第14話 世界の『ハヤサカ』
『Hayasaka Ironworks』と彫られたプレートだけは立派な門を抜けて、ガレージ兼資材置き場になっている一階事務所の横を、私は小走りに駆け抜けた。その先が早坂家の母屋である。
平屋ながら各部屋の間取りが大きく、裏手には工場もあるので土地だけは広い。といっても建物その他いずれも年季が入っているから、見た目はやはり「ちょっと大きな町工場」といったところだ。この時間は従業員もみんな帰っておりガレージも空いている。
「ただいま!」
玄関を開けて、靴を脱ぐのももどかしく居間へと向かう。
ドアを開けると本当に、いかついスキンヘッドと野暮ったい縁なし眼鏡がおでんの皿を囲んでいた。
「おう、早かったな。そんなに深身先生に会いたかった――」
「違うわよ!」
「僕も会いたかったですよ、もえさん」
「え……あ、どうもありが……って、だから違うって言ってるでしょうが!」
お得意の天然イケメン台詞にどぎまぎしそうになったものの、危うく踏み留まった。
「電話でも言ったけど、なんで先生、突然うちに来てるんですか! 今回の取材と全然関係ないでしょう!」
気を取り直した勢いのまま、さっそく抗議に移る。
「ええ、単なる僕の興味です。もっと正直に言えば――」
「?」
「もえさんの育ったおうちを、見てみたくて」
「な……」
今度は、はっきりと耳が熱くなるのがわかった。
「なんだ、もえ。ちょっと顔が赤いぞ? うちまで我慢できなくて、一杯引っかけてきたのか?」
「なんでそうなるのよ!」
鈍感な父親で助かった。それに深身先生の台詞も、どうせいつもの天然もの(?)のはずだ。
「お父さんにもあらためてお話しさせていただいたんですが、ウエイトトレーニングの世界における『ハヤサカ』のネームバリューは、本当に世界レベルなんですよ」
いつものように私の抗議など無視して、先生は語り始めた。眼鏡の奥の瞳が無邪気に輝いている。好きなこと、興味を持っていることについて語るときの顔だ。
「派手さはないけれど情熱的なクラフトマンシップに裏打ちされた高い品質で、真剣にトレーニングに取り組む人ほど愛用するブランド、という位置づけです。欧米のトレーナーの間では、『ハヤサカ』のバーベルやダンベルを自分たちのトレーニングルームに置くことは、一つのステータスになっているほどです」
スキンヘッド全体を朱に染めた、その「世界のハヤサカ」の社長、つまり我が父は嬉しそうに頷いている。
「トレーニングルームだけじゃありません。ご存知の通りウエイトリフティング競技においても、オリンピックや世界選手権など名だたる競技現場でハヤサカのバーベルが正式採用されています。たしか最初は1964年、前の東京オリンピックでしたよね」
「おお、さっすが先生、よく知ってるなあ。そうそう、当時はそんな物好きなもんつくれるのが国内ではうちの祖父さんぐらいでね。しかもやたらと出来がよかったらしくて、一発でオリンピックに採用されたんだと。それがきっかけで、世界中から生産が舞い込むようになったって言ってたよ」
「なるほど。お父さんの素晴らしい技術は、親子代々受け継がれてきたものなんですねえ」
「いやいや、祖父さんや親父に比べりゃまだまだよ。あ、東京オリンピックと言えば、その祖父さんが三嶽選手と昔からの知り合いだったらしくてさ。お金がなかった彼は、大会前までずっとうちのガレージで練習してたんだそうだ」
「なんと! そうだったんですか!? ガレージというのは、外にある?」
「ああ。あそこにお手製のプラットフォームを敷いて、朝から晩までやってたらしいぜ」
二人の変人男は大いに盛り上がっている。詳しいことはよくわからないが、前回の東京オリンピックの頃の話のようだ。
そういえばウエイトリフティング、つまり重量挙げの往年の名選手がうちのガレージでトレーニングしていたという話は、私も子どもの頃に聞かされた覚えがある。たしかその選手の娘さんもウエイトリフティング選手で、いつぞやのオリンピックでもメダルを取っていたはずだ。
「感激です! あの〝東洋の力業師〟のホームジムの目の前で食事ができるなんて。あとで写真を撮らせていただいてもいいですか?」
「もちろん。好きに撮ってくれて構わないよ。たしか当時の練習用バーベルもまだ残ってたはずだから、触っていくかい?」
「おお、それは凄い! ぜひお願いします!」
深身先生は、テーマパークに連れてきてもらった子供ばりにはしゃいでいる。もはやそれ以上怒る気の失せた私は、苦笑とともに釘だけ刺しておいた。
「先生、喜ぶのはわかりますけど取材対象を間違えないでくださいね」
「ええ、もちろんです。というか、さすがですね。世界一のバーベルをつくる血筋と、オリンピックメダリストがトレーニングしていたガレージ。もえさんの素敵なアキレス腱や綺麗なスクワットは、こういう恵まれた環境で育まれたんですねえ」
「残念ながら、あたしが筋トレを覚えたのは高校からです」
たしかに覚えたての頃は、ガレージで自主トレとかもよくやっていたけれど、トレーニングの上手さに育ちとか関係あるのだろうか。
「ていうか、アキレス腱とかスクワットばっかり褒められても全然嬉しくないんですけど」
口をとがらせつつテーブルの空いた皿を手早く下げてあげると、「ありがとうございます」とにっこり微笑まれた。悔しいが、中身を知らなかったら本当に好印象の笑顔である。
「運動ばっかりしてるけどなかなか気が利くだろ、先生? これでもうちょっとスタイルよけりゃ申し分なかったんだがな。すまねえなあ、俺の遺伝子が力不足で」
「いえいえ。そもそも僕、胸の大きい女性は苦手なんですよ」
いい大人とは思えない、完全なるセクハラ会話が飛んできた。
「二人とも、思いっきり聞こえてるわよ! 昭和の時代みたいなセクハラ発言しないでよね!」
当時のことなど欠片も知らないものの、皿を流しに入れながら私は顔を真っ赤にして抗議した。




