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フィットネス・ハンター  作者: 迎ラミン
第二章  クロキ・スポーツクラブ
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第21話  こざくら会

 いや、だってほんの十数分前には、自分はストレートだって……。


「ああ、ごめんごめん。そういう意味じゃないの」


 くすくす笑いながら下ろされた腕が今度はへその前で組まれ、後ろから軽く抱きしめられる。豊かな胸とともにウェーブのかかった長髪が触れて、なんだかくすぐったい。でもそれはまったく不快ではなく、むしろ安心感や穏やかな気持ちに包まれるような感じだった。


 部活のチームメイトたちがよく、「イケメンに後ろからギュッてされたい!」などと勝手な妄想を膨らませているけれど、つまりこんな気持ちになりたいということなのだろうか。


「あたしって、なんちゃってダブルじゃない?」


 優しい声のままカレンさんは続けた。


「なんちゃって?」

「そ。顔も身体も見た目は完全なラテン女なのに、中身はばりばりの日本人でしょ」

「はあ」

「街を歩いてて、たまにスペイン語やポルトガル語っぽい言葉で話しかけられるんだけどさ、全然わかんないのよ。なんせ二歳から日本で暮らしてるからね。英語だって満足に喋れないけど」

「だってカレンさん、本当に日本人じゃないですか」


 小さく笑って、私はへそのあたりにある彼女の両手を包み込んだ。


 なぜそんなことをしたのかよくわからない。でも自然な行動だったし、それによってますますカレンさんの温もりのようなものを感じられる気がした。


「うん。それでもあたしは日本人。名前は片仮名だし、リオデジャネイロ生まれのくせにポルトガル語は喋れないし、父親のブラジル人はどこで何してるかわからないけど、それでも羽佐間カレンはれっきとした日本人なの」

「……カレンさん?」

「子供の頃は、よくからかわれたりもしたんだ。ベタだけど、ガイジン女、なんて男の子に言われたりして」

「ひどい」


 ありがとう、という囁きとともに私の手が握り返された。胸を触ってくれたときと同じように、優しい包み方だった。


「でもそんな、なんちゃってダブルでもきちんと働く場があって、パスポートを発行してくれて、選挙にだって行かせてくれるのがこの国でしょう?」


 背中と両手に温もりを感じたまま、私は頷く。


「ブラジルだったら、そうはいかなかったかもしれない。リオにはファヴェーラっていうスラム街があってね。そこから這い上がるには男の子はサッカー選手、女の子はよっぽど努力していい学校に行くか、お金持ちと結婚するかしかないらしいわ。父親が誰かわからない混血の子なんて、ざらにいるし」


 そういえば小学生の頃、ブラジルの貧困層を取り上げたドキュメンタリー番組を観た記憶がある。たしか、リオデジャネイロでサッカーのワールドカップだかオリンピックだかが行われるのに合わせてのテレビ放送だったはずだ。


「だから、あたしは日本が好き」


 静かな言葉とともに、ふたたび背中からギュッと抱きしめられた。ふわりとシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。


「もえちゃんも、好き」

「はい?」


 どうしてそこで、私が出てくるのだろう?


「なんかさ、もえちゃんてさっきも言ったけど本当に、日本人! て感じがするのよね」

「……それは体型的にってことですか」


 もう一度手を握り返しながら、私はまた膨れてみせた。


「ふふ、違うってば。なんていうのかなあ、うまく言えないけど、あたしにとって理想的な日本の女の子のイメージなのよ」

「…………」

「顔立ちもシュッとしてるし、髪も綺麗な黒髪で可愛いんだけど、でもそういう外見だけじゃなくて。もえちゃんそのものが優しい感じ、っていうのかな」

「優しいですか、私?」

「うん。だってこんな風に、おっぱいだって触らせてくれるし」

「きゃんっ!」


 油断していた。さっきより強めに胸を揉まれて、またしても子犬のような声が出てしまった。


「あ、ほら、谷間」

「え?」


 肩越しの声に視線を下げると、私の鎖骨の間にはささやかな、本当にささやかながら小さな谷間ができていた。


「やった!」


 思わず飛び出るガッツポーズ。


「あはは、ほんとに嬉しそう」

「嬉しいですよ! 生まれて初めての谷間です!」

「彼氏にちゃんと揉んでもらえば、これぐらいはすぐできるかもね。あ、でも微乳好きの男の子もいるか。もえちゃんの未来の彼氏さんは、やっぱりそっち系かなあ」


 どうやら貧乳から微乳にランクアップできたらしい。が、私の頭にはそんなことよりもなぜか、「胸の大きい女性は苦手なんです」とへらりと笑う縁なし眼鏡の顔が思い浮かんでしまった。


「ぜぜぜ、全っ然違います! 思いっ切り違います! 彼氏でもなんでも……じゃなかった、彼氏なんて本当にできそうにありませんから!」


 慌てて激しく頭を振った。


「そうなの? もったいないなあ。あたしがストレートの男だったら、もえちゃんのこと本気で口説いちゃうのに」


 カレンさんがストレートの女性で助かった。いや、そう言ってくれるのは嬉しいけれど。


「じゃ、好きな人は?」

「え? い、いませんよ!」

「ふーん」


 これ以上つっこまれると、自分でもおかしなことを言い出してしまいそうだ。


「あの、ほらカレンさん、あんまりいるとのぼせちゃいますから!」


 顔全体が熱くなった私は、胸に添えられた手を取ってサウナルームから逃げ出そうとした。なんだか仲のいい姉妹みたいな感じでちょっと楽しくもあったけど、三島由紀夫のノートに関する情報収集をしなければいけない、と今さらながら思い出したこともある。


 引っ張られるカレンさんは、妹を見るような顔で「はいはい」と笑ってくれていた。




 あらためてシャワーを浴びたあと、二人並んで脚だけ湯船につけながら考える。さて、どう切りだそうか。

 するとカレンさんの方から両手をついて、こちらに身を乗り出してきた。


「ところでさ――」

「?」


 無意識だろうが、グラビアアイドルまがいのセクシーポーズになっている。目のやり場に困っていると、そのまま聞かれたのは予想外のことだった。


「もえちゃんの家って仏教? 神道?」

「は?」


 たっぷり三秒ほど経ってから、我が家の宗教を聞かれているのだとようやく理解した。


「ああ、うちは神道ですけど」

「ほんと!? やっぱり? ほんとに神道?」


 カレンさんは手を叩いて喜んでいる。


「え、ええ」


 何がそんなに嬉しいのだろう。神道の家はどちらかというと少数派かもしれないが、それでも珍しくはないはずだ。

 戸惑う私に構わず、にこにこ顔のカレンさんはさらにおかしなことを聞いてきた。


「じゃあもえちゃんも、神社とか日本の古い歴史とか好きな人?」

「え? いや……」


 神道だから、ということだろうか。なんと答えていいものか困っていると、ますますテンションが上がった様子でカレンさんが続ける。


「あたしは特に神社が好きなの。巫女服もいいし、神主さんの烏帽子とかも素敵よね。それに八百万の神様たちを大切にする考え方も、自然に優しくていいじゃない?」

「はあ」


 最近、歴史オタクの「歴女」とか呼ばれる女性が増えていると聞いたことがある。カレンさんもその「歴女」なのだろうか。


「じつはね、山川さんじゃないけど、あたしもうちの会員さんたちとそういうサークルをつくって一緒に楽しんでるの。もえちゃんも今度、一緒にどう?」

「そういうサークル?」 


 どうも今日は、よくサークルに勧誘される日だ。こんなこと大学の入学式以来である。しかもチーフ社員さん二人から立て続けにとは。


 あ、とそこで思い出した。いつだったか、


「最近のフィットネスクラブはスタッフや会員さんたちの間で、ランニングサークルや山登り同好会のようなものをつくって、一緒にマラソン大会に出たりハイキングを楽しんだりすることも多いみたいです。クラブ・イン・クラブ、言わばクラブ内クラブ活動と呼ばれるコミュニティですね」


 なんて話を深身先生がしてくれたっけ。老舗のローカルクラブながら、『クロキ・スポーツクラブ』もそうした流れを取り入れているということだろうか。しかしランニングでもハイキングでもなく、UFOと歴史オタクのサークルとは……。


 他に選択肢はないんかい、と脳内でさり気なくつっこんだところで、二の腕に当たる柔らかな感触に気がついた。


「カ、カレンさん?」


 いつの間にか距離が近くなっていて、黒々とした瞳が目の前で輝いている。


「ためしに一度、顔出してみない? 実際に神社巡りとかもしてるのよ」

「神社巡り?」

「そう。日本の歴史を大事にする人たちが集まってるの」


 Fカップの胸を私の腕に当てたまま、カレンさんは微笑んだ。


「『こざくら会』っていうの。ぜひ来てみてね」

「こざくらかい?」


 耳元で囁かれた私は、二の腕の感触も相まって、真っ赤な顔でその名を繰り返すしかなかった。




 結局その後も、歴女スイッチの入ってしまったカレンさんから、どこそこの神社は桜が綺麗だとか、巫女は男女雇用機会均等法の適用外だから女性のみの募集が認められている、といった薀蓄を熱く語られてしまっため、三島由紀夫の話を振るきっかけすら掴めなかった。   


 けど。


 まあ、いいか。


 苦笑とともに帰路についた私は、むしろ上機嫌だった。


「ありがとう。今日は楽しかったわ。もえちゃんと一杯お話しできたし、おっぱいの揉み合いっこまでしちゃったし。なんだかエロ姉妹みたいだけど。あはは」


 そう言って朗らかに笑ってくれたカレンさんと、心から同じ気分だったからである。

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