第12話 それ以上言ったらセクハラです!
「ちゃんと記録をつけてればね。でもだめよ。徳田さんたちだけじゃないけど、普通の人たちは大抵トレーニングノートなんてつけないでしょ。せいぜい体重と血圧ぐらいのもんよ。ま、あたしたちオネエもだけど」
「たしかに。しかも体重も全然変わってないわよね、あの見た目だと」
山川さんとカレンさんが苦笑している通りだ。やはりトレーニング記録をいちいち取るのは、一部愛好家の習慣に過ぎないらしい。
よく考えたら私だって、自分の記録なんてつけた試しがない。やるエクササイズは大体同じだし、普段の重さや回数なども自然と頭のなかに入っている。
ちなみに「筋肉をつける」とよく言うが、それは言葉としては正解ではなく、どちらかといえば今ある筋肉の線維が太くなるほうがメインで、生理学的にも「筋肥大」と呼ぶのだとか。
「もちろん、あたし自身はしっかりノートを取ってるけどね」
妙に上手なウインクとともに、山川さんが大きな力こぶを作ってみせる。
ユニフォームはポロシャツのはずなのに、身体にぴったりフィットするコンプレッション・ウェアのようになって袖がパンパンに張っている。しかもポーズも様になっていて、オネエとはいえ(?)『ミスター東京』は伊達ではない、と妙な感心をしてしまった。
「でもどうして? 誰か会員さんに、そんなこと聞かれたの?」
カレンさんに小首を傾げられて、私は慌ててごまかした。
「あ、ええ、まあ。それにほら、うちのジムって年配の方も多いですし」
「そうね。手前味噌だけど、会員さんの定着率も悪くないからね」
くっきりしたラテン顔から、「手前味噌」などという単語が出てくるのがちょっと面白い。それはさておき、『クロキ・スポーツクラブ』の経営はまあまあ安定しているようだ。
「日本のフィットネスクラブの退会率がたしか毎月三~四パーセントだけど、うちはそれより低いんじゃないかな。一番退会が増えるのは二月三月で変わらないけど、新規の会員さんが翌月あたりで同じくらいか、年によっては抜けた以上に入会してくれるし」
「へえ」
その時期に会員さんの入れ替わりが激しいのは、年度替わりに伴う転勤や引越しがあるからだ。全国展開している大手なら、転居した先でも最寄りの系列クラブに通ったりできるが、この町にしかないローカルクラブである『クロキ・スポーツクラブ』ではそうもいかない。そんななかで会員数を保っているのだから、たしかになかなかのものだと思う。
「ちらっと聞いたんですけど、うちのクラブの前もジムをやってたんですよね、ここ」
深身先生からの情報をもとに、わざとらしく続けてみた。話の流れ的には不自然ではないはずだ。
「みたいね。どっちかっていうと、ボディビル・ジムらしいけど。そうよね?」
その手の話はこっちに訊いて、と言わんばかりにカレンさんが山川さんを見る。
「ええ。なんか、当時の有名なビルダーさんも通ってたみたい。羨ましいわよねえ。今だったらあたし、自分が会員になっちゃうわ」
ミスター東京は楽しそうに答えている。話がだんだん核心に近づいてきた。そろそろ三島由紀夫の名前を出しても、違和感はないかもしれない。
「あの、大学で教わったんですけど――」と、続けようとしたそのとき。
「はいよ、失礼するよ」
元気のいいノックとともに、今度は七十歳くらいのごま塩頭のおじいさんがひょいと部屋に入ってきた。右手にモップ、左手には大きなバケツを持ち、さらに腰には大きな道具袋もぶら下げている。
「あれ? タマさん、まだいたの?」
「今日は子どもたちの水泳教室の日じゃったからな。プールにうんこでもされてたらかなわんから、入念に掃除しといたわい」
「ちょっと、女性の前で下品なこと言わないでよ」
「おう、すまんすまん。けど山川さんは、女というより筋肉オカマじゃろ。はっはっは」
チーフトレーナーに対して、笑顔のまま失礼なことを言っているこのおじいさんは、クラブの用務員で「タマさん」と呼ばれている。
飄々としているけれどクラブ全体のことに詳しく、また掃除だけでなく駐車場の誘導やちょっとしたトレーニングマシンの修理など、何かと多い雑用もこまめに処理してくれる頼りになる人だ。私もジム内の道具の場所や、古いマシンの癖などを色々と教えてもらって、勤務初日からかなり助けられた。
たしかタマイだかタマキだかそんな名字だったはずだが、スタッフどころか会員さんまで「タマさん」と親しみを込めて呼んでいるので、私もすでに本名は忘れてしまった。
「それにしても、おっぱいさんまで雁首揃えてどうした。新しいアルバイトのお嬢ちゃんに、説教でもしてたのか」
「いつも言ってるけど、その呼び方、お客さんの前では絶対にしないでよね」
組んだ腕からバストをはみ出させながら、カレンさんが渋い顔をしている。
「すまんすまん。でも褒めてるんじゃぞ。胸が立派なのはいいことだしの。ちっぱいよりおっぱいってな。のう?」
「な、なんで私を見るんですか!?」
すかさず抗議するも、タマさんはさっさと背を向けて掃除道具をロッカーにしまっている。どうも最近、人の話を聞かないセクハラ男性と知り合ってばかりの気がする。
「お説教なんてするわけないでしょ。もえちゃんは、うちの部署の期待のホープなんだから」
「あら、フロントだってもえちゃんは欲しいんだから。筋肉オカマの顔を見飽きたら、いつでも移籍させてあげるから言ってね」
「何よ、この巨乳ラテン女! ちょっとおっぱいがでかいからって生意気な」
「胸の大きさと生意気さとは、関係ないでしょうが!」
カレンさんと山川さんは、ともすればこうして憎まれ口を叩き合っているのだが、そのテンポの良さを見ると逆に仲がいいのではと思えてしまう。
「もえちゃんに訊かれたから、うちのクラブの歴史についてレクチャーしてあげてたのよ」
気を取り直したカレンさんの答えに、タマさんは怪訝な顔でこちらを振り返った。
「うちの歴史? お嬢ちゃん、なんでそんなことを知りたいんじゃ?」
「あ、いえ、違うんです。年配の会員さんも多いし、クラブができた頃から通ってらっしゃる方もいるんだろうなあって思ったから、お二人になんとなく質問してただけで」
「なんじゃ、そういうことか」
「え、ええ」
すると、Fカップとみずから語っていた見事なバストを揺らしながら、カレンさんが思い出したように手を叩いた。
「うちのクラブのことなら、タマさんのほうが詳しいんじゃない?」
「たしかにそうね。タマさん、あたしたちが入社したときからタマさんだったものね」
山川さんもよくわからない同意を示しているものの、当のタマさんは困った顔で首を振るだけだった。
「いやいや。たしかにうちのクラブができたときから、わしゃいるけどな。こう見えても、しがない用務員じゃよ」
「あら、最初から?」
「もちろん。おっぱいさんの立派なおっぱいが、ちっぱいだった頃からな」
だからなんでこっちを見ながら言うんですか、とつっこみたいのを我慢して、私も気になったことを尋ねてみた。
「でも、さっきカレンさんが、うちのクラブは四、五十年前にできたって仰ってましたよね。ていうことはタマさん、若い頃から用務員一筋なんですか? そもそもタマさんて、おいくつなんですか?」
つい思いつくままに疑問を並べてしまったからか、タマさんはますます困惑した顔になっている。
「おやおや、お嬢ちゃんまで変なことに興味を持つのう。わしの年齢はひ・み・つじゃ。永遠の若大将とだけ言っておこうかの。そもそも、若い頃、とはちょっと失礼じゃぞ。わしゃまだまだ現役よ」
「あら、何が?」
「なんじゃ、筋肉オカマのくせにわからんのか? そりゃあ決まって――」
「そこまで! あんたたち、それ以上言ったらセクハラだからね。ここには彼氏ができたことすらない、いたいけな女子大生だっているんだから」
すでに十二分にセクハラになっている気がするが、カレンさんが一応ストップをかけてくれる。
ほっとした私は、しかし数秒後には赤い顔のまま叫ぶ羽目になった。
「……カレンさん、今なんて言いました?」
「え? 二人がセクハラ発言したってこと?」
「いえ、あの、そのあとです!」
「ん?」
ふたたび腕を組みつつカレンさんは首を傾げていたが、すぐに気づいたらしい。
「ああ、なんだ。もえちゃんに彼氏ができたことない――」
「ほ、ほっといてください!」
とはいえ、思いっきり図星ではある。でも仕方ないではないか。うちの大学は女子のほうが多いし、それまでだって中高一貫の女子校だったのだから。バレンタインだって、いまだに後輩の女の子からもらってばかりだ。
「あらやだ、もえちゃんったらずーっと独り身なの? もったいないわねえ。黙ってれば可愛いのに」
「ま、いいんじゃないかの。まだ学生なんだし。そのうち、昔のわしみたいないい男に出会うじゃろ。それまでは筋トレが恋人ってことで」
山川さんとタマさんまで言いたい放題である。しかも悪気がないのがわかるだけに、余計に始末が悪い。
どうでもいいことだけど、「いい男」という単語のところでなぜか、ぼさぼさ頭と縁なし眼鏡の残念イケメン顔が一瞬だけ脳裏に浮かんでしまったのは、きっと気のせいだろう。いや、絶対に気のせいだ。
「ありがとうございます! 筋トレが恋人の女に気を遣って下さって!」
呆れた私は「お疲れ様でした!」とわざとらしく頬をふくらませてみせると、タイムカードを切って休憩室をあとにした。
この話の流れでは、どっちにせよあれ以上の収穫は無理だろう。クラブの歴史を取っかかりにしての話は、またあらためてタマさんにでも訊いてみよう、と考えながら。




