K国の掟
とある地方に存在するK国。美しい街並みに豊かな自然、暮らす人々はみな幸福感に包まれ、笑い声は絶えない。決して経済的には豊かではないかもしれないが、幸福度ではどの国にも引けを取らない。
そんなあらゆる時代の為政者たちがうらやむようなK国にはただ一つ、不思議な点がある。それは国のどこを探しても赤色が見当たらないこと。建物の色は勿論、人々の服装や髪の毛、果ては果物屋に並ぶ果物まで。ありとあらゆる赤色がこの国には存在しない。その理由はK国の女王が決めた一つの掟があるからだ。
――K国法第九十六条 K国内では、あらゆる場面において、赤色を用いることを禁止する。これに違反した場合、他のあらゆる法を差し置いて、極刑が下される。
現女王により定められたこの法は通称、赤排法と呼ばれて国民たちに順守されている。なぜこんな法律を定めたのか。専門家の間では様々な意見が飛び交っている。例えば、赤色は人々を興奮させる作用があるから、だとか、かつてK国が赤色の入った国旗の国に占領されていたから、とか様々だ。だが中でも最も有力だとされているのは、赤色に対する恐怖を植えつけるためだ。赤色、それは人間の血液の色。他傷、自傷問わず傷をつければ血が出る。流血が誰かに見つかった時点でこの掟が適用されるのだ。当然、殺人はおろか、単純な殴り合いだってやすやすとできないわけである。事実、この掟が適用されて以来、K国内における犯罪件数はぐんぐんと下がった。一見奇妙な赤排法はK国の平和を支える重要な掟となったのである。
……とまあ長々と書かれた赤排法のコラムを読み終えた俺はそのまま新聞を閉じて、目の前に置かれたコーヒーカップに手を伸ばす。熱いと思って恐る恐るすするも、コーヒーは既にぬるくなってしまっていた。ビビッて損をしたと、俺は決して少なくはない残りのコーヒーを一気に飲み干す。空になったカップを元の位置へと戻し、ふうと一息ついたところで、俺の耳にはある二人組の男たちの会話が聞こえてきた。
「……だからよう、また出たらしいぜ。赤排法の違反者」
「本当かよ、最近多くねえか? 一週間に一人くらいのペースで違反者が出てるぞ」
「ああ。……にしても、赤排法違反で死刑ってのは嘘じゃなかったんだな。お前も気をつけろよ?」
「はっ! 俺がそんな間抜けなことすると思うかよ?」
どうやら赤排法違反で死刑になる人がここ最近相次いで現れているらしい。
「ふうん、世の中には物好きな奴もいるもんだな」
俺はぼそりとそうつぶやき、ポケットから小銭を取り出して机の上のおき、喫茶店を出る。季節は秋。店の外では丁度良い風が吹き、俺のほほを撫でる。そんな季節の愛撫に心を癒された俺は、何かやることがあるわけでもないからと、適当に商店街をふらつくことにした。
日が傾き始めた午後。平日だからさして人が出歩いているわけでもない。ひとりで散歩をするにはちょうどいい。俺はのんびりと歩きながら客足が少なくて暇そうにしている商店街の店員たちを眺める。
「……それにしても、本当に赤色がないな。赤色があればもっと鮮やかだろうに」
決して犯罪発生率が低いことを不満に思っているわけじゃない。むしろありがたい、そう思う。だけど、平坦で、山や谷の無い、そんな生活って果たして楽しいんだろうか。俺はたまにそんなことを考える。犯罪が多い方がいいだなんて、不謹慎にもほどがあるかもしれない。でも時には刺激だって欲しい。今の生活はこう、眠たくなるような、そんな感じなのだ。
「刺激がほしいなあ」
ぼそりと俺がつぶやく。直後、ふと視線を感じた。ちょっと先に立っている、黒いローブに身を包んだ女性が俺の方を見て少しだけ笑ったような気がした。まさか、聞かれたか?……いや、それはない。きっと風の音にかき消されたはずだ。俺はそう思って彼女の横を素通りしようとした。
「……刺激、欲しいですか?」
俺はハッとした。驚いて彼女の方を向くと、口角を上げてにやりと笑っていた。フードのせいで目元はよく見えないが、わずかに見えるその頬は、恍惚としているのが確かに見受けられた。……苦節二十六年、色恋沙汰にめっぽう疎かった俺はその瞬間、心臓がものすごい音を立てて血液を送り出すのを聞いた。冷静さを失った俺は、無言でうなずいた。彼女は満足そうに笑うと、すぐ近くの路地裏へと入っていく。俺もそれに倣って、後に続く。俺の呼吸はどんどん早くなる。そんな俺を後目に、彼女は大通りから随分と離れたところまで進んだ。そして急に立ち止まり、俺の方をゆっくりと振り返った。
「さて、と。それじゃあ、刺激あげるわね」
心臓の高鳴りを抑えきれない俺は思わず目を閉じた。どうして目を閉じたのか。閉じてしまったのか。
「っ!?」
再び目を開けた俺の目にまず飛び込んできたのは彼女の右手に握られた一本のナイフ。そしてその先端からは……赤色がしたたり落ちていた。直後、俺は腹に鋭い痛みが走るのを感じた。
「あ……。赤い……色……」
俺の身体は見る見るうちに赤く染まっていく。もはや痛みを感じる余裕なんてない。俺はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
「はぁ……、たまらない、この刺激。ちゃんと味わってもらえたかしら? ……っと、返り血はだめよ。あたしまで違反になっちゃうわ」
意識がどんどんと薄れていく。彼女は一体、何を言っているんだ。赤色を生み出したのはこの女性ではないのか。そう言いたいが声が出ない。いつの間にか喉もつぶされていたらしい。ひゅうひゅうと喉から空気が漏れる音がする。幸い、といっていいのかわからないが、彼女は俺の言いたいことを察して答えた。
「真っ赤なお洋服に身を包んでいたのはあなたでしょう? だからあたしはあなたを極刑に処したのよ?」
真っ赤に染まった俺にはもう十分に酸素を送るだけの血液が通っていなかった。頭はもうほとんど何も考えていない。仮に考えられたとしても、答えは導き出せなかったかもしれない。……まあいい。俺は刺激を求め、実際に得ることができたのだ。もう生き延びることはできないだろう。最後に彼女の方を見上げると、そこには先ほどよりもはるかに恍惚な表情を浮かべた女性がいた。……あれ、この人どこかで。
……そこで俺の命の線はぷつりと切れた。
薄暗い路地裏。地面に崩れ落ちた一人の真っ赤な男を見下す、黒いローブの女性。
「ああ、赤排法……。なんてすばらしい法律なのかしら。あたしの思うがままに、好きなだけ人を殺せる、あたしだけの法律」
興奮のあまり呼吸が荒くなっている彼女の正体。それはK国の女王。
赤排法。それは国のためでも、国民のためでもない。狂気に満ちた女王のための掟。
「……なあ、また赤排法違反がでたってよ」
「嘘だろ? いくらなんでも出すぎだろ」
「俺もそう思うぜ。……まったく、あんなに犯罪率を下げた素晴らしい法をどうして破るのかねえ。俺には理解できねえ」
「ああ、まったくだ」




