第13話 家にお邪魔してます
《――というわけなんです。ごめんなさい、あんまり情報収集できなくて》
《いえいえ。むしろ順調なくらいですよ。今日もありがとう》
優しい台詞とともに、可愛らしいマグカップのスタンプが返信されてきて、私の顔は自然にほころんでしまった。
直接会うときも、これぐらい素直ならいいのに。
とはさすがにスマートフォンの画面には打ち込まず、心のなかだけに留めておく。
帰りの電車内で私は、いつものように深身先生へ調査状況をメッセージで報告していた。もちろん私の恋愛経験云々などの、くだらない部分は省いてだ。調査そのものに特に進展がなくても「潜入してくれている、もえさんの安全確認も兼ねていますから」と、毎日の簡単な報告だけは義務づけられているのである。
とはいっても、今のところ毎回こんな感じのやり取りで、その後の会話も、
《ところでもえさん、カプチーノの他にカフェモカなんかは好きですか?》
《あ、好きですよ。今度事務所に行ったとき、作ってください!》
《はは、ちょうどそうしようと思ったので、確認してみました》
などといった、どうでもいい話ばかりだ。それも私が家の最寄駅に着くまでの、ほんの十五分程度の間だけだが、それでも少なからずほっとする。やはり『クロキ・スポーツクラブ』での潜入アルバイトは、無意識の内に気を張っているのかもしれない。
「いつも言っていますけど、くれぐれも無理はしないでくださいね。もえさんは、たった一人の大切なアシスタントなんですから」
メッセージ以外にも、週に一度は事務所に足を運んで詳しい調査状況を報告しているが、その度にこう言って気遣ってもくれる。まあ、たった一人の大切な、などと言ってくれてはいるけど、翻訳すれば「唯一の貴重な手下」ということだろう。下手をすれば誤解されそうな、こんな台詞をしれっと言ってのけるのだから、天然の残念イケメンは始末が悪い。
《あ、そうそう》
そこでなぜかメッセージが途切れ、一分ほど経ってから続きが送られてきた。
《今、僕》
またしても途切れる。何か忙しい仕事をしながら、打っているのだろうか。
《もえさんの》
《先生、大丈夫ですか?》
不自然な会話が少し心配になって、私は急いで返信した。が、続きはなかなか送られてこない。
《深身先生?》
まだ返事が来ない。会話の中身も非常に気になる。
《先生? どうしたんですか? 私の、なんですか?》
さらに一分以上間隔が開き、本気で心配になってきたところで、やっと返信がきた。
ただし、それは私の心拍数を別の意味で跳ね上がらせるものだった。
《家にお邪魔してます》
「はあ!?」
思わず大きな声が出て、ドア脇に立っていたサラリーマンらしき男性に、思いきり振り向かれてしまった。「すみません」と小声で謝りながら、もう一度スマートフォンの画面を見直すと、続けて一枚の写真も送られてきている。
画面の手前に、深身先生の顔が半分。そして対面の位置には、楽しそうに笑うスキンヘッドの男性。
「ちょ……お――!?」
「お父さん、何やってんのよ!」というつっこみを、私はなんとか飲み込んだ。
目を剥いたままよく見ると、二人は黄金の液体が入ったグラスを手にしている。SNSなら「#親友と宅飲み」とでも書かれていそうな写真だ。
《なんでせんさいがお父さんとのんえるんどすか!!?》
動揺のあまり、文字を入力する指があらぬ方向に滑ってしまい、しかもそのまま送信してしまった。
《事後報告ですみません。世界に冠たる早坂鉄工所は一度、是非見学に伺いたいと前々から思っていたんです。大事なお嬢さんをお預かりしている挨拶も兼ねてお邪魔したら、お父さんとすっかり意気投合してしまった、という次第でして》
しれっとした返事に目を白黒させていると、今度は別のアプリに着信があった。
《今、深身先生からメッシがいったと思うが、そんなわけで二人で楽しく飲んでる。お前ももうすぐ家に着くだろうから、ちょいとつき合ってくれ》
ちなみに父親、早坂正はスマートフォンなど使えないガラケー派のため、私のほうで専用のアプリを入れて会話する羽目になっている。
ていうか、メッシじゃなくてメッセでしょうが! サッカー選手か!
ふたたび声には出さないままつっこんでいると、同じアプリに続けてのメッセージが入った。
《しかし深身先生は、いい男だなあ。しかも独身らしいぞ。もえ、どうだ?》
心拍数がますます上がった私は、一つ手前の駅にもかかわらず、電車が止まった瞬間にホームへ飛び降りた。電光石火の速さで通話アプリに切り替え、発信ボタンをタップする。
「何やってんのよ、二人して! 先生はうちの大学の講師だけど、かなりの変人なの! そりゃあたしかに黙ってればイケメンだし、優しいメッセージもくれるし、美味しいカプチーノだって淹れてくれるけど、でも、そんなんじゃありません! ていうか、どうだって何がどうなのよ!? まさかお父さん、深身先生本人にまで――」
「あのー、もえさん?」
相手が、「もしもし」も言わないうちから一気にまくしたてていた私は、返ってきた声にハッとした。
「!! せ、先生!?」
「ええ。深身です。だってこれ、僕の携帯ですから。もえさん、お父さんと間違えてかけてません?」
またしても心拍数が上がった。
「ご、ごめんなさい! あたし、興奮しててつい!」
「いえいえ。でも嬉しいですねえ。僕の声を聞いて興奮してくださるなんて」
「そういう意味じゃないわよっ!」
動揺しまくって、ついにはタメ口になってしまった。
「まあ、そんなわけでお父さんと一緒にお待ちしていますから。ではでは」
「どんなわけですか! 大体、先生――」
しかし、ささやかな抗議も空しく電話は既に切られていた。
その後、次の電車が来るまで十分近くも待たされた私は、ますます怒りを募らせながら家へと飛んで帰ったのだった。




