた。
「タマさん!」
カレンさんたちと違い、タマさんは口調と同じくいつも通りの格好をしている。古びたジャージ姿で手にはモップ、腰には道具袋。でもだからこそ、心強かった。
「大丈夫か、お嬢ちゃん? 『こざくら会』や『円盤研究会』には深入りせんほうがええぞ。やはりただの歴史サークル、UFOサークルではないようじゃからな」
ぴくり、とカレンさんと山川さんの目が動いたように見えた。
「なんのきっかけで本性を現したのかは知らんが、こんな勧誘の仕方をしとったら、三島由紀夫も嘆くじゃろうよ」
今度は、はっきりと二人が目を見開く。薄々気付いていた私も、やはり驚きは隠せない。
「こいつらは三島由紀夫が組織した私兵集団、『盾の会』の末裔じゃよ」
やっぱり……。
三島由紀夫が『盾の会』なる武装組織を結成していたことを、私も最近、学校のレポート課題で知ったばかりだった。でもまさか、その思想を受け継ぐ人々がいたとは。しかもこんな身近に……。
「ちょっと極端な民族主義者。世間じゃ右翼なんて呼ばれることもある過激な集団。それが盾の会じゃ」
「違うわ! 日本を日本らしくすることを願って何が悪いの!」
「そうよ! 国を想う気持ちや同士の絆、空飛ぶ円盤にまで純粋に興味を持つ心、それに性的マイノリティを差別しない多様性の価値観だって、あたしたちは三島先生からちゃんと受け継いでるわ!」
気を取り直したらしいカレンさんと山川さんが、強い口調で抗議する。これまた同じ課題で知ったのだが、女性と結婚して子どもも授かったものの、三島由紀夫はゲイ、もしくはバイセクシャルだったという節が根強いのだとか。
「三島先生が目指してらしたのは――」
真剣な表情のカレンさんが、一歩踏みだした瞬間。
「だまれい! えせ愛国主義者が!」
スタジオ中の空気を震わせるような、大音声が轟いた。どちらが軍人だかわからないような、圧倒的な迫力と鋭い眼光。
文字通りの仁王立ちで、タマさんが大喝したのだった。
目を丸くする私たちを見据えつつ、タマさんがスタジオのなかに歩を進めてくる。逆にカレンさんのほうは、気圧されたようにして踏み出した足を引っ込めてしまっている。
「貴様らのように針が右側へ振り切れた結果、三島由紀夫はどうなった? 国を想い過ぎるあまり、日本を守りたいと想い詰めて過激な言動ばかりするようになったあまり、どうなった? あれほどの才能が、美しい文章が、永遠に失われたではないか! あれは間違いじゃった。あんなことは断じて、断じて、してはならなかったんじゃ」
今さらだけど、モップ片手の用務員さんとは思えない威厳と迫力だ。オーラみたいなものすら感じる。
「し、仕方ないじゃない! 三島先生は日本を憂いて、日本を愛して、国に殉じられたのよ!」
「そうよ! 世俗の圧力にさらされてサラリーマン化した自衛隊とか、皇室を軽く見るような今の日本の風潮こそが三島先生を殺したのよ! わかったようなこと、言わないでよ!」
完全に劣勢になっているものの、『盾の会』の末裔だという二人がそれでも反論を試みる。
しかし。
「わかる」
威厳はそのままに、タマさんの声が一段低くなった。声と言葉に、お腹に響いてくるような重みがある。
「少なくとも貴様らよりは、平岡さんのことは、わかる」
「平岡さん?」
その聞きなれない名を、私は繰り返しただけだった。けれどもカレンさんと山川さんは、目に見えて顔を引き攣らせている。
「ああ。平岡公威。世間では、三島由紀夫のペンネームのほうが知られておるがな」
「た、タマさん、あな、あなた……」
口をぱくぱくさせる山川さんに構わず、タマさんが重い声のまま続ける。
「最後に会ったとき、平岡さんは言っておった。きみたけ、〝おおやけのちから〟なんて名は、自分には重いとな。本当は傷つきやすい、コンプレックスを沢山抱えている普通の人だったんじゃよ。それでも、いや、それだからこそかな」
一拍置いて、スタジオ内に静かな告白が響いた。
「我々『盾の会』をつくった」




