プロローグ
スポーツ、フィットネスをテーマにした中編ライトミステリです。
© Lamine Mukae
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――「私を見抜いて下さい」と、とうとう私は言った。「私は、お考えのような人間ではありません。私の本心を見抜いて下さい」――(『金閣寺』より)
久しぶりに会った彼は、はにかんでいた。
「自分で言うのもなんだけど、これは僕の死後、少しは価値がつくかもしれない。捨てるのも忍びないし、預かっておいてくれないか?」
みずからも好きだと語っていた歌舞伎の舞台に、そのまま立てそうなくっきりした面立ちと、厚みのある身体。
頑健、精強という言葉を絵に描いたような見た目だが、仮に自分自身でそれを表現するなら、もっともっと美しい言葉を紡ぎ出すことだろう。素人の私でもそう確信できるほど、彼の才能は輝きに溢れていた。
「僕はね、本当は自分の名前が好きじゃないんだ」
「え?」
思わず聞き返してしまった。今では海外でも知られる、その名が?
「いや、本名のほうだよ。なんか大上段に振りかぶり過ぎてるっていうか、力が入り過ぎてるっていうか。ボディビルに夢中になったのは、そのせいかもしれないね。はは」
「…………」
好きじゃない、と彼自身が語る本名を知っている身としては、なんと答えていいものかわからない。
「おおやけのちから、なんて僕には荷が重いんだよ。本当は」
濃い眉をハの字にして恥ずかしそうに笑う姿は、身体つきこそさらに逞しくなっているものの、中身はナイーブな青年のままだった。テレビや雑誌で目にする機会も最近はますます増えたが、あのマッチョなイメージはマスコミ用のものらしい。
「いつか、それを託すに相応しい方に出会えたときは、ぜひ渡してあげてくれ。きっと驚かれると思う」
はにかんだ笑顔のまま、「では」と小さく手を振り歩み去ってゆく。
それが、私が彼を見た最後だった。