第1話 ふんどし、筋肉、日本刀
いつもながら、図書館のなかは暖房が効き過ぎていた。
モスクワじゃあるまいし……。
首のマフラーを外した私は、声に出さずつぶやいた。モスクワになんて行ったことはないが、ようするにかなりの暑がりなのだ。
実際、バスケ部の仲間にすら「もえって、本当に代謝がいいわよねえ」「好きな物食べても大丈夫でしょ? 羨ましいわ」などとよく言われる。冬場にもかかわらず電車内で私だけがTシャツ姿で、周囲の人に驚いた顔をされてしまうことも。
だからか、人より汗っかきでもある。健康面を考えると悪いことではないのかもしれない。ただ、デートの際などはやはり気を遣う……のだろう。残念ながらそんな機会は訪れたためしがないから、よくわからないけれど。
私、早坂もえは都内のキャンパスに通う大学二年生だ。先日、二十歳になった。
学内では女子バスケ部に所属しているが、大学自体がスポーツに大して力を入れていないこともあって練習は週に三~四日しかなく、高校のとき地区の選抜チームにちょっと選ばれた程度の私が一年からレギュラーになれるような、まあ言ってみれば弱小チームである。
とはいってもやはり身体を動かすのは好きなので、スタッフは施設を無料利用できるという特典にひかれて、その一年生の頃はフィットネスクラブでアルバイトなどもしていた。
バイト先にお洒落なカフェなんぞを選ぼうとしない時点で、我ながら「女子力」の低さが露呈しているとは思う。思うけど仕方ない。女の子は自然体でいられるときが一番輝いているのだ。多分。
そんなこんなで同じように女子力の高くない、スカートよりもジャージが似合うチームメイトたちに囲まれながら、ノート持ち込み禁止のテストや小難しいレポート課題にひいひい言ったりもしつつ、私は華の(?)女子大生生活を一応は楽しく過ごしている。
この日も私は、国文学の授業で出された「三島由紀夫の作品を一つ選び、それが執筆された背景について調べること」という、お題はシンプルなくせに意外と手間がかかりそうなレポートに取り組むため、キャンパス内の図書館にきていた。
お目当ての国文学の書棚へと近づき、さっそく《三島由紀夫》と記されたブックスタンドを発見する。
大学の図書館というのは市民図書館などと違い、小説や雑誌といった「読み物」はほとんど置いておらず蔵書の大部分が専門書だ。最高学府たるものそうでなければ逆に困るのだけど、それでもこうした文学系の棚だけは、名作と言われる小説が高価そうなハードカバーで鎮座している。
加えて、夏目漱石や太宰治といった古典的文豪だけでなく村上春樹なども棚に加えてくれているので、じつは私もそれらを何度か借りたことがあった。
「あれ?」
そんななかで難なく発見した《三島由紀夫》のスペースを覗き込んだ私は、首を傾げてしまった。
一冊も、ない?
《三島由紀夫》と記されたブックスタンドから次の《森鴎外》まで、十冊分以上はありそうなスペースが丸々空いている。念のため、反対側にずらりと並んだ本の背表紙を確認してみたものの、こちらは《正岡子規》の作品集だった。
まさか、全部貸し出し中?
同じ授業に出ていた人たちが一斉に借りたのだろうか。けど、出欠など取ったためしがない講義だし今日の出席者も十人程度。しかも授業が終わったその足で図書館にやってきたから、出遅れたということもないはずだ。たまたまかもしれない。
いずれにせよ、少々困ったことになった。レポートの提出期限までは十分に間があるとはいえ、いったん始めたことは早めに始末してしまいたいというのが私の性分なのだ。
明日にでも、市立図書館の方に行ってみようかな。
善後策を考えながら、とりあえず出入り口へと引き返すことにした私は、だがすぐに足を止めることとなった。
通りがかった閲覧テーブルに、まさに《三島由紀夫》と記された大量の本が積み上げられていたからである。
「な……!?」
そのまま声まで出そうになって、ハッと口もとを押さえる。
見下ろした先には、たしかに三島由紀夫の本がうず高く積み上げられている。しかしそれ以上に驚かされたのは、本のかたわらに広げられた写真の数々だった。
「ふ、ふんどし? 筋肉? 日本刀?」
なんの脈絡もない、ついでに言えば女子大生には似つかわしくない単語が、視界から入る情報そのままに口からこぼれ出てしまう。近くに誰もいなくて助かった。
三島由紀夫の作品群に囲まれている何枚もの写真。そのいずれもが、男性の裸を写したものだった。
さいわいなことに(?)フルヌードは一枚もないが、ふんどし一丁で遠い目をしていたり、鍛え上げた上半身で日本刀を構えていたりと、なんだか私の知らないあっち側、新宿二丁目あたりの香りが漂っている気もする。しかもよく見ると、モデルは全部同じ人のようだ。
すると。
「綺麗ですね」
「きゃあっ!?」
耳もとで突然囁かれた声に、さらに大きな声を上げてしまった。さすがにカウンターまで聞こえたらしく、女性スタッフから咎めるような視線を向けられ慌てて頭を下げる。
何事かと振り返ると、目の前に一人の男性が立っていた。




