第20話 大人って凄い
ロッカールームの奥にある大浴場は、珍しく空いていた。
『クロキ・スポーツクラブ』は、お風呂の一部が露天になっていてそれも売りの一つだが、たまたま今日は利用者が少ないようだ。シャワーを浴びてから、先に入ったカレンさんを探しているとサウナルームの扉が開いた。
「もえちゃん、こっちこっち」
長い髪をしっとり湿らせた彼女が手を振っている。笑顔で会釈しながら、招かれるままにサウナルームへと入った。
「サウナ、苦手?」
「いえ、むしろ好きです。トレーニングのあと、私もいつも使わせてもらってます」
「良かった。あたしも好きなの。ここから出て、冷水浴びると気持ちいいのよね」
向かい合って座る褐色の肌は、みずみずしくていつも以上に綺麗だった。うっすらとにじんだ汗が玉になって、豊かな胸の谷間につたい落ちている。
「カレンさん、本当に胸、大きいですね」
つい口にしてしまった。それに引きかえ私のほうは、水の弾き方こそ負けていないかもしれないものの、さっき浴びたシャワーの水滴が、谷間などつくりようもないささやかな坂道の上を実にスムーズに流れている。人生は不公平だ。
「触ってみる?」
「え?」
「たしかにおっきいほうだけどさ、これはこれで疲れるのよ? やっぱり肩も凝るし」
言いながら立ちあがったカレンさんは、私の目の前でくるりと背中を向けた。
「ちょっと脚、開いて」
「カ、カレンさん!?」
どうしていいものやら、よくわからない。
「そのままじゃ、膝の上に座っちゃうでしょ?」
「え、あ、いや……」
どうやら背中越しに、本当にバストを触らせてくれるらしい。しかしこの体勢は……。
「そっか、もえちゃんはこういう態勢で誰かとくっついたことないのね。やっぱり恥ずかしい?」
「……!」
図星を指されて、私の顔はますます上気してしまった。他に誰もいなくて助かった。
「じゃ、いいわ。膝の上に座っちゃうね。重かったり痛かったりしたら言ってね」
「は、はい」
そうして肩越しに微笑まれた直後、目の前一杯に綺麗な背中が広がった。膝の上にゆっくりと体重がかかる。しかし重いというほどでもない。むしろ温かくて、
「柔らかい……」
「あはは、お尻乗せただけで何言ってんのよ。ほんとに柔らかいのは、こっち」
カレンさんはおかしそうに笑いながら、思わず声を漏らした私の両手を取った。
「はい、どうぞ」
「し、失礼します」
「ふふ、ほんと、もえちゃんって可愛いわね」
導かれるままに両手を添えたそのバストは、本当に大きくて柔らかかった。掌からこぼれるほどだ。
「揉んだりしてもいいわよ?」
「え、でも」
「大丈夫よ。もえちゃん相手に感じちゃったりしないから」
「そ、そんなことしません! …………じゃあ、お言葉に甘えてちょっとだけ」
そんなことがどんなことなのかはさておき、私は誘惑に逆らえず、少しだけ両手に力を入れてみた。
「わ、ほんとに大きい」
感動するとともに落ち着きを取り戻した私は、そっと左右から寄せてみたり下から持ちあげたりと、自分の胸では味わえない感触をつい色々と楽しんでしまった。
「あらあら。もえちゃんってば、覚えると意外に大胆になるタイプなのね」
「ご、ごめんなさい!」
「あはは、冗談よ。でも、ちょっとはわかってくれた? こんなのが二十四時間くっついてるんだから。ブラだって大きいのは高いし」
「たしかに。Fカップでしたっけ?」
「うん。アンダー七十の九十二。もえちゃんぐらいのときはもうワンサイズ下だったのに、二十歳すぎてからも成長しちゃって」
「……羨ましい悩みです」
アンダーバストこそそう変わらないので、余計に悲しくなる。
「じゃ、今度はもえちゃんのおっぱい、触らせて?」
「え? で、でも私のなんて小さいから、触っても面白くもなんともないですよ」
「だーめ。あたしにだけこんなエッチなことしといて。他のスタッフにも言っちゃうわよ? もえちゃんてば意外に大胆でグイグイ来るの、って」
なかば予想していた展開とはいえ、一応は抵抗をこころみたが無駄だった。山川さんが言っていた「あんなことや、こんなこと」も、あながち的外れではなかったかもしれない。
「揉んだだけじゃないですか! しかもエッチなことなんてしてないし……って、あ、や……ちょっと」
知らない人が聞いたら意味のわからない否定をしている間に、いたずらっぽく微笑んだカレンさんは、「えいっ」と意外な力で私の腕を取り後ろに回り込んでいる。
長い脚の間に腰をおろす格好にさせられた私は、妙に慣れているその仕草に、(大人って凄い)などとおかしな感心をしてしまうばかりだった。
「そうだ。約束通り、先に肩揉んであげるね」
言うが早いか、カレンさんは私の肩に手を添えて丁寧に揉みほぐし始めてくれた。
「あ……気持ちいい……」
「でしょ? こう見えてもなかなか上手いって、よく言われるのよ」
誰に、とはさすがに聞けなかった。カレンさんぐらい綺麗なら、ボーイフレンドの一人や二人、いることだろう。
「今、誰に? とか考えたでしょう?」
「す、すみません」
あっさり見抜かれていたらしい。やっぱり大人にはかなわない。
「残念でした。正解は母親よ。あたし実家暮らしだから、よく母さんの肩を揉んであげるの」
「そうなんですか」
意外と言っては失礼だが、やっぱり意外だった。独身なのは知っていたが、お洒落なマンションでシングルライフを満喫しているようなイメージを勝手に抱いていたからだ。
「もえちゃん、ウエストも細いのね」
気が付くと肩から背中、腰と気持ち良く揉みほぐしてくれたその手が、腰骨の辺りを優しく包んでいる。
「ウエストも、ってなんですか」
すっかり安心して身を任せるようになっていた私は、軽く頬を膨らませてみせた。「あはは、ごめんごめん」という声をサウナルームに響かせながら、両手がさするような動きで上のほうへと戻ってくる。
「肌も白くて綺麗ね。ザ・日本人、って感じ」
「……それってお尻が大きくて、胸が小さいってことですか」
もう一度、頬を膨らませて振り返った途端、
「ひゃ……」
思わず妙な声が出てしまった。
脇から回された手が、まさぐるように私の胸全体を覆っている。
「ふーん。たしかにAカップっぽいかも」
「ちょ……カレンさん、ずるいです」
「でもこれぐらいなら、頑張って寄せれば谷間もつくれるわよ。貧乳っていうより微乳って感じじゃないかな」
「本当ですか!?」
二人羽織りのような格好のまま、思いっ切り嬉しそうな声を出してしまった。
「うん。それにもえちゃん、やっぱり姿勢がいいから、そんなに気にすることないわよ」
「ありがとうござい……きゃん!」
自分がやったのと同じように優しく揉まれただけだが、なぜか小動物のような声が漏れてしまい、むしろそっちのほうが恥ずかしかった。
「あはは、ほんと可愛いなあ」
「ちょ……カレンさん、揉みすぎですってば」
「だって気持ちいいんだもん。もえちゃんの彼氏さんになる人が羨ましい!」
「そんなマニアックな人、いませんよ……」
言っていて自分で悲しくなったが、頭の片隅に一瞬――ほんの一瞬だけ、冴えない縁なし眼鏡が浮かんでしまった。いや、きっと気のせいだ。気のせいに違いない、うん。
と、私の胸に手を添えたまま、カレンさんがささやくように呟いた。
「マジで可愛くて羨ましい」
「え?」
「あたし、もえちゃんのこと、好きよ」
「ええ!?」




